第二十一話 ラープでの休日
高く上がった日の光にラインは目を細める。
そしてワクワクする気持ちを持ちながら、船と桟橋とをつなぐ木の板を渡り、ラープの街へと繰り出すのだった。
一月の療養をと考えていたラインだったが、魔力欠乏による不調は数日で、傷のついた身体も半月と経たずよくなった。
暇だ。
そう思い始めてしまったからには、じっとしていられない。最初の数日間はひたすらに魔法を使い、調子を取り戻すとともにその精度を磨いていたのだが、一日中それをしていると流石に飽きてくる。
せっかく水と商売の都市にいるのに、いるかもわからぬアバノ商会の者を恐れて引きこもっているなど、なんともったいないことか。
大丈夫だろう。
たとえアバノ商会の者と遭遇してしまっても、向こうが自分のことを知っているとは限らない。ラインの所属していた部門ではラープに来ることなどないだろう。
いや、大丈夫なはずだ。
まあ、出会ってしまった場合は、その時考えればいい。何よりこのせっかくの機会を楽しまないなどしていいのか。
日に日に楽観的になっていく思考に、ラインはついぞ外出を決めた。
金ならリエールからもらった麻袋がある。更にバッブを仕留めたということでカイヤに出た報奨金をいくらか貰った。カイヤは全て渡したかったらしいが、ラインは断った。ハンターと乗組員で分けてくれと。
麻袋にはそこそこの金額が入っている。すべてを持ち歩くのは流石に怖いので、少しだけを取り出し別の袋に入れて、残りは船に置いて来た。
「どこ行くの?」
足元が桟橋の木から土になったところでカイヤに呼び止められる。
「ちょっと街に行こうかと。流石にずっと船では暇ですから」
「なら案内してあげるよ。ちょうど暇だし」
そう言ってカイヤは横についてくる。
カイヤらハンターは、この都市に着いてから暇をしていた、なんてことはなく、都市周辺のモンスターを狩ったり、組合の依頼をこなしたりして金を稼いでいた。街に繰り出す回数も多い。初めて船を出る自分なんかよりはずっと街に詳しい。
ラインはその提案を受け入れる。
「では、お願いします」
「任せて!」
カイヤは胸を張って応えると、ずんずんと大股で歩き出した。
ラインはそれについて行く。
港を抜け、商会の支部が立ち並ぶ通りを抜けると、城壁と立派な門が見えてくる。
(なぜ湖側に向かって城壁が?)という疑問を持ちつつも「すごい」と感想を呟くと、嬉々としてカイヤが疑問の答えを説明してくれる。
「この壁はラープがまだ王国領だった時のものでね――」
その姿は、まるで知ったばかりの知識を自慢げに語る子どものようであった。いや、実際そうなのだろう。
「――なんだよ」
「そうなんですか……」
ラインが感心したように息を洩らすと、カイヤは次々と話を続ける。昨日今日聞いたであろう話を。
ラインはそれを笑顔で聞いていた。
ラインはカイヤの話に相槌を打つと同時に、この街の豊かさに感心する。
大きな通りは全て石で引かれており、目につく建物もほとんどが石でできている。流石は商戦の最前線。ラインが奴隷としていた都市――王国との経済窓口であったあの都市と比べても随分と栄えている。港付近と比べると獣車や人の数は減ったが、それでも街には活気が溢れていた。
「――それであれが私がよく行くお店。あそこの焼き串が美味しいんだよ」
一通り知っている雑学を披露したカイヤは、今度は店の話を始める。
焼き串が美味しい店だとか、酒が美味しい店だとか。出てくる店がほぼ料亭なのは気のせいだろうか。
またもラインは聞き手として、相槌を打つばかりだった。
「すごく入り組んだ街ですね」
少し歩いたところでラインが感想を言うと、カイヤもうんうんと大きく頷く。
「そうだよね。私も最初は迷子になりかけたもん」
