【おまけ】二人称「小説」というのはゲームで普及した

 二人称小説ってちゃんとあるんです。主人公はあなたです、というのが二人称小説で主にポストモダン文学に見られました。ミシェル・ビュートル著の『心変わり』や倉橋 由美子著の『暗い旅』が有名なんですがほとんど聞いたこと無いと思います。


 ですが主人公が一言もしゃべらない「物語」を二人称で日本全国に普及したのは実はゲームなんです。(※念のために言いますが二人称文学でも主人公が会話する文学は普通にあります)


 そうです。代表格は『ドラゴンクエスト』シリーズです。厳密に言えばDQ1~DQ7までです。実はDQ8になると戦闘画面時でも主人公の姿が見えてしまっており「三人称」になっております。カメラ目線に変わったんですね。


 よくお考え下さい。モンスターが自分に向かって(=プレイしてる画面の向こうの貴方に向かって)攻撃してくるんです。したがって二人称小説というのも一人称小説に近いのですが……二人称物語である最大の特徴は「主人公が一言もしゃべらない」のです(=しゃべるのは画面の向こうの現実世界のあなたです)。DQの説明書をよくお読みください。「主人公=あなた」とあります。立派に二人称「小説」です。


 (※なお小説版ドラゴンクエストシリーズでは二人称小説で書くのは不可能だったようです)


 したがって二人称「小説」というのはもう「RPG」でみんな経験済みです。そんな二人称小説はいわゆるポストモダン思想の衰退とともに21世紀に入るころにはほぼ消えました。したがって2023年現在に置いて二人称文学を探すのは困難です。そしてDQ7もギリギリ2000年発売(20世紀の最後の年)ということでこの作品を持って主人公が無言で「主人公=あなた」というのも消えました。


 (※もしかしたらフランス文学界隈でひっそりと二人称文学をやってるのかもしれませんが本国フランスでは、どうなんでしょうね? お察しください。なにせフランスでポストモダン文学として二人称文学を実験的に行ったのは早いものだと1950年代ですから)

 

 ユア・ストーリー(あなたの物語)というのは結局21世紀において支持されませんでした。これはゲームでもそうで『ウイザードリイ』なんかでもそうです。主人公が一切しゃべらず選択肢で「はい」か「いいえ」かを選ぶだけというのは今の時代、受けないのでしょう。そして声優の声が入り100%二人称では無くなってしまいました。声優の声が入るということはもうこの時点で第三者の視点ですから(自分の声じゃない)。DQはムービーシーンも入りました。過去作のリメイク版にもムービーシーンを入れてるのでDQは二人称物語を捨てたという意味にほかなりません。


 それは小説でも同じで「ガイドブック」のような叙事詩というのは今の読者には受け入れがたい、ということでしょう。


 最近のゲームって酷いんです。とにかく登場人物がまるで格闘ゲームのようにしゃべりまくりながら必殺技を出すのです。「うるさい!」ってならずに受けてる時点で自分はもう傍観者だし、SNSでの炎上をエンターテインメントとして楽しんでる人たちを見ると二人称小説なんて受けようがないのでしょう。だって他人事ひとごとだから。


 したがって、二人称小説を書くのは21世紀の今……事実上不可能です。


 そもそも「ユア・ストーリー」で重要なのは現実世界でも「貴方の物語」とすることです。それには自分の責任で自分で大事な1票を投じ自由の裏には責任が伴うという自覚が大原則です。DQ1のゲームオーバー時を思い出してください。真っ赤な画面で「あなたはしにました」と出ます。それが自分で招いた悲惨な現実を受け入れるということです。しかし肝心な大人が「公民」であることを放棄しているこの世では不可能なんですよ……。自分で招いた悲惨な現実を受け入れたくない大人ばかりでは、ね。ゲームをやり直す時に王様が言うでしょ。「しんでしまうとはなさけない」と。あのセリフの意味は「勇者はブラック企業並みの劣悪待遇」という意味じゃなくて「無謀な行動がそのような結果を招いたんだぞ」というあなたへの警告なんです。


 なお二人称小説というのは残酷でリメイクDQ4が代表格ですが自分の故郷の村人を惨殺し焼き尽した魔王ピサロと共に旅をし真・ラスボスと戦うことになります。自分がどう思おうが物語は「ユア・ストーリー」で進んでいく。

 もちろんあなたの物語なので勇者=あなたが「きゃー、ピサロ様!! かっこいい!!」でもいいし、都市伝説になってますがシンシアが生き返ってるシーンに対し……「勇者が見ている幻にすぎず、勇者はあまりの理不尽さで頭がおかしくなった」という解釈でもいいのです。ちなみに私はピサロとロザリーがせめてものお詫びにということでシンシアを特別に復活させたというハッピーエンドと解釈しております。

 二人称文学で重要なのは「どうとでも解釈できる物語を構築する必要がある」ので執筆の難易度が極めて高い事です。ゲームという媒体だからこれがどうにか出来ただけで文字情報だけとなるとさらにハードルが高くなるわけですし、今の読者は「このシーンの解釈は読者に委ねます」というエンドを一番嫌うようです。特に今の10代はもやっとするエンドに対し「不親切」と取るようです。


 そういう点も含めてですが二人称小説は流行しなかったのかもしれません。


(※なおこの「おまけ」のBGMはアッテムトの音楽が流れます。たぶん)

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