19.

「優斗、これ、そっち持て」


「はい」


「いくぞ、……せーの」


 昔の家具って、なんでこんなに重いんだろう。箪笥やら茶棚やら、やけに重たいものが多い。この寒いのに俺は額に汗を浮かべながら作業している。けど、向こう側を持つ賢三さんは涼しい顔をしている。俺の方が若くて力もあるはずなのに、どうしてこんなに違うんだ?


「んじゃ置くぞ。そーっとな。手、挟むなよ」


「はい」


 ばあちゃんの引っ越し先は、2DKで一人暮らしには広めの部屋だった。


 そうは言っても、一軒家の荷物は多い。とてもじゃないが、全部は運びきれない。残したい家具と、手放す家具。それがどれなのか、ばあちゃんにメモをもらって分けるだけでも一苦労だった。


「ひとまず、今日はこんぐらいか」


「はい。賢三さん、毎日本当にありがとうございます」


「いいっていいって。お互い様だかんな」


「ちょっと待ってください。今お茶出しますから」


 俺はそう言うと急須でお茶を用意した。何も考えなくても、ちょうどいい量で湯飲みにお茶を注ぐことができる。こんな当たり前のことが、ふとした時にできなかったあの頃を思い出させる。


「悪いな」


 お茶をすする音だけがしている。家の中は静かで、しんとしていた。


「飯は、ちゃんと食ってんのか?」


「うん、冷蔵庫の食材も食べないと勿体ないじゃん。だからあるものでなんとか作ってみたり、あとは美咲が結構おすそ分けしてくれるんだ」


「ほう……。美咲ちゃんも随分元気になったよな。やっぱし、同い年の男っ子がいるといいんだな」


 賢三さんは目を細めてにっこり笑った。


「こんな田舎でも、青春してんだから、若いっちゃいいな」


「別に、そんなことは、ないけど」


「はっはっは。……優斗、火ぃあるか?」


「あ、うん、はい。ちょっと待ってて、灰皿持って来る」


 銀色の灰皿を賢三さんと俺の間に置いた。


 縁側に射す光は弱々しく、日が傾いていることがわかる。


「はあ……。そういや、優斗のじいちゃんとばあちゃんは、恋愛結婚だったんだ」


「そう、なの?」


「ああ。誠さんは腕っぷしが強くて、今で言う……なんだ、番長みたいな感じか?」


「番長って」


 俺は思わず吹き出した。


「心根の優しい人でな。ちよさんは頭の良い人で、愛嬌があった。誠さんが一生懸命口説き落としたんだ」


「へえ、知らなかった」


「だけど誠さん、あんなに早く亡くなって、ちよさん気の毒でな」


「俺が生まれる前に、亡くなったんだよね」


「孫の顔見るのを、それはそれは楽しみにしてたんだがな。交通事故でな。良い人ってのは死ぬのが早いもんだ」


「そう、だったんだ」


 そういえば、俺はそういうことを何一つ知らなかった。


「お前のばあちゃんは、強い人だからな、誰にもなんにも言って来なかったが……。ここに道路ができる時だって、協力して、地域の人を説得して回ったが、この家を離れるのはいっちばん嫌だったろうよ」


