10話


 一緒に戻っても良かったのだけど、悪目立ちもしたくなかった僕は先に南野には教室に戻ってもらって、職員室に鍵を返してから教室に向かっていた。

 鞄は持ってきていたが、机の中に本を忘れたことに気づいたのだ。


 南野は友達と帰りに買い物するから今日は来れないと言っていたので、せっかくだからバイトまでの時間で家で読んでしまいたかった。


 放課後とは言え、作業は20分程度で終わったので、まだまだ生徒は残っている。


「―――――――」


 さっさと取るものを取って帰ろうかと思っていたら、教室から聞こえて来た言葉に自分の名前が聞こえた気がして、ふと入る前に僕は足を止めた。


「あーあ、これが『二番』君じゃなくて、本物の佐藤くんだったら喜んで行ったんだけどな。千夏もごめんね、まさかあんたが代わりに行くとは思わなくてさ」


「え? 良いって良いって、でもあれ? 雅美部活って言ってなかった?」


 部活を理由に作業を代わってもらったはずの堀北さんが教室で3人の女子と居て、そこに後から荷物を取りに戻ったのだろう南野が加わって立ち話をしていた。


 特にそのまま気にもせずに、僕も教室に入ってしまえばよかったのだろう。

 なのに、何となく僕は立ち止まってしまった。


「いや、今日は自主練日だから、もう少し後でも良いかなって。いやほらね、練習前に、片付けとかして怪我したくもなかったしさ、私『二番』くん話したこと無いし気まずいし」


「…………はぁ、まぁいいけど。佐藤くん、ね。あんまりその呼び名好きじゃないな。いい人だよ? 普通に優しいと思うし」


「出たー、千夏の『いい人』。そう言いつつ誰にも靡かないよね。でも確かに言い方が悪かったか、ごめん。別に『にば』、いや、うちのクラスの佐藤くんが悪いとは思ってないんだけどね」


「流石にD組の佐藤と比べたらなぁ、容姿端麗、バスケ部のエースで勉強もできるスーパーマン」


「だよねー」


 周りの女子も追随する。

 まぁ仕方ないかな、でも入るタイミングを逃したな、とか思って教室のドアから少し離れようとすると、続けられた言葉に、再び足が止まった。


「それにしても南野はやっぱ優しいよな、でも『二番』みたいな地味なやつに優しくするところっと惚れられちゃうぜ? どうせ作業もつまんなかったっしょ、大丈夫? むっつり見られなかった?」


 石澤だった。

 ここぞとばかりに女子の会話に混ざろうとしている。こいつも部活に行くんじゃなかったのかよ。


「二番じゃなくて佐藤くん、ね。それにそんな事ないと思うよ、さっきも喋ってて楽しかったし紳士だったよ」


 そんな石澤に対して、南野はバッサリと切る、表情は見えないが笑っていないのはわかった。

 石澤は、自分より格下だと思った人間を落として笑いを取ったりすることが多いやつだった。


「いやいや、男なんて皆ムッツリだって。それに『二番』ってあいつ自身も認めてるじゃん。中学からやってたバスケだってD組の佐藤が入ったから続けずに帰宅部やってるしさ、案の定佐藤は一年生エースだし、自分から二番手に逃げてんだよ、あいつ」


 そして、笑いにならなかったことに焦ったのか、格下だと思っていた僕を南野がフォローするような事を言ったのに苛ついたのか、そんな事を言い始めた。

 流石な言い方に、咄嗟に入って反論しようとも思ったが、それよりも南野の驚くほど冷たい言葉が石澤に向かった。


「ふうん、それってさ、佐藤くん本人が言ってたの?」


 声だけでわかった、南野は怒っていた。


「へ? いや、そういうわけじゃないけどさ」


 何とか話をつなごうとした、笑い話のネタ程度のつもりだったのだろう、石澤が南野の豹変した雰囲気にちょっと気圧されていた。


「じゃあ何? 石澤はエスパーか何かで佐藤くんの心のうちを受信しちゃった系なわけ?」


「いやまぁそんな特殊能力はないけどさ。でもほら、『二番』って中学の頃結構バスケちゃんとやっててさ、他校だったけどバスケ部だったから知ってんだよね、俺。そんな奴がバスケ部入らないなんてありえないしさ、顔でも負け勉強でも負け、得意のバスケでまで負けたらプライドが耐えられない的な? あれだよ、状況証拠ってやつ?」


 それでもヘラヘラと笑ったように言えるのは、想像力が欠如しているのか、相手の空気を読めていないのか。

 ただ、この場合についてはどちらにしても南野に対してそれは悪手だった。


「そうか、そうなんだ。でもさ、辞めた理由は他にも考えられるよね? 怪我かも知れないし、家庭の事情かもしれないし。まぁうちもよく知らないけど、佐藤くん普通に話して楽しかったしさ。流石にさっきまで一緒にいた人の陰口聞かされるのは気分悪い」


 南野はそう言い放つ。


「…………まぁ、サボった私が言うのもなんだけどさ、流石に今のは言いすぎだよね」


 南野の態度に、その場の雰囲気が石澤がちょっと言い過ぎた方に流れ始め、堀北もそれに追随すると、石澤は気まずそうな顔で席を離れていった。


 僕は、出てくる人間たちに鉢合わせしないように、男子トイレの中に駆け込むと、天を仰いだ。


 南野は馬鹿だ。


 あんなの、聞き流してしまえばいいのに。


 僕なんかのために、築き上げた立ち位置を危うくする必要は無いのに。


 そんな事を思いながら、呟く。


「さっきの、絶対ヘイトコントロールミスってるじゃん」


 でもそんな言葉とは裏腹に、僕はどうしようもなく嬉しいと思うのを止められなかった。

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