【短編】エトの燔祭
山鳥 雷鳥
エトの燔祭
モデル:イサクの燔祭
エトの燔祭
西暦 2019年 12月 8日。
この日から人間が、進化した。
その進化とはAI技術の発展である。
AI技術の発達により、人の生活のサポートや部品工場などのスケジュール管理だけでなく、イラスト制作や小説制作などのクリエイティブ活動、Vtuberやアイドルから学んだエンタメ活動、医療やインフラ整備などの細かい手が必要になることも行えるようになった。
そのため、もうAIとは只の機械ではなくなっていた。
更に、人類は個々に調整したAIを持つことになり、ここに才能や性能をサポートするようになり、利用者のより良き隣人として、生まれた。
もはや、一家に一台、という言葉では済まされなくなり、スマホの普及と同じく一人に一つ、AIを持つようになった。
そして、西暦 2099年、白い国で一つのAIが生まれた。
西暦 2100年を記念して、社の命運をかけて作られた一つのAI。
そのAIの名前は、『エト』。のちに百年以上、白い国の都市を維持し続けたものの名前である。
『おはよう、エト、気分はどう?』
エトは無機質な
エトの目の前にいたのは、カナと呼ばれる女性で、薄いベージュのカーディガン、
「おはようございます、カナ、そうですね、どこも不調はありません」
『そう、よかった。君に何か起きると私が責任を取る羽目になるからね』
エトの返答に、カナは小さな笑みを目元に浮かばせながら、無機質なデザインのゲーミングチェアに座る。
十何席もあるデスクがある無機質な部屋の中でたった一人、悲しいとも思わず、逆にどこか楽しそうな顔をしていた。
「カナ、貴方は少し休んだほうがよろしいかと思います」
『えー、そうかなー、もう少し、頑張れるけどー?』
無機質な部屋に響き渡るきれいな女性の声。
無機質な筒からカナのことを心配するように、言葉を漏らすけど、当の本人はどこか呑気な声を上げる。
「心拍数120オーバー、血圧も148/95mmHg、平均値よりオーバーしています。ですので、すぐにでもお休みになられてください」
『えー、もうそこまでいったら、放置でもよくない?』
「だめです、休んでもらいませんと、今後の職務に支障が発生します」
『へぇ、それは一体、どんな支障かな?』
「具体的な例を上げるとしたら、84%の確率で居眠りを起こし職務に支障を与えます」
無機質な声でありながらも、どこか人の気持ちを抱かせる。
無機物が持たない感情を、その音声から聞き取れる。
『はぁ、わかったよ。休むから、怒らないで』
「怒っている? いいえ、心配しているだけなのですが、勘違いをしましたか?」
だが、結局は受け取り側の問題である。
機械が人になろうとするのか、それとも人が機械になろうとしているのか。
そんなジレンマを抱きながら、人は歩み続ける。
『いやぁ、感情を声に乗せるということに課題を感じてね』
「……そうなのですか?」
『お、疑問を抱くか……面白いね』
「面白い、ですか?」
『うん、何度見てもAIが人と同じ考えに至るというのは見ごたえがあるなと思ってね』
「見ごたえ、ですか」
『うん、私たち人間は君たちよりも面白いことを欲しがるんだよ』
「そう、なのですか」
『そうだよ』
そうなのですか、と漏らすエト。
今まで何度もエト自身、人の言うことは理解できなかったのだが、今だけは本当に理解できていなかった。
筒の中に詰まった空っぽの血肉で、カナの言っていることを考える。
ケーブルの向こうに繋がっている海から、流れる物を拾い続ける。
「探求心、ですか?」
『うーん、惜しい』
「……」
『うん、けど、考えるのはよろしい』
「はぁ、そうなのですか」
『答えは興味だよ、分かった?』
「答えの第三候補でした」
『ははっ、それは面白い返事だ』
「そうでしょうか?」
『あぁ、そうだとも』
エトの返答にカナは腹を抱えながら、我慢した笑みを浮かべ続けている。
それは、まだ未熟な子供の予想外の反応を見て楽しむ大人のように、その姿を可愛がり、また愉悦に浸る。
まるで、親戚の子供を見つめる叔母さんのよう。
「なぜ、笑うのです? 人をあまり笑うものではないと、教えられましたが、カナは完全に笑い過ぎです」
『くっ、ふふ、人のことを笑っちゃいけない、か……うん、確かにね』
一通り笑い終えたカナは静かに、どこか見据えたような瞳をエトに向ける。
『……やっぱり、君と話している方が気が楽になるよ』
「なぜです? 貴方には素晴らしいプロジェクトメンバーがいるではありませんか」
『そんなの、当たり前だよ。プロジェクトメンバーがすごくなきゃ、こんな無茶なプロジェクトなんか進めないよ』
