第27話 出立(いでたち)

「――――で、俺に話というのは?」


 そこそこ腹も満たされてきた具合、頃合いを見計らって本題に切り込む。

 中途半端に残った葡萄酒を飲み干して杯が空になるが、クシェルは敢えて注ぎ足しはしなかった。流石によく状況が見えている。


「そう身構えるな」


「そうもいきませんよ」


 食い入るように話題を変えたことで、厄介事を警戒しているのだとウァルウィリスも悟ったらしい。

 この領主、これまでも平気な顔で無理難題を突き付けることが多々あった。


 とはいえ現状は治安もよく、領民の喧嘩くらいで戦もない。

 せいぜいが領内の哨戒任務、或いは放火によって荒れた村の再興あたりが妥当だと勝手に推察する。


「私の遣いとして、アミュガット領へ行ってはくれないか」


「……え?」


 放たれたのは想定外の言葉。

 改まった様子で姿勢を正し、やたら真摯な態度で申し出たウァルウィリスへ動揺を隠せない。話題を先行して先手を取ったつもりが、あえなく挫かれた気分だ。


「いや、また何で急に……そもそもあそこは」


 隣の領地、アミュガットとはついこないだまで小競り合いがあった。

 今は文書程度のやり取りで血生臭い話からは遠ざかっているが、いつまた争いに発展するかという関係性。

 そんなところへ何をしに行けというのか。


理解わかっている。が、実は少々都合が変わってな。ヴォルフ、お前は巫女という存在を知っているか?」


「何となくは父から教わった覚えがあります」


 巫女……一説によれば神々に仕える女性。

 父、というか生まれた土地には神々の存在はあれど信仰のようなものは根付いていなかったので、実はあまり理解していないのだが。


「これは内々の話であるが、アミュガットの内政は大きく二つの派閥に割れている。神を信仰する教会の勢力と、それを信じない民族との間にな」


「民族……」


「あそこは元は草原を駆ける遊牧民族の土地。彼らは俗に言う神を認めない、どうにも独自の信仰形態を持っているようだ。うむ、何と言ったかな———」


 小難しい単語を並べていたウァルウィリスが詰まる。

 どうやら本人も聞き慣れぬ言葉のようだ。

 少し考える素振りをした彼はどういう意図か黙々と食事をするクシェルへと視線を流した。


「……精霊、ですよね。先祖の魂や記憶、意識が万物に宿ると考えていると聞きます」


 クシェルは特に記憶を探る素振りも無く、見向きもせず淡々と答える。

 助け舟を期待していたらしいウァルウィリスが満足げに頷いた。


「それだ、お前の妹は物知りだな。そう、精霊だ。神を信じないだけならまだ良かったが、別の信仰対象となると勝手が違う。一つの土地にそうした存在、宗教は二つ栄えぬが必定だ」


「傲慢ですね。その民らの居場所に乗り込んでおいて、下らない話だ」


「ほう、信仰心は下らぬか」


「別に……何を信じようが個人の自由ですが、言葉も交わしたことの無い相手に信仰も敬意もありませんよ」


「くく、お前も神を信じないのか? アルガスも同じことをいう。騎士とはそういうものかな」


「俺は騎士では無いので解りませんが、信仰よりも大切なものが有りますので」


 信じるべきは磨き上げた己が剣術と、兄妹クシェルとの絆。

 神の入る余地など僅かにも無かった。


「成程、一理あるな。いや、お前のような男が言うからこそ納得できる台詞だ。だが、多くの人々はそうではないよ。無論、私とて例外ではない」


「意外ですね、神に希わずとも全てを得られるでしょうに」


「はは、こやつめ、皮肉めいているぞ。――――それで、だ。問題はその遊牧民族の集落に巫女が誕生してしまったこと。お告げにあった神の現身……教会が掲げる神と瓜二つの容姿で生まれたことで、教会の権威が揺らぎ始めた。正しい信仰はどちらにあるのかと、ついには暴動にまで発展したらしい」