「……壊されちゃうんだよね」


「ああ。道になるからな」


 賢三さんの吐き出す煙草の煙が、ゆらゆらと視界に入る。


「こんな時に入院なんてことになって、ちよさん、きっと悔しいだろうよ。だからな、優斗、よーく話を聞いてやれ。俺らには言えないことも、家族には言えたりするもんだ」


「俺で、大丈夫かな」


「大丈夫だ大丈夫だ。孫のお前にしかできねえよ」


 そう言って賢三さんは、俺の肩をポンポンと叩いた。


「んじゃ、お茶ごっつぉさん。また明日な」


「うん、ありがとうございました」


 排気ガスの臭いをまき散らしながら、賢三さんの運転する軽トラは出発した。


「おばんです」


 手を振って見送っていたら、門のところから声をかけられた。


「あ、関口さん、こんばんは。どうしたんですか?」


「いやね、ちょっと、これ」


 手に持っていたビニール袋を差し出す関口さん。受け取るとまだ温かい。


「なんですか?」


「ギョーザだよ。作りすぎちゃってね。もらってくんないかい?」


「え、いいんですか?」


 ビニール袋の口を解いて中を確認すると、えんじ色のプラスチック容器に、餃子が詰まっているのが見えた。


「いいんだよいいんだよ。どうせうちはあたしとじいさんしかいないんだからね。老いぼれはこんなに食べきれないから、頼むからもらっておくれ」


「ありがとうございます。嬉しいです」


「よかったよ。ところでちゃんと食べてんのかい? ちよさん居ないからって、適当なご飯になってないかい?」


「あはは、大丈夫です。ばあちゃんに、少し料理も教わってましたし、美咲……小野瀬さんちからおすそ分けもたくさんいただいてるんで」


「あー、そうだったのかい。食べてんならいいんだよ」


 そう言ってにっこり笑う関口さん。


「ちよさんのこと、大変だろうけど頑張んなね。なんかあったらいつでも言ってちょうだいよ」


「はい、ありがとうございます。今は家具を持って行くのとそうじゃないのに分けてて、来週くらいには運んだりとかできると思うんですけど」


「あれ、そうかい。どんどん寒くなっから身体壊さないようにね」


「はい。関口さんも気をつけてくださいね」


「あたしゃ元気が取り柄だからね。そんじゃ、邪魔したね」


「あ、ありがとうございました!」


 手を振って帰って行く関口さん。


 俺の手に残された袋は、とても温かかった。



―――――



「ばあちゃん、来たよ」


「毎日悪いね」


「こんばんは」


 同室の人たちに頭を下げながら、ばあちゃんのベッドへ向かう。


「これ、着替えね。あと本と、編みものも持って来たよ」


「ああ、ありがとうよ」


 丸椅子を取り出して俺はばあちゃんの隣に座った。もう窓の外は真っ暗で、部屋の明かりが反射して病室がよく映る。薄い水色の入院服を纏った反転したばあちゃんは、とても弱々しく見えた。そんな姿を見たくなくて、俺はブラインドを下げた。


「今日も賢三さんが手伝ってくれて、だいたいは仕分けが終わったよ」


「重い物もあったろ。大変だったね」


「俺、めっちゃ汗かいて大変だったのに、賢三さんは汗ひとつかいてなかったよ」


「生きてる年数が違うからね。身体の使い方がよくわかってんだろうよ」


「そういうもんかなぁ」


「そういうもんさ」


「あと、関口さんがギョーザ作りすぎちゃったからってくれたんだ。まだ温かかったから、一個食べてきたんだけど美味しかった」


「ありがたいねえ。みんな優斗のこと、気にかけてくれて」


「うん」


 他愛のない今日起きたことの話。入院する前は気にも留めない会話だった。


「ばあちゃん、あのさ、道路作るの賛成したの、なんでなの?」


「なんだい、藪から棒に」


「ばあちゃんにとって、あの家は大切なところなんでしょ?」


「誰だって、自分で建てた家ならそりゃ大事さ。できることなら、なくしたくあんめえよ」


「じゃあ、なんで?」


「自分の家や土地を守ることも、そりゃ大事だけどね。道ができるってことは、町が豊かになるってことなんだよ。町が豊かになるってことは、自分たちの子や孫やその先が良く暮らせるってことだ」


 ばあちゃんは俺を諭すように言った。


「自分たちの暮らしもそのままで豊かになったら、それが一番いいけどね、限られた土地の中じゃそうもいかない。ずっと未来の自分たちのために、誰かがそうしなくちゃいけなかったんだよ。それが、たまたまうちに被ってたってことさ」


 ばあちゃんはそう言って、自分の言葉に深く頷いた。


「自分で色々あれしたかったけど、そういうわけには、人生上手くいかないもんだ。まったくね」


「…………」


「さ、そんなことより、お饅頭食べないかい? 寺田さんがわざわざ見舞いに来てくれてね、美味しいお饅頭をもらったんだ」


 ベッドわきの戸棚へ手を伸ばし、ばあちゃんは茶饅頭を二つ取り出した。


「ほら、たくさん働いて疲れたろ。そういう時は、甘いもんがいいのさ」


 ばあちゃんから受け取った茶饅頭は一口で食べられそうな大きさだった。ばあちゃんはそれを四つに分けて大事そうに食べている。


「ばあちゃんって、饅頭そんなに好きだったっけ?」


「ここの饅頭が特別好きなのさ」


「ふうん」


 薄い透明なフィルムのようなものをはがし、一口かじる。素朴な饅頭の食感と、しっとりと甘い餡子が口いっぱいに広がった。


「美味いだろ」


「うん」


「ああ、美味しかった。ごちそうさまでした」


「うん、ごちそうさま」


「さ、今日ももう遅いからそろそろ帰りな。帰り道、車には気をつけるんだよ」


「うん、わかってるよ。また明日来るからね」


「毎日来るのは大変だからいいけどね、来るときは気をつけて来なね」


「うん、おやすみなさい」


「はい、おやすみなさい」


「お邪魔しました」


 俺は同室の患者さんたちに頭を下げて病室をあとにした。


 病院というのは、人を何倍にも老けさせる場所なのかもしれない。いつもちゃんとした服を着て、ちゃんとしていたばあちゃんがどんどん小さくなっていくように見えた。

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