港の方は比較的ひらけていたが、街の奥に進むにつれてどんどんと入り組んだ形になっている。建物が詰まっているというわけではないのだが、上下の移動が激しく、入り組んでいる。
顔を上げればそこに石橋があったり、石橋から顔をのぞかせれば下にさっき通った道があったりする。
「なんかね、ローゲン山脈からの水を流すためにこんな風になっているらしいよ」
「なるほど」
にしても移動が大変だ。
上下の移動が多い。ただの街の人であっても脚が逞しいのはそのせいだろう。
そして道もなかなか分かりにくい。
右の通りに移動するために左の階段を上らなければならない、ということが何回かあった。
「地図が欲しいですね」
今日はカイヤがいてくれるが、明日明後日ともなればハンター家業に勤しむことだろう。
ラインとて、そう毎日街に繰り出そうというわけでもないが、何回かは来るつもりだ。流石に一発で道を覚えられることはできない。
「それなら組合にあるよ」
ラインの呟きをカイヤが拾った。
これは思いがけない提案だ。
カイヤの言う組合とは、ハンター組合のことだろう。一度行ってみたかったハンター組合に足を運べて、ついでに地図も手に入れられる。
ラインはさっそくカイヤに案内を頼んだ。
ハンター組合。
荘厳な見た目とは似ても似つかない荒々しい者たちが今日もひしめいている――ということもなく、人はまばらで、建物もそれほど豪勢なわけではない。
というのも、ラープは一日に何通もの商船が訪れる地。必要なものがあれば、たとえそれがモンスターの素材であっても簡単に手に入る。それに、ハンターの仕事といっても商船や漁船の護衛くらいだ。
カイヤも中々いい仕事がないと言っていた。今は都市周辺のモンスターを狩って小遣い程度の金を稼いでいると。
「たぶん、あそこかな」
カイヤは入ったところで右奥を指さして言う。
「ありがとうございます」
ラインは礼を言い、奥へと進んでいく。
カイヤは知り合いらしき女性ハンターに声を掛けられ足を止めていた。
ラインは少し緊張しながら足を進める。
人はまばらとはいえ、屈強な体に防具を纏った者たちに視線を向けられると体がこわばってしまう。そのほとんどが一瞥しただけで、すぐに視線を外すが、一部はじっとこちらを見ている。防具も武器も持たずに来た新参者を警戒しているのだろうか。
「あの、ここで地図がもらえると聞いたのですが?」
受付らしきところに座っていた女性に声をかける。
「ハンターの方ですか?」
「いえ、違います」
「それでしたら帝国銀貨で8枚です。王国銀貨であれば7枚ですね」
「じゃあこれで」
ラインは麻袋から銀貨を7枚取り出し渡した。
受付の女性はそれを受け取ると、腰を上げて背後の壁にあるいくつもの穴が開いた棚の中から、目的の物が入った場所を探し始める。
「えーっと……あった」
すぐに目的の物を見つけた彼女は、それを持って戻ってくる。
「商人の方ですか? いや、それなら商会の方を使うか……」
珍しかったのだろう。女性は尋ねてくる。
ラインは少し詰まった後、答えた。
「……ただの、冒険者ですよ」
その答えに彼女は「ふふっ」と笑う。
「冒険者って、冗談がお上手ですね」
こんな丸腰の者が、あまりにも真剣に言うもんだから可笑しかったのか。
「この街は初めてですか?」
「はい。港には何日かいたんですが、街は初めてですね」
「そうですか。いい街ですから、いろいろ見て行ってくださいね。宿なら私的にはここがおすすめです。宿屋なんですけど、提供されるご飯がとても豪華で――」
暇だからだろうか。彼女は地図を広げ、おすすめの宿や飯屋などを紹介し始めた。
「――ここは有名です。焼き串があるんですけど、それが美味しくて美味しくて」
地図を指しながら話す彼女の意識はここにはない。紹介した飯の味を夢想している。
