第三話〈苦い気持ち〉


 淡い色の花弁が黒く染まりゆく。

 陰陽師の卵の少年は、頭の中に響き渡る声に両耳を手の平で塞ぎ蹲っていた。


「やめろ! 話かけてくるな!」


 〝お前は我を受け入れるしかない。分かっているだろう〟


「そ、それは……!」


 〝いいのかこのまま我が奴に取り憑いてしまっても〟


「ダメだ!!」


 〝ならば受け入れろ!!〟


 鬼が不気味な声で嗤い声を上げる。


「ううぅううっ」


 地の底から響くような声に飲まれて心臓が爆音を奏でて視界が回った。

 意識を保っていられず、回る世界の中で少年泰正は仰向けに倒れ込み、身体に流れ込んでくる強烈な魂を感じながら失神した。


『泰正、お前は何も悪くない』

『そうよ、貴方は大切な人を守ろうとしただけ……』



 「はっ」


 悪夢から目を覚ました泰正は、冷や汗で濡れた肉体の不快さにため息をつく。

 あの悪夢を後何度見れば終わるのか。

 明日は奴の屋敷に赴く日なのに、これでは眠れないではないか。



 紫倉宮英心が治める紫倉宮領の空には、桜の花弁が舞い散り、刻々と花祭りの準備が進められていた。

 この花祭りの期間は、各領の主たる陰陽師が客として呼ばれ、鎮魂も兼ねた儀式を執り行うしきたりとなっている。

 紫倉宮領の主たる紫倉宮英心の屋敷へと足を運んだ泰正は、弟子の千影と共に主に挨拶をするべく、その部屋の前で足を止めると己の名を叫ぶ。


「視素羅木泰正でございます。ご挨拶に伺いました」

「入られよ」

「失礼する」

「失礼します」


 返事に応えて、弟子と共に連なって襖を開くと足を踏み入れる。

 壮麗な屏風を背に座る主が、柔和な笑みを浮かべて二人を歓迎した――笑っているのは口元だけであり、目には鋭い光を宿す。

 この男は普段から泰正を嫌っているのだ。今更気にする必要などない。


 茶を出され、他愛ない会話をして用意した品を贈る。

 扇子はお気に召した様子でひとまず安堵の息をつくと、一口茶を啜った。


「ところで泰正殿、お体の具合はいかがかな?」

「――とくに変わった所はございませんが?」

「ならば良かった」

「……」


 含み笑いをする英心に、泰正の心中には苦い気持ちが広がる。それを払拭しようと茶を飲み干すと一礼して、千景に声をかけて退散した。


 最後にかけられた声音にも笑みにも不穏さは見受けられず、速まった心の臓は穏やかになった。

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