7話
「さぁ着いたわよ……それにしても、本当に大変だったわね、貴方達…………やるじゃない、ハジメくん」
そう言って、美咲さんと雄二さんもまた荷台から荷物を下ろすのを手伝ってくれる。
僕と千夏は二人の持つワゴン車から降りて、お礼を言った。
今こうして二人がいるのは、あの後詳しい事情は伏せつつ、僕が雄二さんにお願いをした事によるものだ。
店の備品などを運ぶこともあるからか、雄二さん達夫婦が比較的大きな車を持っているのだが、僕が一人で暮らしている事情も知っている二人には、もし急な足が必要になった場合は都合がつけばいつでも行けるから言うようにと言われていた。
それを思い出し、不躾ながら頼らせて貰おうかと電話したところ、二人共駆けつけてくれたのだ。
幸いというべきか、千夏と行ったマンションには父親の気配はなく、詳しいことはわからないがあの後、恐らくは今の家に帰ったのだろうと思う。
そこから、学校に通うのに必要な道具類、後は衣服や諸々必要と思われるものを必要最低限旅行用のバッグに詰め込んで、僕と千夏は雄二さん達の車で僕の家に向かったのだった。
二人からは何も聞かれなかったし、人の家族の事情を他人に話すのもを思っていたが、千夏がこれだけお世話になっているし、僕が信頼している人だからと道すがらに簡単に事情を話すことにして、雄二さんが運転、道案内に僕が助手席に座り、女性陣は後部座席に乗り込むと千夏が家の事情を話し始める。
父親の話の中では、雄二さんはいつも通り口数は少なかったが、黙って頷いてくれているのが見え、また、美咲さんは千夏の話す僕が現実以上に美化されていたことからも、完全にテンションが上がっていた。
そしてそれに釣られるようにして千夏のテンションも上がって色々と話してしまっているのが後部座席で聞こえて、少しいたたまれなかった事を付け加えておく。
こうして冒頭のセリフに戻る。
そういうわけで無事、簡易的な千夏の引っ越しは済んだのだった。
◇◆
家に荷物を抱えて入った僕と千夏は床にひとまず下ろしていた。
改めて間取りについてはもう言うまでもないが、生活するとなったら色々とその、決めておかないといけないこともあるだろうと思うので、一先ず千夏の部屋をどこにするかなのだが。
ふと考え始めると、千夏と二人きりなことに、千夏が帰らないことを意識し始めてしまった。
隙あらば高鳴ろうとする心臓を抑えつつ、少し考えて提案する。
「とりあえず、千夏には美穂の部屋を使ってもらうでいいかな? 客間側はちょっと荷物置きみたいになっちゃってるし、後は、必要なものは少し買ったりしないとね」
「う……うん」
「千夏?」
「…………」
反応が曖昧で、美穂のものが残っている部屋よりも、客間のほうが良かったのかも? と思いながら名前を呼ぶも、どうにも上の空で、荷物を下ろした玄関先で、何故か千夏は靴を脱ごうとしなかった。
「えっと……どうかした?」
「ねぇ、ハジメ…………その、さ」
「うん」
ちょっと心配になって僕が改めて声をかけると、千夏はとても難しい顔をしている。
「…………ふ、
そして唐突に頭を下げるようにして、そう言った。耳が赤い。
その様子が、何というか、物凄く可愛らしくて、僕は――――。
「…………ふふ、あはははっ!」
何だかお腹の底から笑いがこみ上げてしまって、止まらなくなった。
――――そうか、僕だけじゃ、なかった。
「ちょっと、何で笑うのよ?!」
真っ赤な顔で玄関口で千夏が慌てている。
「ごめんごめん! …………くく、でも今なの? 荷物詰めてさ、美咲さん達とあれだけ話して、何度も入ったことのある家に来て、こんな玄関で今そのセリフ?」
「……し、しょうがないじゃない! だって、さっきまでは二人きりとかじゃなかったけど、その、何か自分の学校の荷物とか、着替えとか、そういうの一式持ってさ、改めて部屋の話とかされると急に緊張が…………っていうかなんでハジメはそんなに平気そうなのよ?」
話しているうちに段々と恥ずかしさから怒りメーターに変化しようとしている千夏に、ごめんごめんと言って、まだ止まらない笑いを堪えたまま、僕は千夏の荷物を改めて持って、言った。
「いらっしゃい、千夏…………正直僕も物凄くドキドキしてたんだけど、それ以上に、全然平気そうに用意してた千夏も緊張してるんだって思ったら、笑っちゃって。……それにね、嬉しいなって」
「…………ずるい」
そう言って、千夏は僕のお腹に弱々しく拳を突き入れる。
そして、小さな声で、よろしく。そう呟くのだった。
◇◆
気を取り直して、荷物を一通り運び込んだ後、僕と千夏はリビングにいつものように座る。
お互いのカップに珈琲を入れて、僕は熱いまま少しずつ飲むのに対して、千夏はミルクをたっぷりといれて、そして
