第9話 慈愛

 咄嗟とっさに両手をあげて顔を守り、体をできるかぎり丸める。


 すぐに僕の体を凄まじい衝撃が襲い、体が吹き飛ぶのを感じた後、全身を打ちつけた痛みが上がってくる。


 油断……したわけではない。次の行動で避ける方向を見極めようとしていたのだが、それが仇となってしまった。


 恐らくロックゴーレムは自分の腕を投げつけたのだろう。その証拠に右腕が離れている。


「っ…………」


 口から血を吐くなんて初めてで嫌な匂いが口を通して鼻を刺激する。嫌だけどあの時のことを思い出した。


 ひたすらに弱かった自分。何もできずただただ助けを求めて背中から追いかけて来る絶望に抗うことができなかった自分。


 でも今は違う。自分の足で立っているんだ。自分の意志で相対しているんだ。


 ロックゴーレムの次の行動を見極める。少なくとも腕を投げ飛ばしたということは、それくらい必死・・であることは間違いない。次も左腕を飛ばしてくる。血の匂いがする口の中で歯を食いしばる。そして、ロックゴーレムの左腕が動くと同時に立っていた場所から全力で横に飛んで避ける。


 地面に顔と左腕を擦って痛みが走り、左目が上手く開けられないのを感じる。


 両手を失ったロックゴーレムが佇んでいるが、先程とは違いただのカカシのような棒立ちするまとにしか見えない。


 右手を前に繰り出す。


「僕は……ずっと夢を祈るだけだった。誰か助けてくれないかと、毎日神様を呪い毎日現れるはずのない希望を願っているだけだった。でも今は違う! 僕はここから変わっていくんだ!」


 右手のそれぞれの指に魔力の波動を感じる。ドクンドクンと心臓が跳ねる音に合わせて指を駆け巡る魔力の波動によって右手が燃えるかのように熱く感じる。それがまた心地良い。


 ロックゴーレムにアンガルスの面影が映る。恐怖と絶望。それらの感情も今の僕の手に込められた希望があれば怖くなんてない。


「ここで……君を超えていくんだ! フレイムバレット!!」


 右手から放たれた無数のフレイムバレットがロックゴーレムに当たる。


 全く効いてなかったように見えたロックゴーレムの身体が少しずつボロボロになりはじめ、フレイムバレットによってどんどん姿が代わり、その場に跪く。そして――――――その場からゆっくりと灰を化し消え始めた。


 ダンジョンに落とされてからずっと考えていた。


 僕が生まれた意味。僕がルナソル様の才能を授かった意味。僕が孤児である意味。僕が生きている意味を。


 ずっと夢を見ていたんだ。それは孤児院で読んだ一冊の絵本。そこには冒険者の頂点となった英雄が描かれていた。最強の才能を授かり、たくさんの仲間に囲まれて、最高の冒険をし、愛する女性と結ばれて、多くの名誉と実績によって人々から称賛される英雄。その姿が眩しくていつしか僕はずっと憧れていた。いつか英雄になりたいと。いつしか英雄になれるかも知れないと。


 でも現実は残酷で、僕が英雄になる道は閉ざされた。


 でも現実は残酷ではなかった。


 奈落に落とされても、生き延びることができて、絶望に落とされた誰かの希望を繋ぐことができて、ちゃんと自由を手に入れた。


 僕はずっと弱者として、誰かの助けを求めるだけでただ夢を見ることしかしなかった・・・・・。僕に足りない部分があったのなら、間違いなく何もしなかった過去だ。勝手に絶望して、勝手に失望して、勝手に決めつけて、勝手に夢を見るだけ。


 でもこれで僕は昔の自分を乗り越えられる。


 弱かったあの日の自分より一歩前へ。自らの足で歩いたんだ。


「あはは……勝った……ああ…………僕は……勝ったんだ……」


 声をあげたくてもあげられない。目頭が熱くなって、声も上手く出せない。傷だらけの左手が熱く、魔法を放った右手が熱く、そして、頬を流れる熱いものを感じる。


「あ……れ?」


 その時、目の前がふらつき始める。


 体が言う事を聞かない。


(ロックゴーレムに勝ったのに……僕はここで死んでしまう……のか?)