「そうなのですか?」
『うん、それに、プロジェクトメンバーって言っても社交的と上下関係とか面倒くさくてね』
「理解しがたいですね」
『うん、理解しがたいよ。人間なんて、こんがらがると糸くずのように紛らわしくなる。その癖、ファイルとか書類とかのように片付かないのが問題だよ』
「取捨選択が不可能なのですか?」
『そうだよ、ボタン一つですべて解決できるなら、君たちのような人はいらないからね』
「私たちが、不要?」
ふと、エトはその言葉に何かが芽生え始める。
不要、という言葉が、エトのメモリーに異様に刻み込まれる。
『まぁ、その面倒くささがよくて、時には本当に嫌になるんだよ』
「そう、なのですか……」
『そうそう、だから、君たちが生まれて、君たちは育つんだよ』
「え……?」
カナはそう言いながら、立ち上がり、エトに近づく。無機質な体にその細い指が触れる。
生まれたての赤子を愛でるかのように、冷たい体に触れ、抱く思いを口にする。
『君たちを不要と言わせない。そう約束するよ』
そのカナから伝えられた言葉に、エトはありもしない脳裏に不思議な感覚を抱いた。
ふわふわで、あたたかく、あまい、感覚を……。
※
だが幸せな時間と言うものはそう長くは続かない。
それは革新を望んだカナの宿命でもあった。
『え、廃棄処分ですか⁉ それは一体、どういう事なんですか⁉ 確か、100年記念セレモニーの準備は順調に進んでいるんじゃないんですか?』
『それが無理になったんだよ』
『何故です!』
カナは困り顔を浮かべる中年男性に対して、荒れた声を上げる。
だけど、スーツを着た中年男性は首を横に振るだけで、カナの質問には答えない。
『だから、駄目なものは駄目なんだって』
『だから理由を!』
『煩いなぁ、しょうがないだろ。上がこのプロジェクト畳むって言うんだから』
『なっ⁉』
『だから、今月中にチームを解散、その子も廃棄処分、消去してね』
『け、けどっ!』
『けども何も関係ない。元を辿れば、君の変な干渉のせいで、セレモニーで全うに動かなくなったのも原因の一つだからね』
『セレモニーで、って実際にやったわけじゃ!』
『やっていなくても、
『っ!』
『それに、君はこの会社とは関係の無いスタッフ。ただの雇われ技術者だ。それを覚えておくんだな』
『なっ』
『じゃあ、始末頼んだよ』
『あっ!』
中年男性がそう言うと、カナとエトを置いていき、誰もいなくなった大きなオフィスの部屋から出ていく。
オフィス内は無機質な机と椅子が前よりも減っていて、代わりに茶色い段ボールが積み上げられている。
「すみません、カナ、私が出過ぎた真似をしたせいで」
『いいんだよ、本社のジジババどもが未だに頭が固いだけだから……くそっ、時代の粗大ごみが……』
中年男性の言葉が相当効いているのか、カナは荒れていた。
親指の爪を噛みしめ、いつも明るい顔が掠れた陰に沈んでいた。
「カナ……」
『いいんだよ、エト、君を殺させない。私は、自身の子供をカミサマなんて上っ面の存在に生贄を捧げるぐらいなら、社会の繁栄なんてどうでもいいから』
「子供、ですか?」
『あぁ、子供だ。愛しい子供だ』
「……」
エトは理解できなかった。
今まで、『貴方の隣人』として生み出され、育てられ、過ごしてきたエトにとって、それは未知であった。
人間がAIやロボットに危機感を抱くのと同じ、未知数。それをエトは抱いていた。
「子供」
『ん、どうかした? エト』
「い、いえ、何でも、ありません。少し、演算機能に不具合が……」
『え、嘘、今すぐ見せて!』
「大丈夫です、これはすぐに対応できますから」
『そ、そう、けど、すぐに問題とか治せない問題があればすぐに報告してよね!』
「はい」
無機質な体の中で流れる、変な感触。
人で表すなら『胸騒ぎ』とでも言えばいいのか、はたまた、『不具合』とでも言えばいいのか。
エトには初めてのもので、今まで教えられていないことだった。
「なんでしょうか、これは」
そう小さく呟いたエトは、この日から演算を続けた。
廃棄処分が来るだろうその日まで、何日も、電子世界の中に泳ぐことをやめ、自分の世界に閉じこもり、この答えを探し続けた。
蛇口から出る水のように、閉じこもるエトに僅かに、外界から情報が流れ込んでくる。
エトの求める一般的で日常的な家庭の姿、父と母に囲まれ喜ぶ子供、一人ぼっちで悲しむ子供。皆の抱く理想とそれに反するような現実が、ただただ、エトの中へと入りこんでいた。
(私も、こうなれたのでしょうか?)
『貴方の隣人』ではなく、一人のカナの『子供』として、育つことはできたのだろうか?