ついでに言うと、僕は適当だが、千夏は意外と常に同じ場所にカップを置く。
だから、僕の家のテーブルには、彼女のカップの置く場所に、いつの頃からか薄っすらとカップの跡が付いていた。
それが、こういう関係になる前から何だか小さくても大事な繋がりのような気がしていて、あえて消そうと思えなかったのは、千夏にも内緒だ。
僕らは、話したことのないクラスメートから友人に、そして、友人から恋人へと関係性を変えてきた。そこで最初に決めるべきことで話に上がったのは、今後、学校で僕らはどうするか? だった。
「正直な話をすると、うちとしてはハジメが彼氏だよって公に言いたい気持ち。でもそれ以上に…………」
「うん」
言葉を探すようにする千夏に、僕は頷く。
勿論、僕が彼氏だとわかると恥ずかしいとか、そういうことじゃなくて、別の理由であまり大っぴらにしたくないというのはわかっていた。
――――きっとそれは、僕のため。
今ここにこうしている僕と千夏は、ひとたび高校という世界に立ち入ると、世界が分かたれる。
それは、僕と千夏の、これまで歩んできた、掴んできた選択肢達の結果。
僕は関わりを避けることを選び、千夏は関わりをコントロールすることを選んだ。
そして、僕も千夏も、無責任な噂という形のないものの威力を知っていた。
千夏が口を開く。
「うちさ、今、本当にハジメの近くが居心地良いんだよね。そして、何よりハジメの近くにいる自分の事が好きなんだ……不思議だよね? 誰にでも好かれるように演じてる自分より、たった一人のためだけの自分のほうが圧倒的に可愛い気がする」
「自分で自分の事を可愛いって表現してもさ、全く違和感がないのってずるいよね」
「ハジメのそういう、からかっているようでよく考えるとうちのことめっちゃ褒めてたり、好きって感じさせてくれるところもずるいと思うよ?」
何となく、じゃれ合うように、言葉遊びをする僕ら。
これは、あれじゃないだろうか。
話し合いという名の恋人同士のイチャつきというやつなのでは。まさか小説やアニメやゲームでしか見ていなかったあれらが自分の身に降りかかるとは。
「……怖いんだよね」
そうして柔らかくなった空気の中で、千夏は本音を吐き出してくれる。
僕らはいつも、こうして冗談のような空気の中で、お互いの心を触れ合わせて来たのだから。
「千夏は人気者だからね」
「まぁ、自分で言うのもなんだけど、うちの彼氏ってなったら、当面、相当な圧力が来ると思うんだよね…………良くも悪くも」
「そうだね」
それでも良いよ、というだけの気持ちは僕の中に間違いなくあった。
でも――――。
「正直さ、それで、うちらの関係に何の影響もない、とは言いたいんだけど。きっと
「うん」
そうなのだ。
人は、強い意志なんかでは無自覚な悪意には勝てない。
正確には、勝ち続けるだけの意志を持ち続ける前に、何かを諦めてしまうのだ。かつての僕のように。
僕にとって、千夏を諦めるということはありえない。
でも、きっとそのすり減る分だけ、僕らから何かが失われるだろうことも確かなのだ。
それが、時間なのか、気力なのか、はたまた誰かとの関係性なのか、それはわからないけれど。
「だからさ、うちは、今のうちとハジメとの間に、誰一人入れたくないわけよ」
「言葉だけ聞くと、めちゃくちゃ千夏がヤンデレ化しているように聞こえる。まぁ、それが凄い嬉しいと思うのが僕なんだけど」
「もう、またそんな言い方する。……でもつまり、そういうこと。というわけでハジメ的にも今まで通りってことでオッケー?」
「うん……ありがとう、千夏」
「お礼を言われる事じゃない。あ、ちなみに、うちは嘘を付くのは嫌だから…………告白とかで知らない人に呼び出されてももう行かないし、そういう話で何か聞かれても、もう大事な人がいるからって答えるからね」
それはそれで騒ぎにはなるかもだけど、多分主だった女子に人気の男子ではないと個別に否定していけば、多分問題ない、そう千夏は言った。
きっと僕が、千夏が呼び出されたり、彼氏がいるという事を否定されたら、少し落ち込むかもと考えてくれている。それを嘘をつくのは嫌だから、という言い方にしてくれる優しさが、どうしようもなく愛しかった。
こうして、僕と千夏の中での学校での関係についての話は付いた。
――――でもいつか。
僕が、すり減ることも無いくらいに、きちんと千夏の隣に立てると思える日が来たら。その覚悟ができたなら。
その時は、僕からきちんと千夏に言おう。
今はただ、この関係性に甘えてしまうけれど、それでも僕はその事を、心に刻んだ。
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