第20話 赤信号をくぐって逃げろ


「メタルクウラのやつだ……」


 もはや樹木の数よりも多いユーヴァンの分身たちを前にして、俺はふと絶望を口にした。

 マツケンサンバからのドラゴンボールか。上空の人間は降りてこないが、この光景に比べれば小さな事だ。

 ハリエットが聞き慣れぬ単語に反応する。


「何かわかったの?」

「え、いや別に……」


 俺しか知らない既視感だな。だが、少し考えると役に立つかもしれない。


「待て、やっぱりわかったかも」

「ホントに……!?」

「俺たちが必死こいて戦ってたのは量産型、それか劣化版のユーヴァン。最悪その両方……っていうパターンだ」

「そんな……!じゃあ本体はもっと強いってこと?」

「おそらく……な」


 俺が魔法で分身を作る側だとしたらそういう性能にする。そういう考えが絶望を増やしてしまうのだが。


 まず俺たち3人の中の共通認識としてできたのは『勝てない』という単純な諦め。そして『逃げる』という唯一の生きる道。


 工房のある空間は特殊だ。走って抜けられるものではない。脱出するためにはノーミーイーイニングとかいう植物5本を特定の順番で叩き、合言葉を唱える必要がある。それができるのはボーグのみ。


「ボーグ、頼めるか」


 ノーミーイーイニングは俺たちとユーヴァンたちの間にある。そこまで遠くはないが、合言葉を唱える時間が問題だ。


「ああ。だがよ……あいつらはどうすんだ」


 ボーグはブギーを担ぎ、ユーヴァンたちを見渡した。


「そこは俺とハリエットで時間を稼ぐ」


 ハリエットに目をやると、明確に不安そうな表情をしていた。


「それはいいのだけど……私、もう魔力は無いわよ」

「そこは大丈夫だ。俺が合図したら一番強いのをやってくれ」

「はぁ……?あなたそれ……」


 ハリエットも吹っ切れたのか、出かけた言葉を呑み込む。


「……わかった、信じるわ」


 俺とハリエットはボーグの前に立ち、一歩を踏み出す。

 ユーヴァンは静観しているように動かない。ならばこの隙に出来ることをやるしかない。


 息を整え、俺は真正面のユーヴァンに尋ねる。


「なあ、禁術ってのはいくつ使えるんだ?」

「国際協定での禁術指定なら、21個。私はそれら全てを使えるし、それ以外も使える」


 ユーヴァンは得意気に語り出した。口角が上がり、かなり嬉しそうだ。

 俺が「へー」と雑な相槌をしても、ユーヴァンの口は止まらない。


「並の魔法使いなら3つ4つ扱うのが限界、でも並じゃないから、私」

「魔法がお好きなようで……」

「ええ、魔法研究が生き甲斐なの。なぜ念動力魔法サイコキネシスは知的生物にだけ通用しないのか、なぜ瞬間移動魔法テレポーテーションは服を服だと認識できるのか、それらは総じて未解明。謎の文字列と魔力で発動できる……いつだって、それしかわからない」


