6.

「優斗、朝のうちにお茶菓子買ってきてちょうだい。おせんべいと甘い物ね」


「誰か来るの?」


「来るかもしれないし、来ないかもしれない。でもいつ来てもいいように、お茶菓子は切らさないでおくんだよ」


「ふうん」


「さ、早く行っといで。買い物を終えたら、まっすぐ帰って来るんだよ」


 はじめてのおつかいかよ。俺は家を出ながらそう思った。ここ数日はばあちゃんにあちこち連れまわされたり、挨拶させられたりして毎日へとへとになっている。それが今日やっと解放されて、俺は少しだけスキップしたい気分だった。


 ま、面倒くさいことには変わりないんだけど。


 それにしても、年寄りの生活ってこんなに忙しいものなのか。仕事をしてるわけじゃないのに、ばあちゃんは毎日やることがあった。誰かと約束してるふうでもないのに、ふらりと人が訪ねてくるのが普通だった。


『八のつく日は野菜が安い! 本日野菜全品セール!!』


 ガタつく自動ドアをくぐるとこれでもかというほど大きな音で広告が流れている。東京のスーパーよりも声のボリュームが大きい気がするけれど、東京でスーパーに入ったことがあったか、記憶が定かじゃない。


 さて、お菓子コーナーはどこだ。こじんまりとしたスーパーを闇雲に歩く。


「あらこんにちは、ちよさんとこのお孫さんね」


 不意に声をかけられ、俺はドキッとして立ち止まった。


「あ、こ、こんにちは」


 調味料の棚から顔を出した、背の低いおばちゃん……いや、おばあちゃん? この人は誰だろう。


「今日は優斗くん一人?」


「あ、はい。ばあちゃんにお茶菓子買って来いって頼まれて」


「あら、そうだったの。どう? ここでの生活は少し慣れたかしら?」


「は、はあ、まあ」


 どう答えろって言うのだろう。目の前にいるこの人が誰かもわからないし、生活に慣れるかどうかなんてどうでもいいことなのに。


「都会みたいな刺激はないけど、のんびりしていいところだからね。ゆっくりしていくといいよ」


「は、はい、どうも」


 それじゃあね、とにこやかに買い物カートを押して去っていくおばちゃん、もといおばあちゃん。小柄な後ろ姿を見ながら、一体誰だったんだろうと考える。考えるけれど、昨日も一昨日も色んな人に挨拶させられて、誰が誰やらわからない。


 俺は面倒くさくなって考えるのをやめた。そしてようやく辿り着いたお菓子コーナーから、小分けパックになっているスナック菓子とチョコレート菓子を手に掴んでそそくさとレジへ向かった。


 もう話しかけられませんように。誰なのかわからないし面倒くさいから、どうか誰にも話しかけられませんように。


 俺の前に並んでいるおばあちゃんも、俺の後ろに来たおばちゃんも、誰も彼もがばあちゃんの知り合いに見えてくる。できるだけ自分の存在を消すよう、俺は努めた。


 こんな努力をしなくたって、東京では透明人間みたいになれたのに。誰も他人のことなんか気にしない。死ぬほど人で溢れてるのに、透明な集団。


 そういや、あいつらから連絡ないけど、もしかして心配とかしてくれてるかな。


 そんなことを考えながら、俺は急いでばあちゃんちに帰った。帰り道だって、誰に会うかわからないし。


「ただいま」


「おかえり、早かったね」


 茶の間を覗くと、ゆっくりとお茶をすすっている。その姿を見て、ほんのちょっとだけホッとしている俺、本当に子どもっぽくて恥ずかしい。


「早く帰って来いって言ったの、ばあちゃんじゃん」


「ふふ、ちゃんと聞いてたんだね」


「はい、お菓子とお釣りとレシート」


「ありがとうね。……優斗、こっちは聞いてなかったんだね」


「何が?」


 ばあちゃんは俺が買ってきたスナック菓子とチョコレート菓子を取り出して言った。


「おせんべいと、甘い物って言ったんだけどね」


「……そうだっけ?」


 そう言われた気もするけど、言われていないような気もする。


「年寄りはスナック菓子を食べると胃もたれするし、チョコレートは食べ過ぎると虫歯になるんだよ」


「た、たまには違う種類のお菓子も食べないと飽きちゃうだろ」


「ふふん、言うじゃないか。まあ今回ははじめてのおつかいだったからね、大目に見るべ」


 ばあちゃんはちゃぶ台に乗っていた茶色くて丸い、お菓子が入った器にガサガサと足していった。せんべいと、カラフルな色をした白いザラザラがついている何かを器の端に押しやり、大きく空いたスペースにスナック菓子と、チョコレートを詰めた。それぞれのお菓子は、こんなふうに一緒くたにされるなんて夢にも思っていなかっただろう。


