プロローグ②

 ――別に面白い話もない。


 別に面白い話を求めているわけじゃありませんよ。ただ、あなたの物語はなしを――あなたのことを知りたいだけです。

 そうだな……じゃあ、あなたはここに来る前何をしていたのですか?


 ――何を?


 質問が漠然とし過ぎていましたか。

 そうだな……じゃあ、何をして稼いでいましたか?


 ――金は、モンスターを狩って稼いでいた、


 ハンター!? あなたはハンターだったのですか?

 ああ、すみません。ハンターにはとても興味があったもので、少し興奮してしまいました。


 ――別に構わない。失望させるようで悪いが、俺はハンターではない。


 そうなのですね。

 では何の仕事を? 村の警備とかでしょうか?


 ――それも違う。俺は……冒険者だ。


 冒険者? それは昔話などに出てくる?

 ですが遺跡は探し尽くされて遺物も財宝も取りつくされてしまったはずでは? その職業はとっくの昔に無くなったはずです。


 ――ははっ。冒険者ってのは別に職業の名じゃない。


 そうなのですか。


 ――ああ。まあ、そう名乗る奴は昔に比べりゃ随分と減っただろうが。過去はあれほど夢を見られていた冒険者も、今じゃ名乗れば笑われる。


 私は別に笑いませんよ。


 ――モンスターを狩って、売って金を稼いでいた。やっていることはハンターとあまり変わらないがな。

 それでも俺は冒険者だ。


 その、冒険者にこだわる理由は何なのでしょう?


 ――冒険ってのは未知の世界に飛び込むことだ。そして未知を探究、時には踏破する。

 それを辞めた現状維持の人生は、とてもつまらない。俺はそんなもんになりたくないだけだ。


 そう、かもしれませんね。

 その理論でいくと、私の人生はとてもつまらないものだったのでしょう。


 ――だった? 何を言っている? まだお前の人生は終わっていないだろう?


 あなたこそ何を言っているんです? 奴隷落ちですよ?

 これからの人生、私は一生働いて生きていくのです。国の法で奴隷の権利は最低限保証されていますが、実際はそんなものほとんど守られていない。自分自身を買い戻す権利もあってないようなものなのです。

 奴隷から抜け出すことなど、一生かかっても無理だ。


 ――お前はそうだろうな。


 あなたは違うというのですか?


 ――俺は冒険者だからな。


 それに何の関係が……


 ――言っただろう? 冒険者は未知を踏破する者だと。無理不可能だと言われるほど挑戦のし甲斐がある。


 その挑戦は冒険ではなく無謀では?


 ――お前はどうか知らんが、少なくとも俺は冒険だと思ってるというだけの話だ。未知への挑戦。それは人類未踏の地を目指すことかもしれないし、何も知らなかった農民が新たな商売を始めることかもしれない、はたまたガキにとっての初めてのおつかいかもしれない。誰かにとっての未知でなくていい、自分にとっての未知に挑戦する者。俺はそいつを冒険者と呼ぶ。

 俺は冒険者だ。お前は何者だ?


 私は……何者でもありません。今は、ただの奴隷です。


 ―― 一ついいことを教えてやる。

 俺の知っている奴隷に、大貴族に買われた奴がいた。元の主人は酷いもんだったから次はどんな酷い仕打ちをされるのだろうと怯えていたそいつだったが、出てきたのは暖かい食事と寝床に、きれいな服。もちろん仕事はあったが、働けばちゃんとした給与も休息ももらえる。運のいい奴だったよ。

 俺はそいつに聞いたことがある。「十分な金はあるのに、なんで自分を買い戻さないんだ?」と。そいつは答えた。「買い戻す必要がないからだ」と。「ここにいれば飯も住む場所も仕事もある。奴隷という身分上多少の不自由はあるが、自分を買い戻して元奴隷の人として一から生きていくよりかはまし」だなんて言って。

 そいつに昔「一国を相手に取引するような大商人になる」と言っていたことを問うたが、そんなものとうに諦めたと言っていたよ。嫌な顔して、な。

 まあ損得勘定のできる奴だったからな。その選択が本当に得だったのかは知らないが。


 その話がどうしたのです? 私はそんな心優しいご主人さまに買われることもなく、良くて土木工か商会、最悪鉱山に売られることになるでしょう。

 そんな私に――


 ――まあ聞けよ。暇なんだろ?

 人間ってのはどうしても目の前にある楽をとっちまうもんなんだよ。あれほど夢を豪語していた奴でもな。楽へ楽へと流されて、いたずらに時間を消費していく。

 そりゃ楽だよな。自分で選ばず、与えられた道を――流されて生きる人生なんて。


 なにをッ。


 ――そりゃ楽だよな。夢なんて忘れたふりをしてれば。そりゃあ、楽だ。

 だけどな、楽しいか? そう生きてたお前は楽しかったか?

