今日、人魚を卒業します

すでおに

今日、人魚を卒業します

「こんな身体になったのは気の迷いよ。今の姿がわかっていたら人魚になんてならなかったんだから」

 水面で踊るように反射する日差しに目を細めて人魚は言った。人間であれば太ももに当たる部位を手のひらで撫でた。無論そこにあるのは鱗だった。


「河童に会ったことある?」

 そういって私を振り向いた。私は首を振った。


「前に会ったの。くちばしの黄色は濃くて、頭の皿は空気で膨らませたように盛り上がって、艶やかな鱗をした若い盛りの河童だった。けど、とてもぐったりしていたの。もう私たちが楽しく過ごせる世の中じゃなくなってしまった。彼も言ってた。河童になったことを後悔してるって」

 怒りをぶつけるような鋭いまなざしをこちらへ向けたが、矛先が違うと気づいて、すぐに視線を海に戻した。


「この頃ようやく人間たちも気づいてきたみたいだけど手遅れよ。これからもとの姿に戻れるわけじゃない。海は取り返しがつかないくらいに汚れてしまった。被害は人間が知っているよりもっと深刻で、絶滅した魚は数えきれない」


 深海は人間の知らない謎を多く残しているが、未知のまま絶滅した生物、それも近年絶命した生物も少なくないのかもしれない。


「本当に住みにくい世界になってしまった。海だけじゃない。山や森もよ。天狗が顔を真っ赤にして憤ってたわ。人間たちは山をゴミ箱だと思ってるのかって」


 登山客が出すゴミはもちろん産業廃棄物の不法投棄も深刻な環境破壊をもたらしている。


「『そろそろ懲らしめてやらないといかん』って言ったけど止めたわ。もう私たちの出る幕じゃないの。私たちは元々は人間と自然とをつなぐ超自然な存在だったのに、いつからか人間から煙たがられて。表舞台から去ったのをいいことに、人間は好き放題自然を荒らすようになってしまった」

 砂を掴んだ手を緩めると、砂時計のようにこぼれ落ちた。


「私たちの力でどうにかできる世界ではなくなってしまった。このままだといつか地球が怒り出すかもしれないわ」

 私のじっと目を見据えて言った。

「そうなってからじゃ遅いのに」


「私の居場所はなくなった。もうここにいるべきじゃないようね。じゃあね」と手を振って飛び跳ねると、鰯に戻り、海に帰っていった。

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