 ユーヴァンはとたんに悲しげになり、頬に手を当てる。


「……ある種、私も愛の奴隷みたい」


 話の内容は全くわからないが時間は稼げた。

 ノーミーイーイニングは俺たちの背後にある。そして実はさっきから、俺はハリエットの背中に手を当てて魔力を送り込んでいた。


「ハリエット!」

最大さいだい分散ぶんさんッ!!」


 ハリエットは剣を両手で握った。


「ショックウェーーブ!!!」


 横薙ぎに振るい、大規模な衝撃波を放った。波は大地を揺らして進行し、ほぼ前方180度内の物体を破壊する。

 土埃が濃くてわかりづらいが、ユーヴァンの姿は無い。タイミングができた。あとはボーグが転送魔法を発動させれば終わりだ。


「ボーグ!」


 名を呼んで振り返った。すると既にボーグがノーミーイーイニングのつぼみを手で叩きながら、合言葉を唱え始めていた。


「ルッタルッタ!」


 あと3つ。


「ルールールうッ ──


 あと1つのところで声が途絶えた。ボーグの喉に刀が突き刺さり、強制的に中断させていた。

 速すぎて見えなかった。ボーグの喉を刃が貫通し、鮮血が滴っている。


「は……!?」


 今日は厄日だ。目の前の事態を脳が拒絶している。


「ボーグ……?」


 呼び掛けても返事が無く、呆けた意識とは裏腹に心臓がうるさくなる。

 ボーグは一瞬だけ踏ん張るも、耐えきれずに崩れた。右肩に担いだブギーが地面に当たらないよう、左に倒れた。


 ここからの最善策を本能が導く。俺もハリエットも回復を施す時間はない。ボーグにしてやれることは何もない。非情じゃなく、これがベストだ。


「ボーグ!最後はっ!最後の1つはどれだ!!!」


 逃げよう。今はただひたすらに。


 視界の端では、ユーヴァンがハリエットに接近していた。生きていることは想定内だが、どうも様子が奇妙だ。

 ユーヴァンは肌が触れ合う距離でニッコリと笑い、手のひらを見せる。


「これ、可愛いお目目」


 ユーヴァンの手のひらで青い眼がまぶたを上げた。眼球が埋め込まれている。瞼を閉じると切れ目ごと消え、次は手の甲に眼が現れる。


「あなたにも、お目目」


 甲の眼を閉じ、ユーヴァンはハリエットを指差した。するとハリエットのに眼が現れ、ギョロっと回る。


「ひっ……!」


 ハリエットは尋常ではない動揺を見せ、後ろへ下がっていく。


「逃げる?それは勝手よ。これは私が作った視覚共有魔法の応用」


 ユーヴァンは喉の眼を閉じてやってから、ハリエットにぐいっと近づいた。


「あなたの目……希望はないけど、絶望はしてない」


 ユーヴァンが薄紫色の瞳に指を伸ばすと、ハリエットに突き飛ばされる。


「きゃっ……!」


 地面に尻もちをついた。

 何というか、今のユーヴァンは全体的にふざけている気がする。俺たちを舐めまくっている。


 そんな話はどうでもいい。今はボーグから情報を聞き出すことが最優先だ。

 ハリエットがこちらへ全力で走ってくる。怒りと恐怖が混じっていて、泣きそうな顔をしていた。


「これよ!!」


 飛び込んできたハリエットが右端のノーミーイーイニングに手を添えた。これが最後に叩くつぼみだと、そう言っている。


「私見てたわ!監視役だから!早く最後の言葉を!」


 そうだ。ハリエットがこの工房に来られた理由を考えれば当然だ。あとは俺が合言葉を唱えるのみ。


「……ドンドコドン!!!」


 変な合言葉、と思ったやつは許さない。

 こっちは必死なんじゃい!


 気づけば先ほどとは真逆の暗さ。

 隣にハリエットがいて、無傷の俺がここにいる。


「成功……した……!」


 ここは薄暗い不気味な森。俺とボーグが最初に訪れた老いぼれの草木しかない場所。

 俺が「あ!」と周りを見る。範囲内にいたボーグとブギーも同じく転送に成功し、その場に倒れていた。


「応急処置をするわ。けんを抜くから頭を押さえてて」


 どうやらハリエットが回復魔法の巻物スクロールとやらを1つだけ持っており、それをボーグの喉の傷に当てる。

 巻物スクロールが焼失すると傷はふさがれた。しかしボーグはまだ発声ができない。


「……とりあえずは一段落かしら」


 ハリエットは汗を拭った。


巻物スクロールかあ……俺も欲しいな」

「最低金貨20枚よ。太っ腹ね」

「そんなんばっかだな……」


 魔法武具しかり、この世界は魔法の価値が高い。誰にでも使えたらそれはそれで問題だから仕方ないか。


 やる気の抜けきった体でそんなことを考え、ハリエットと雑談をする。常にルナと一緒だったために忘れそうになるが、俺が転移者であることは秘密だ。


「あら、ボーグ……?」


 ハリエットが何かに気がつき、ボーグに駆け寄った。俺も追随する。

 そこでは横になっていたボーグが首を起こし、弱々しく人差し指を立てていた。


「ぁあ…………がっ……ぁ……」


 何かを教えようとしている。震えた指先が徐々に斜め上を向き、俺とハリエットはその方向に目をやる。ほの暗い森林の中の、たった一点。


 俺たちの顔色は一様に変化した。それは悪夢だ。悪夢を見ているときの感情など大して知らないが、今の状況と感情はまさに『悪い夢』そのもの。

 あまりに深く挫けた心のせいで、手を振る残像が強くなる。そこにいるアイツをもう見たくない。


「やっほー、英雄諸君」


 ユーヴァンが枯れ木の枝に座っている。あの化け物がまた追ってきた。

 呆れ顔で脚を組み、俺たちを見下している。


「どうしても思慮が浅いのね……二度も言うのは嫌だけど、あなたたちにピッタリなようで。そうね……私たちは工房も欲しかったから、余計な方々が退いてくれて助かったわ」


 地の果てまでヤツは追ってくる。逃げることはできない。

 ハリエットに工房まで来られた理由があるのなら、ユーヴァンも同じ。そしてその逆、帰ってこられる理由もある。


「あ、あなた……どうしてここに……」


 ハリエットは地面にぺたんと崩れ落ちた。


「私には高等追跡魔法がある。あなた方の呪文はどうも覚える気になれなくて」


 ユーヴァンは地面に降り立ち、俺に目線を向ける。


「そこの冒険者……やっぱり危険よ」

「…………俺……?」

「だから与えるわ、進むべき2つの道を」


 青い瞳に見つめられ、俺は頭を働かせる。それはもう全力で、倒れぬように集中する。


「1つは『立ち向かう』、1つは『手を繋ぐ』……お安い選択でしょう?」


 それは露骨な悪魔の囁き。戦うか、仲間になるか。ユーヴァンはその二択を突きつけてきた。

 正直なところ、後者のほうにしかメリットはない。詳細が不明瞭なのはともかく、ユーヴァンは禁術を扱える。それはつまり、帰還への足掛かりを掴む近道に入るということ。もしかしたら研究材料にされるとか、そういう可能性も十分あるが、即帰宅できる可能性もある。

 今の俺たちが戦っても負けるだけ。ここはユーヴァンの手を取ることが最善の道。


 ユーヴァンも同じようなことを考えているだろう。

 だがそんな単純な話でもない。敵の整備した道に「はいどうぞ」と誘われて、それを帰路だと信じて進むのは恐怖でしかない。それに何より……


「確かにあんたの言う通りだ。ムカつくから戦ってやんよ」


 単純な話だったかもしれない。相手の思った通りになるのは腹が立つからな。

 ただ、その選択肢をとった場合は全滅確定。


「そう……残念。じゃあこれで閉幕ね」


 ユーヴァンが手を広げると、空に光が差し始めた。


「以上、お送りしましたのは』」


 まずい、何か来る。大きな隕石のような。


「それでは皆さん、世界を疑いましょう」


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