彼女の話をラインはよくよく聞いていた。時間とお金の余裕があれば、いくつか回ってみるのも悪くないだろう。
「一つ、気になっていたのですが、ここは?」
ラインは地図上の大きく空いた空間を指しながら尋ねる。
その質問に彼女の意識は戻ってきたようで、咳払いをしてから答えた。
「ああ、ここは領主様のお屋敷です」
街の山脈よりにあるそこは、地図に詳細など描いてはないが、敷地だけは分かる。とても巨大な屋敷だ。
「元々はもう少し小さいお屋敷だったんですが、五年前に領主様が代替わりしてから少し大きくなったんですよ」
そして彼女は夢見心地に語り出す。
「領主様が新しくなってから、この街はより豊かになったんです。税も下がって、そのおかげか港で生まれるお金も大きくなって、何年か前に水賊の襲撃が一度あったんですけど、それも城壁で食い止められて、街に侵入されることはなかったんですよ!」
この街が、そして新領主が、なんと素晴らしいことかを彼女は説く。
ラインは耳にその話を入れながらも、意識は後方に向いていた。先程から
刺さる視線を飛ばしてくる者の元へ。
「そうれはすごいですね。あ、そういえば先程頼み忘れていたのですが、できれば水路図もいただけますか? できれば古いものも――」
「おい」
低い声だ。
振り返ると、自分よりも一回り大きい男がそこに立っていた。もちろん防具で身を包んでいる。
「はい、なんでしょう?」
まるで、何事でもないかのようにラインは反応する。
「ハンターでもねえ奴がここにわざわざここに何の用だよ? それに――」
男はちらりと受付の女性に目をやる。
「――少し喋り過ぎなんじゃねえのか? よそ者が。彼女がこわがっちまってるだろ」
彼女は固まっている。
どちらかと言えば彼女が話しかけてきてたのだが、そんなものこの男には関係ないのだろう。
先ほどからちらちらと女性を見て。なんとも分かりやすい。いろいろ話しかけてくる不審なよそ者を撃退したかっこいい俺、を演じたいのだろう。
「ここで地図が買えると聞いたので来ました。彼女、いい方ですね。この街についていろいろ教えてくれましたよ」
ラインは笑顔で答える。
精一杯無難に答えたつもりなのだが、男は何か気に食わなかったようで、眉間の皺が増える。
「よそ者が。まずは俺に挨拶なんじゃねえのかよ」
「そんなルールがあるのですか! なにぶん、ハンター組合は初めてなもので。知らなかったです。申し訳ない。ラインと言います」
「お名前は?」と差し出した手は叩き落とされた。
「舐めてんじゃねえぞ」
名前の代わりに飛んできたのは拳だ。努めて冷静に会話したのだが、それが逆に良くなかったのだろうか。奴隷だった時も、拳を受けてなお効いていない素振りでいると怒り出す者はいたが、それと同じ類の者だろうか。
突き出された拳は荒い。右手を添えると軌道は逸れ、拳は頭の横で止まった。
「ぐぅ」
さらに癪に障ったようで、彼の額に皺が入る。
二発目として繰り出されようとしていた彼の拳に指輪があるのが視界に入り、魔法を使ってやろうかとも思ったが、そうなることはなかった。
掛けられた声に、彼の拳が止まる。
「ちょっと、私の連れなんですけど?」
カイヤの手が肩に乗る。その声は怒り気味であった。
「あ”あ”? 俺は今こいつと話してんだよ。ってかお前女連れときながら俺のファリンちゃんにまで手を出そうとしたってことかよ」
助けを求めて受付の女性――名前はファリンと言うらしい――を見るが、両手を前に突き出しブンブンと頭を振っている。どうやら彼は、彼女の恋人ですらないみたいだ。
「だっさいね、あんた」
「何だとこのクソ――」
男が本格的に拳を振りかざそうとしたところで、男の仲間らしき人物がそれを制止する。
「やめとけ。こいつ噂の
制止した人物が男の耳元で囁いたことで、男の動きは止まった。
