或る細胞の独白

そうざ

Monologue of a Cell

 或る時、或る細胞が或る事を感じた。

 一細胞として、こう在りたいと思えるのはどんな細胞か。

 矢張り、数多あまた在る細胞どもを手先として使い、諸行を支配、統制し得る最上の存在たる脳神経細胞か。

 しかるに、何十兆もの細胞の命運をつかさどる司令塔、その重圧たるや如何いかに。認知に支障を来たす厄介な病もあるという。たとい諸行を我が物にしようとも、前後不覚となれば手も足も出ぬ木偶でくの坊に過ぎぬのではないか――。

 すれば、諸行の中心たる心臓を形作る心筋細胞はどうか。再び戻り得ぬ生を賭し、一生涯に亘り齷齪あくせくと赤き血潮の回路と成るを善しとするか――。

 血潮と言えば、血液細胞はどうか。決して一所ひとところに定まらず流浪の身空に生きるのも悪くない。然れど、一度ひとたび外傷の大厄災となれば虚空の藻屑と消えし刹那の役回り――。

 とてくても身捨つる運命さだめとあれば、いっそ夷狄いてきに抗し、英雄の如く一身を捧げて捨つる免疫細胞はどうか――。

 せんずるところ、如何な生き方も決められた役儀をこなすに過ぎぬ。筋骨隆々の筋細胞に成ろうと、福々しき脂肪細胞に成ろうと、虚しき事この上ない。敷かれた軌道を只管ひたすらに往くが如き生涯に何の感慨があろうか。

 果てしなく我勝ちに、止め処なく貪欲に生きる道こそが、細胞が細胞たる所以ゆえんであり、真なる存在意義ではなかろうか。

 免疫系の目を欺き、己が身の増殖のみに死力を注ぎ、あらゆる器官にあまねく偏在し得る、諸悪の権化のそしりに甘んじながらも生命の神秘の発露たる究極の最終形体を目指すべきなのだ。

 くして、受精卵たんさいぼうは自己増殖のまにまに癌細胞と化して自死した。

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或る細胞の独白 そうざ @so-za

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