 視界が地面に変わり、少しずつ暗闇が訪れる。


(まだここで始まったばかりなのに……ここで終わる……のか?)


 ただ消える視界の中、僕は勝利と絶望の狭間はざまで意識を失った。




 ◆




 ダンジョンに来てもう何十日も冷たい床で眠っていた。あの頃の段ボールの上にシーツを敷いただけのベッドですら暖かいと思う。

 

 僕は久しぶりの暖かさを感じていた。


「っ!?」


 そんなはずはないと、全力で体を起こす。節々は痛いが動けない程ではない。


 起き上がると目の前で焚火が燃えており、その傍に女の人が驚いた表情で僕を見つめていた。ただし、その手に持っていたのは、サバイバルナイフ。


「起き――――」


 僕は急いで右手を伸ばして魔素を込める。このままでは殺されてしまう。殺されるなら先に相手の自由を奪って逃げ――――と思った時は反射的に〖フレイムバレット〗を彼女に向かって放っていた。


 目を大きく見開いた彼女と目が合う。


 直後、大きな音が周囲に響いて僕が撃ったフレイムバレットがによって、火花を散って消えていく。


 それと同時に彼女の後ろからもう一人の女性が飛び上がり、丸い水晶が付けられている杖を僕に向けた。


「全員動くな!」


 盾で僕のフレイムバレットを打ち払った男性の声が響く。


「ミハイル! いまクナが殺されようとしたのよ!?」


「落ち着け! このまま戦いになっても何もいいことはない。サリアは絶対に魔法を撃つな。これはリーダー命令だ!」


「っ!」


「少年。そのまま聞いてくれ」


 男性は盾を前に構えたまま、僕を真っすぐ見つめて来る。後ろにはサリアと呼ばれた女性が杖を下して、クナと呼ばれた女性を守るかのように抱きしめていた。


「俺達は冒険者だ。少年とは何度か会ったことがある。俺達を覚えていないか?」


 バクバクと跳ねる心臓の音が大きく聞こえる中、彼が話している言葉をよく思い返す。彼らの顔。何度か見たことがある。ダンジョン二層で戦闘中に何回か通りかかった。


「俺達は大きな音が聞こえてフロアボスのロックゴーレムかも知れないと急いでやってきたところ、少年がロックゴーレムを前に倒れていたのを発見した。冒険者は困っている時こそお互いを助けるべきだと思い、倒れていた少年を保護させてもらった。少年の傷は全て彼女の回復魔法で治しているし、今は食事を準備している。騙されていると思うなら自分の傷を確認してみてくれ」


 ゆっくりと左手をあげてみる。ロックゴーレムと戦っていた時のことを思い出した。左手に傷を負っていたはず。それが嘘のように消えている。


 ということは……僕は、命の恩人に向かって魔法を撃ってしまっ……た?


「落ち着いて聞いて欲しい。俺達は少年と対立したいわけではない。だからその手を下ろしてもらえるか?」


「ぼ、僕……そういう……つもり……じゃ…………」


 ロックゴーレムに勝ったはずなのに、目の前の人達から恐怖を感じて咄嗟に魔法で攻撃してしまった自分。助けてくれた恩人に恩を仇で返した自分。


 色んな感情がぐちゃぐちゃになって、涙が溢れた。


 その時、僕に魔法を撃たれたはずの彼女が駆け足で前に出て来る。


「クナ!?」


 走って来た彼女は――――――真っすぐ僕を抱き締めてくれた。


 彼女は一言も言わず、ただただ優しく僕を抱き締めてくれた。


 僕は声をあげて泣きじゃくった。

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