「……ちっ、今日は見逃してやる」
男は心底不服といった感じでその場を去って行った。
ラインの口からは「ふう」と息が漏れ、力が抜ける。そして左腕に向かっていた魔力は霧散する。
力の抜けた肩が、だらんと垂れる。
「ちょっとライン!」
飛んできた叱責に、またすぐに肩が上がる。
「あんたも言い返さなきゃ! それに、会ったときから思ってたけど、下手に出すぎ。もっとオラオラしないと!」
「お、おらおら?」
「そう! 舐められたらダメなんだから、もっとこう、ガンガン詰める感じで!」
カイヤが胸倉を掴んでくる。
「それでこう、ガッと――」
「ちょっと、恥ずかしいからやめてくれよ。リーダー」
組合のど真ん中でカイヤのオラオラ講座が始まりかけたところで、それを止めてくれる者が現れる。
ラインと同じような格好をした。ここには似合わない者だ。
いつもは後ろで括っているその金髪は、休日仕様なのか今日はほどかれている。
「バラハ」
カイヤは彼の登場にピタリと動きを止めた。この状況にようやく気付いたのか、少し顔を赤らめ足早に組合を出ていく。
ラインは固まる女性にお金を払い、頼んでいた物を受け取る。そして一瞬、バラハと目で会話すると、二人して彼女の後を追うのだった。
♢
「なんで!」
カイヤは酒の入ったジョッキを机に叩きつける。
「いやー、こんな感じだろ? 俺もこういう話し方はできないことはないんだが、なんていうか……癖? っていうか……」
「そう! それ! いいじゃん!」
カイヤが身を起こし、いいじゃんいいじゃんと褒めてくる。
「……意識して話そうとすると違和感があるんですよ。無意識でたまに出たりはするんですが……」
「だから、もう! もう!」
カイヤは再びジョッキを叩きつけ、机に突っ伏す。
「その話し方は、それはそれで気持ちわりいんだけどな」
豪快に笑うバラハは、酒を飲むのも豪快だ。グイッと一気に飲み干すと、給仕にまた酒を頼む。
「気持ち悪いって、ひどいですね」
「まあ、うちのリーダーが言ってることも分かってくれよ。お節介焼きだからな。お前のことが心配なんだろうよ」
机に突っ伏したままむにゃむにゃと寝かけるカイヤに視線を向けながら、バラハは言う。
このバラハ、初めて会った時は何だこいつというあまりいい印象ではなかったが、話してみると意外とそうでもない。まあ、酒に飲まれると変わってしまうのかもしれないが。
酒と女が好きな、ただのハンターだ。
「この前の戦闘で死んだ奴ら。違うパーティーだっていうのに、ずいぶんと落ち込んでたんだぜ、こいつ。まあ、リーダーを任されてたからってのもあるが」
「違うパーティー?」
「ああ。船長は
「ギルドとパーティーは違うのですか?」
「んなことも知らねえのかよ」
今の質問は不味かったか。
その無知に驚かれると同時に世間知らずだと笑われる。
「ええ、なにぶん世間に疎いもので」
少し警戒心を抱かれたかと思ったが、バラハは気にしてないようで説明してくれる。
「
バラハは届いた酒を、またグイッとあおり、続ける。
「パーティー同士の関係は、そのパーティーにもよるが基本的には希薄だ。でもうちのリーダーはお人よしだから、そいつらのことも十分責任に感じているんだろうよ」
バラハは目の前に置かれた焼き串を食い、また酒を飲む。
ラインも続いて焼き串に手を伸ばす。
「う……うぉい! ダメだぞ、ライン、そんなんじゃ!」
一瞬しんみりした空気が流れたようにも思えたが、それを破ったのはカイヤ本人だった。
突然叫んだ挙句、またすぐに机に突っ伏す。
ラインとバラハはその奇行にひとしきり笑うと、また焼き串を頬張るのだった。
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