「次からはもうちょっと年寄りに優しいお菓子にしておくれ。それじゃこれ、お駄賃」


 お釣りをポケットにしまったついでに、ばあちゃんは千円札を取り出して俺にくれた。


「そろそろ煙草がなくなる頃だろう?」


「えっ、あ、うん」


 お駄賃だなんて。


「こういう時は、ありがとうって言うんだよ」


「あ、ありがとう」


 俺は受け取った千円札をまじまじと見つめた。千円なんて、東京では一時間分の給料にすらならないのに。今目の前にある千円は、なんだか違って見えるのはどうしてだろう。


「お昼ご飯までには帰っておいでよ」


「え?」


「煙草、買いに行くんだろう?」


「あ、うん」


 千円を掴んだまま、ふらりと家の外に出た。


 交差点の角の煙草屋には、今日も女の子がぼんやりしながらカウンターに座っていた。確か美咲とかって呼ばれてたっけ。


「あ、こんにちは」


「……」


「アメスピのオレンジある?」


「…………どれ?」


 かすれたような声で美咲は喋った。そしてゆっくりとカウンター周りの煙草のパッケージを見渡している。


 俺もつられて見てみるが、俺の煙草はどうやら取り扱ってないようだった。


「あ、ごめん、ないかも」


「……」


「あ、じゃあ赤マルでいいや」


「…………どれ」


「それ、その右上、じゃなくて美咲ちゃんから見たら左上の、赤いパッケージのマルボロってやつ」


「…………はい」


 つい勢いで名前を呼んでしまったけど、美咲の反応は特になさそうだった。


「なぁ、ここってどこで遊ぶの? 俺は東京に住んでたから、よく渋谷とかに遊びに行ってたんだけど」


「…………これ、お釣り」


「ここは、なんにもないね。突然姉ちゃんに連れて来られてさ、ホント困っちゃうよね」


 煙草に火を点けながら、俺の口は勝手に喋っていた。美咲からの反応は何もないのに馬鹿みたいだ。軒先に置いてある、銀色の灰皿に灰を落としながら思った。


「ちゃんとやんなよって置いていかれて、多分東京の友達は俺のこと心配してると思うんだよな」


 どうでもいい自分語りがさむい。自覚症状アリなのにだらだらと喋ってしまうのは、同年代ってやつに飢えていたのか。年寄り以外だから、口が軽くなっているのか。


「そろそろ戻らないと、ばあちゃんがうるさいから帰るね。また買いに来るから」


 なんでそんなことを美咲にわざわざ伝えるのか。


 久しぶりに吸った赤マルはずしんと重たく、俺にのしかかってくるようだった。



―――――



「久しぶり」


『最近見ないけど何してんのー?』


 ガヤガヤという雑音がスマホの向こうから聞こえてくる。こんなざわめきさえ、懐かしいと思ってしまう自分がいる。


『まさかバイト続いてるとか?』


「んなわけないだろ。田舎のばあちゃん家にキョーセーレンコーされたんだよ」


『なにそれ、意味わかんね。笑える』


「朝起きたら姉ちゃんに車乗せられて連れて来られて、しかも財布にカードないし、金もないし、電子決済もできないような田舎に閉じ込められちまったんだよ」


『まーじ笑える』


「早く帰りたいよ。そっちはどんな感じ?」


『どんなって、いつも通りだけど。そんな田舎じゃ、聞いたってどうしようもないだろ』


「心配してくれてるのか?」


『どうだろな。ぶっちゃけ、関係ないっていうか』


「そ、そんなこと言うなよ」


『田舎とかよく耐えられるよな。俺、無理だわ』


「俺だって無理だよ。朝早いし、夜も寝るの早いし。ばあちゃんにこき使われるし」


『ま、帰ってきたら連絡してや』


「え、それだけ?」


『俺らにできることなんかないだろ。せいぜい頑張ってな。じゃ、忙しいから』


「は、ちょっと待てって」


 ぷつりと途絶えた通話。あんなに毎日一緒にいたのに、こんなにあっけなく終わるものなのか。


 そこそこ楽しかったあの日々は、俺にとって一体なんだったんだ。いや、あいつらにとって俺は空気でしかなかったのか。


 こんな形で一人ぼっちだなんて、気がつきたくなかった。



―――――

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