「夢なんて忘れていた」と言ってたお前の顔を見てみたいよ。


 ……楽しい時も、ありました。


 ――いつだ?


 母に、本を読んでもらっていたあの日。主人公になれるのだと本気で信じていたあの日ッ。英雄に、勇者に、冒険者になれるのだと。


 ――はっは! そりゃそうだ。自分の可能性を信じて止まない。その時の人生が最強で、楽しいんだ。



 ガゴン。

 廊下に響く音。幾度も聞いた。鉄の扉が開かれる音だ。その音により口々に話していた奴隷たちの声がピタリと止んだ。これが聞こえたら奴隷は黙って格子の近くに立たねばならない。

 仕方なく立ち上がり、格子の側に寄る。

 説教たれてきた隣人の顔でも拝もうと格子に頭を挟んでみるが、残念ながら見えなかった。


 近づいてくる男の声。話している相手は客か。今日もまた誰かが売られるのだろう。

 足音は全部で四つ。奴隷商の従業員と客に、奴隷の見張り役兼店の用心棒が二人。

 ジャラジャラと鍵の音を立てながら向かってくる足音は、一つ前のところで止まった。


「おお! とてもいい体をしているな。こいつは」

「ええ、この前入ったばかりの奴なんですが、確か元は冒険者だか何だか言ってましたな」

「はははっ。冒険者か。これは面白い」

「まあ実際のところ浮浪者とどう違うかなんてわかりゃしませんが。でも確かにとてもいい体をしているのは事実です。歳は少し高めですが、奴隷なんていつ死ぬかわからないのはみんな同じでしょう?」

「ふむ、そうだな……よし、こいつを買おう」

「ありがとうございます。おい、こいつを出せ」


 従業員が指示を出すと用心棒らによって格子の扉が開かれる。

 買われたか。まだ話している途中だったのだが、残念だ。

 そう思ったその瞬間、ゴンッと鈍い音が一つ廊下に響いた。


「お、おい、何をしてッ――」


 お次はバンッと二つ目。格子が震えた。


「なっ、なあ!? 隷具れいぐが効かない!? はあ!? ど、どうした隷具は! どうやって外した!」

「ひいっ」


 隷具とは奴隷の足に着けられるかせであり、主人や主人の権限を与えられた者が枷の内に刻まれた魔術を発動させると枷が締まり、足が断ち切られる。

 鉄で作られ、魔術回路が刻まれたその枷を、どうやったのかは知らないが外したようだ。魔法でも使ったのか。


「お、お前、こんなことをしてどうなるがッ――」


 ドサッと従業員が倒れる。

 客は――逃げたか。


 廊下には他の奴隷の声が響く。

 助けてくれ。出してくれ。格子から手を伸ばし、口々に叫ぶその光景はまるで地獄のようであった。

 彼らはここから逃げてどうすのだろうか。行く当てがあるのだろうか。逃亡奴隷の行く末など目に見えている。まともな職にはつけず、一生身を欺き隠しながら生きていかなければならない。全員ここから逃げれたとて、最終的に生き残れるのは一割にも満たないだろう。それならば奴隷として最低限の生にしがみついていた方がましなのではなかろうか。

 壁を背にして座り込み、そんなことを考えていると、格子の前に人が立つ。灰の髪に無精ひげを生やした、筋骨隆々とした男だ。それが誰かなど聞かなくても分かる。


「助けてやろうか?」

「助けられるのですか?」

「ああ。俺ならこの格子を破り、その足についた枷を外すことができる」

「その先は?」

「その先? 知るかよ。お前の自由だ」

「私に何も求めず、助けると? なぜ? 逃亡のための囮なら私でなくても他にもいっぱいいるでしょう」


 他の奴隷を見渡しながら言う。


「別に囮を求めているわけではない。それに、この数を解放するのは無理だ。時間がかかり過ぎる」


 用心棒と従業員はそこに倒れているが、客は逃げた。その客が誰かを呼んでくるのもそう遅くないだろう。


「ではこの会話も時間の無駄では? 私など置いてさっさと逃げればいいでしょう」

「なんでだろうな。昔の俺に重ねてんだよ。夢を忘れ、楽しくもない現実に時間を浪費していた俺に」

「勝手に重ねないでください。私は逃亡奴隷になり路頭に迷って死ぬくらいなら、たとえ奴隷であっても生にしがみつきます」

「そうか。死ぬのはどうせ同じなんだ。生のために自分のしたくもないことをする無駄な人生じかんと必死に自分のために生きる人生じかん……まあ、決めるのはお前だからよ、いつ始めるのかもお前次第だ。お前の物語を始めるのに、小説みたく劇的な出来事も出会いもないかもしれねえが……まあ、なんて言うんだろうな……」


 男は頭を掻きむしって言った。


「人生楽しめよ」


 男は立ち去ろうとするが、最後にと足を止めて聞いた。


「お前の名は?」

「……ライン」

「いい名だな」


 男はそう言い残し、今度こそ走り去って行った。

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