第七話〈押しつぶされそうな心〉


 千景は師である泰正の身を案じて、木原清太呂に、様子を確認する様にお願いして、今し方、師に起こった事実を知り、めまいを覚えて畳の上に膝をついた。


 手のひらに爪が食い込む程に拳を震わせる。


「ど……うして……? まさか、まさかそん事になるなんて……!」


 頭が回らず、這いつくばって外に向かう。今すぐに、賀茂忠行の屋敷に行かなければ……!


 賢明に腕に力を入れても、全身が重くて上手く前に進めない。

 その内に歯を食いしばり、こらえきれない嗚咽が漏れた。

 はらはらと涙が流れ、胸が悲しみに押しつぶされていくのを感じる。


 師との思い出ばかりが溢れて、口元に手を当てて泣きじゃくった。


「……うぅう」


 己の無力さをひたすら呪って、師を思い泣く事しかできない。

 どれほど泣いていたのか分からなくなる程に、意識が朦朧とした。

 ふと、声がした気がして、のろのろと立ち上がり、声の方へと歩き出す。


 門が叩かれて、声を張り上げる男の声がする。

 無言で開くと――目の前に、憎き男が立っていて、千景は頭にカッと血が上り怒鳴りつけた。


「貴方! よくも顔を見せたわね!」

「ち、千景……話を……」

「うるさい! 人殺し!」


 千景は、師の敵である英心に向かって、躊躇なく呪符を投げつけて攻撃をしかける。

 英心は苦渋に満ちた顔つきで、呪符をまともに受け、狩衣の所々が裂かれ、顔や手の甲にも血が滲む。

 反撃もせず、無言でただ立ち尽くす様に、さらに怒りが増して、胸を殴りつけた。

 少しよろけた英心に全体重を預けて、力任せに殴りつける。


「どうして!! どうしてなの!? 泰正様は……っ貴方を……貴方を……!!」


 ――その先はいっちゃだめ!


 頭では理解していたのに、理性は働かない。


「あい…してたのに……い!!」


 そう叫び、涙で滲む目で英心を睨みつける。

 英心は目と口を大きく開き、息を呑む。

 唇をかみしめて、うなるように声を絞り出す。


「……知っている、私は、泰正の気持ちを……あの時に……」


 意外な言葉を聞いて、千景は一瞬、息が止まった。


 ――どうして、知っているの?


 千景の疑問には答えず、英心は瞳を伏せると沈黙してしまう。

 ゆるやかな春の風が、二人の間に流れている。

 暖かい風に、師の顔が脳裏に蘇り、千景はひゃっくりをしながら、泣いた。


 英心が困った様子で千景に言い訳をする。


「あの時、私は泰正を封じる事に尽力すべきだった……だが、私は彼が誰かを想う気持ちによって、鬼神につけこまれたのだと思い、彼を殺そうと」


 そこまで聞いて、千景は激高した。


「もういい! 消えて!」

「千景! どうか話を……この屋敷にはもう……」

「私はどこにも行かない! 消えてよ!」


 絶叫して思いきり拳を振り上げて、夢中で英心を追い出す。

 気づけば、門の前で荒い呼吸を繰り返していた。


「はあ…は……はあ……っ」


 頭が痛くてくらくらする。

 倒れかけた時、身体がささえられて、息を呑んだ。

 目を開けると、見知った人物が己を抱きとめていて、名を呼ぶ。


「蓮!」

「遅くなってすみません、千景さんにお話があります」


 蓮の神妙な態度に、千景は腫れて痛む目を丸くした。

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