 それこそ皮肉だな、と表情に出さずとも内心で笑った。

 神を免罪符に権力を振るった愚かな者への、文字通り神罰にも思える。


「しかし、それこそ領主や軍が動けばいいでしょう。領民の小競り合いなど大した苦労でもない」


「その肝心の兵士は我々との戦で大部分を損耗。将軍は覚えているかな、お前が首を刎ねた男だ」


「あぁ、あのデブ」


 いつかの大戦でアルガスと特攻を仕掛けた記憶がある。

 まさに死地に飛び込む行為であった……相手の力量は一兵卒以下だったけれど。


「あちらも一枚岩ではない。膨れ上がった教会の権力に領主すら手を焼いている。弱った軍では各地での暴動はおろか、巫女の暗殺や先住民であるはずの遊牧民族を排斥しようとする企てすら防げぬほどに」


「……まさか、俺にそれを止めろと?」


「アミュガット領主から直々の要請だ。長く争っては来たが、此度の要請を以て友好の印としたい。お前には、我々とアミュガットを繋ぐ架け橋となってもらいたいのだ。領主や巫女を守り、見事争いを止めてみろ」


「少々血の匂いがしますね」


「おそらくは危険な旅になる。お前の強さを見込んでの話だが、引き受けるか」


 意外にも断りの想定があるらしい。

 領主としての命令には逆らえないはずだが、俺が権力に支配されない人間だと理解しての言葉なのか。

 もしくは、それほどに危険な任務……。


「わかりました、いってきます」二言返事で引き受けると、ウァルウィリスは安堵した表情を見せた。「よいのか? また死地に追いやることとなるかもしれん」などと口では言っているが、実際にはほぼ承諾されると踏んでいたはず。


「構いませんよ、そろそろタダ飯の代金を払わなきゃと思っていたところです。それに、少し怠けすぎましたから」


「そうか、どちらにせよお前ならば安心だ。仔細は追って話すとしよう」


 話し終えるとウァルウィリスはそそくさと退席の準備を始める。

 今日も今日とて領主は多忙なのだろう。

 わざわざ遅れてきた俺たちに食事のペースを合わせていたのは、この話がしたいがため。


「ああ、そうだ。それともう一つ、そなたを選んだのには理由がある」


「?」


 用件を済まし席を立ったはずのウァルウィリスが不意に動きを止めた。

 何か都合の悪い事を思い出したのか、落ち着きなく顎をさすっている。言葉はすでに喉元まで出掛かっているようだが、言うべきか言わぬべきか迷っているようだった。


 いい加減、次ぐ言葉を催促しようとした直前、やっとウァルウィリスが続きを語る。

 おそらくはあえて彼が秘していた、今回の遠征を判断するための決定的な一言を。




「――――嘘か誠かその巫女、《奇跡》を起こすらしい」



 ◇



 三日後。

 夜明け前に準備を済ませ部屋を出れば、すでに兵舎前は集まった兵士で騒がしくなっており、三台の馬車も用意されていた。

 眠気眼を擦り馬車に近付くと、幾人かの兵士が出征の為の荷を積んでいる最中であった。

 食糧や雨風を凌ぐ外套、衣服、武器や樹皮といった燃料から諸々が次々に運ばれてくる。

 そのうち、一人の兵士がこちらに気付いて駆け寄ってきた。


「ヴォルフさん、おはようございます」


「おはよう。悪いな、任せてしまって」


「いえいえ、これも仕事ですから」

 

 まだ陽も昇っていないというのに活力溢れる青年――いや、少年と呼ぶ方が適切か。

 どことなく見覚えのある顔だが、何処かで接点があっただろうか。この年頃ではまだ戦場に立ったことも無いはずなのだが……。


「君もこの遠征に参加するのか?」


「はい、特別に加わらせて頂きました! アルガス様と並ぶ剣才のヴォルフさんにお供できる好機は滅多にありませんから」


 飛び込むかの勢いで顔を近づけてきた少年は、夜に慣れた目では眩しいくらいに瞳を輝かせた。

 尊敬してもらえるのは嬉しいが、苦手なタイプだ。


 ところでこの少年、よくよく見ればクシェルと一緒に居た少年ではないか。

 記憶違いで無ければ(おそらく)行為を抱いているようだった。

 何か進展はあったのだろうか?


