魔女シロトのお薬手帳

lager

口上

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 ちょいと変わった薬屋の話をしよう。


 その薬屋は、とある小国の外れにあってね。その国は周囲から“森の国”と呼ばれていた。

 西には風の国、北には雪の国、東には波の国、南には山の国、もっと遠くにはまた別の国があるが、まあそこまでは覚えなくともよろしい。


 とにかく、森の国なんて呼ばれるくらいだから木が多い。豊かな水源と穏やかな気候。それだけ聞くと過ごしやすそうなもんだけど、人にとってはちょいと住みにくい事情があった。

 実りが多けりゃ動物も多い。動物が多けりゃ怪物も多い。怪物が多けりゃ、中にはタチが悪いのもいたりしてね。


 森の奥深くに踏み入れば踏み入るほど、そういう良くないモノにも近づくわけで、深入りしすぎた連中はみんな戻って来ない。森の奥に何があるのか、誰も知らないんだ。だって、知ったら戻ってこられないんだもの。


 まあ、そんな事情だから、あんまり人の住める場所ってのは多くないんだ。人はお気持ち程度に森を拓いて、お気持ち程度に恵みを分けてもらい、時折領分を間違えてしっぺ返しをくらったりしながら、まあまあ上手いこと森と共存して生きていたんだよ。


 この物語の舞台は、そんな森の国の北東、雪の国との境町からちょいと森の中に分け入った場所にあった。

 昼でも薄暗い鬱蒼と茂る森の小径。風なんて吹こうものなら頭の上の高い高いところからザワザワと枝葉が揺れて不気味な笑い声を降らし、耳を澄ませば虫だか鳥だか獣だか分からない(ひょっとしたらもっとわけの分からないものかも)鳴き声が頭のすぐ後ろから聞こえてくるよう。


 その小径に初めて入る人間は、誰だっておっかなびっくり背中を丸めてこそこそと歩くもんさ。

 歩けど歩けど変わらない景色。いつしか時間の感覚も曖昧になって、どうしよう入るみちを間違えたんじゃないかと不安になる頃、目の前にぽっかりと開けた場所が現れる。


 明るい光が差す。

 楕円形に拓かれた森の中、灼熱の砂漠でオアシスに辿り着いたかのような安堵感。

 先ほどまで恐ろしかった大樹の緑も優し気な色で陽光を透かして、大きなログハウスの姿を現してくれる。住居にしてはやや大き目なそれは、見た目にも年季が伝わる蒼然とした佇まいだ。丸太は黒ずみ、深く苔むしている。

 小さく耕された畑には何のものだか分からない草花が生え、どこからともなく花とも果実とも分からない甘やかな匂いが漂ってくる。


 やあ。ようこそ。ここまでご苦労様。

 ここがお目当て、魔女シロトの薬屋さ。

 なんの表札も出てはいないが、こんな場所にぽつんと立ってるログハウス、訪ね間違いのあるはずもないね。


 ここまで辿り着いた人間は、自分がさっきまで歩いてきた小径が、まだまだ森の奥へと続いていることに気づくだろう。そして不安に思うはずさ。自分はもう随分森の奥へと足を踏み入れてしまった、ここから更に奥へと踏み込んで、大丈夫なものなのか、ってね。


 だけどご安心あれ。そこから先へ進む必要なんてないのさ。欲しいものは全部ここで手に入る。

 傷薬かい? 風邪薬かい? 虫除け、獣除け、世にも不思議な光る水。氷より冷たいのに凍らない水。夜闇を見通す目薬。暴れ牛も鎮める眠り薬。惚れ薬なんてのもあるにはあるが、そいつはちょいと値が張るご様子。代わりに枯れた爺さんでも忽ち元気になる気付け薬なんてのはどうだい?


 うん?

 じゃあなんでまだ道が続いてるのかって?

 うふふ。なんでだろうねぇ。誰か往くのか。誰が来るのか。そりゃあ魔女に訊ねてみなきゃ分からないさ。答えてくれるかは分からないけど。


 それはさておき、魔女の薬屋といえば、森の国でもちょいと名の知れたお店でね。まあ辺鄙な場所にあるせいか千客万来とはいかないが、熱心なリピーターもいれば、よその国からわざわざ訪ねてくる人もいたりはするのさ。知る人ぞ知る、ってのがしっくりくるかもしれないね。


 そんな薬屋さんに、最近変わった噂が立った。

 魔女シロトが弟子を取ったっていうのさ。

 当代の魔女と言えば最近代替わりしたばかりでまだまだ若い。跡継ぎを決めるような時期でもないだろうと思われたんだが、どうやらその弟子ってのがまた変わり種らしい。


 髪は真っ黒。どこの国の生まれとも知れない、見たこともない顔つきの少女。身なりは質素だがやけに教養深い立ち居振る舞いで、なんだかちぐはぐな印象を受けるんだってさ。

 うふふ。まあ、ここまで言えば察しもつくってもんでしょう。

 その少女、生まれは日本。齢十六。花の女子高生。

 そう。彼女はいわゆる異世界転移者だ。


 特に隠すでも吹聴するでもなく、魔女もお弟子も自然とそんな話をするもんだから、常連客の間でもその少女の話はゆるゆる広まっていった。

 いつもの買い物ついでに一目見ておこうかなんてのもいれば、どれいっちょお目にかかってやろうかい、なんて物見高い連中が押しかけてきたりしてね。


 まあ、見てくれは変わっちゃいるが、特段何ができるわけでもない普通の小娘だったと言うものが五割。

 いやいやあれはなかなか気立てのいい娘だ、通う楽しみが増えたわいと鼻の下を伸ばすものが四割。

 残り一割は……。さあて、どうだろうね。なにしろ森から帰ってくるなり青い顔でぶるぶると震え、何があったか尋ねてみても誰一人口を割ろうとしない。まあ、出かける前は下品な笑いと舌なめずりを隠そうともしない輩だったからね。うふふ。一体どんな目にあわされたことやら。


 さてさて、そろそろお話が始まる時間だ。

 魔女のお弟子の噂もようよう収まって、客足も元通りになった魔女シロトの薬屋。

 今日のお客はご新規さん一名。身なりの整った壮年の紳士だ。どうやら、厄介ごとを持ち込んできたらしいよ。

 はてさて、今回は一体どんな物語が見れるだろうね。

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