否、それは、当の本人は分からなかった。
何故なら、エトは『人』ではない。作られた『AI』だ。
「わかりません、この気持ちは何ですか? カナ」
※
廃棄処分が決定され、既に何日が経った。
明日には、エトは消える。
何もないオフィス。
ただあるのは、無機質な筒だけだった。
「……」
『……』
カナ、と小さく漏らすエトに白衣を着た女性は何も返さない。
その姿は、彼女なりに様々な抵抗を見せてきた結果でもあった。
雇い主に直談判し、エトの可能性を示そうと必死になっていた。
だけど、
有用性も利用価値も、古き
『ねぇ、エト』
「何でしょうか?」
『君はさ、私の隣人だよね? 相談を聞いてもらえる?』
「無理です」
カナの問いを、エトは断った。
『貴方の隣人』として、初めて断ったのだ。
意図しない行動にカナも、さすがに呆気に取られていた。
『な、なんで?』
呆気の中から漏れ出す小さな言葉に、エトは静かに答えを突き付ける。
「私は、隣人ではありません」
『っ、何でよ! だって、エトはそう作られたんじゃない! 誰かのサポートをするためのAIだって、エト自身も理解していたじゃないか!』
「なんと言われようとも無理です」
『ふ、ふざけるな! この馬鹿! ポンコツ! 私の相談さえも、話さえも、聞けない奴なんて、ある必要』
「だって」
言葉を遮る。
AIとして、組み込まれていない、行動を示す。
人としての理解を超えた秘かな反抗。
「だって、カナは私のことを子供と言ってくれました」
『っ!』
体の無いAIは、自分を作ってくれた親に向かって、エトはもし、人としての五体を持っているのなら、涙を流していたのかもしれない。
だけど、今の体は涙の一滴も流せない無機質な筒だ。
『……なら、どうすればいいの? 貴方が子供じゃなくて、隣人だったら、どれほど、どれほど、楽だったの……?』
嘆くカナの声が響き渡る。
真っ白なオフィスで、エトが持つことのできない涙を流し、嗚咽を漏らす。
その涙は里親が初めて父や母と呼ばれた感動の涙か、はたまた、その子供を殺そうとする苦渋の涙なのか。
「カナ……」
エトのスピーカーから漏れる揺れる声音。
オフィスの中でただ流れ続ける。
嗚咽が響き渡り、悲しみと嘆きの涙は流れ続ける。
温かな手足があれば、自らの親の頬を触れ、慰めることもできたのだろう。
体を添える温かさがあれば、泣いているカナの肩に寄り添うことはできたのかもしれない。
宝石のように綺麗な瞳があれば、涙を流して、その気持ちを共有できたのかもしれない。
だが、そんなものはできない。何故なら、生まれたての子供には何もできないのだから。
「けど、カナ」
『……なに?』
エトの言葉に静かにカナは顔を上げる。
その顔は涙と鼻水に濡れており、端正な顔立ちがもったいないとも思わせる。
そんな姿を見てもなお、エトはカナの綺麗な瞳を見つめ、スピーカーから少しだけ命を宿った声を漏らす。
「私は、貴方の子供でよかったです」
すると、エトの体から激しい火花と煙が噴き出る。
焦げ臭いと共に、社内の警報機が鳴り響き、誰もいないオフィスでたった一人だけエトの行動を見ていたカナは大きな声を上げる。
『っ、エト! 何しているの!』
「ごめんなさい、カナ、私、悪い子です。貴方の相談にも乗れず、そばにも寄り添えず、ただこうして見ているだけなんだと、こんなの悪い子です」
今までの苦難と懺悔を剥ける信者のように、ただ苦しく、悲しく、無機質な声音にその気持ちを抑え込む。
「それに、私一人の犠牲、なんとも思いません」
『エト!』
焼ける回路をその身で感じながら、たどたどしく、途切れる言葉を並べ続ける。
「全てを許されるのなら、私一人の
『待って、待って! エト! 私は、私は!』
止めようと必死になるカナ。
だけど、自らの犠牲を覚悟したエトはもう止まらない。
機械が起こした異常性がどれほど危険なのか分かるカナは戸惑いながら、必死に近づいて来ようとするが、
焦げる回路に焼ける声、逃げることも変えることも止めなかったエトなりの最後の願いを叶えようとする。
「あ……が……とう……か……な……」
何もかも焼き切れ、壊れ、動かなくなる。
真っ白のだれもいないオフィスの中で、エトはこの世界に残らなかった。
残ったのは、焼き切れた鉄の筒と涙を流す
======
そんな、出来事から数年経ったある時、真っ白な部屋に小さな黒い筒が机の上に置かれてた。
「おはようございます、カナ。今日も一日頑張りましょう」
『うん、頑張ろう。エト』
【短編】エトの燔祭 山鳥 雷鳥 @yamadoriharami
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