「今回はそれなりに大所帯だな」


 ウァルウィリスからの与えられた任務に同行するのは俺を含めおよそ五十人余りの兵士、そして文官を務める秘書が一人。

 一部を除き皆ある程度の面識があるものばかりで、自分目線にはなるが特に有望な人物が集められている気がした。

 つまり、それほど危険度が高い証拠だ。


 あらかた荷造りを終えた辺りで一度招集をかける。

 ここからしばらくは慣れぬ土地で寝食を共にする同士だ。今更自己紹介などは不要だろうが、統制は取っておかねばならない。


「此度の任務で隊長を務めるヴォルフだ。諸君らとは幾度も死線を越えている仲なので、特に憂慮することも無いが……今回はアミュガット領主直々の要請とあってどんな敵、危険が潜んでいるか判らない。教会の暴走と領民の暴動の抑止、領主と巫女の守護。やるべきことは多い。気を敷き締めていこう」


「隊長、俺たちは向こうでどう動けばいいんですかい。いまいちわかってねえんだ」


 中年の兵士が小難しい顔で手を挙げた。

 彼も確か、アミュガットとの戦で何度か共に出征した男だった。


「難しく考える必要は無い。詳しいことは同行する秘書アリアに一任してある。俺たちはただ、敵を打ち倒せばいい。いつもと同じようにな」


「よろしく頼むよ」陰に控えていた秘書に一礼すると、彼女は「はい、頼まれました」と同じように一礼を返す。


 女性にしては背が高く、群青の瞳とやや焼けた小麦色の肌が特徴的だった。

 少しごわついた衣装にもかかわらず、はっきりと形の分かる女性としての隆起に意識を取られそうになる。

 何かこの女性ひとやたらと艶っぽいな、えらく顔立ちもいいし、ウァルウィリスの趣味だろうか。


「まあ、そのなんだ。向かってくる障害からお前らを全力で守る。代わりにお前たちは俺の背中を守ってくれ。そしてまた、この土地に帰ってこよう、全員で」


 適当な台詞で締め括ったが、そこそこの効果はあったのか兵士たちが唸るように応えた。

 指揮は十分、あとはいよいよ出発するだけだな。

 最後にクシェルに会ってくるか……きっとまた余計な心配をするだろうからな。


「すっかり一人前ですね」


「ん、まあ、慣れてはきたよ。相変わらず人前に立つのは好きじゃないけれ……――――ど?」


 声を掛けられ反射的に返事をするも、すぐに声音に違和感を覚える。

 まさかとは思いつつ、ゆっくりと視線を這わせたそこには純白を纏う女性が一人。


「おい、お前なにしてる?」


 クシェルだった。

 基本彼女は早起きとはいえ、普段はまだ夢を見ている時間帯。

 よもや起きてくるとは。


「決まっているじゃないですか。私も行きます」


 さも当然の事のように彼女は宣言した。

 よくよく見ると服装も外套にブーツと、野外で過ごすための格好をしている。

 本気でついてくる気らしい。


「待て待て待て、流石に今回は無理だ。お前は戦えないし、どんな敵がいるかも分からん」


「変な虫が付くといけませんから。兄さんは節操がない人なので見ておかないと」


 ちらっとクシェルの目線が横にずれた。

 その方向には積まれた荷を確認しているアリアの姿。


「別に特別な興味なんてないぞ?」


「ちょっと見惚れていたくせに」


「……それは」


「安心してください。きちんと領主様にもお伺いをして、正式に許可を頂きました」


「あの領主やろうっ」


 俺がクシェルを戦いから遠ざけたがっていることをウァルウィリスはよく知っている……上手く言いくるめられたか。

 相変わらず抜け目のない子だ。

 こうなっては何がなんでも同行するだろう。


「はぁ、わかったよ。ただし、俺から離れるんじゃないぞ」


「はい!兄さん!」


 クシェルが同行するのは完全に想定外だが、やることは何ら変わらない。

 いつも通り彼女を守る、ただそれだけの事。


「これでまた一緒に過ごせますね」小さく、囁くよう彼女はそんなことを言った。

 場合に依り、いや、確実に今回は荒事となる。だというのに彼女はまるで遠足気分。


 かくして不安を残しながらも、一行はクウェンを出立する。

 目指すはアミュガット領。

 巫女が生まれし精霊の土地だ。



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