第四話 では、なぜ「神人称」が廃れたのか

 では、なぜ神人称が廃れたのか。単に十九世紀に写真機や動画カメラの登場に驚愕したから?だとしたら一時的なムーブメントで終わらないと。百五十年も続くわけがない。


 神人称ってすごいんだ。単に一人称・三人称とブレブレになるだけでなく「デウス・エクス・マキナ」と言って物語を強制終了させたりも出来るんだ。ギリシャ劇でおなじみだね。


 (※なお二十世紀後半からは「僕たちの戦いはこれからだ!」と三人称ワンカットで物語を強制終了させる。つまり打ち切り作品って事)


 そうなんだ。「神は死んだ!」でおなじみの「ニーチェ」に代表されるようにゴッドの威光が消えて人間中心主義で文学が構成されるようになったからだ。


 では、神が死んでないところ。つまりイスラム圏やヒンズー圏の文学ってどうなんだろうね。先に言うけど「神人称」って別に一神教の神とは限らないからね。むしろスピノザを紹介したように多神教的な発想なんだ。汎神論だしね。


 でも日本人は近代イスラム文学とか近代インド文学なんてまるで興味ないだろうね。つまり「人称が~」なんてこだわるのは欧米圏と日本と韓国ぐらいなのかもしれないし、その欧米も人称って怪しくね? となって来てるわけ。気が付いてないのは日本人だけ。


 残念なことに……この国、最近は英米文学ですら興味を失って来てるんだ。


 (※ここ最近十五年ほど外国人が書いた文学がヒットしたか? ってことを確かめるとよくわかる。この国は二一世紀初頭から外への興味を失った。だから最近ここ一五年ハリウッド映画ですらヒットしなくなったんだ。外国人が見た日本はガラパゴスな文化圏で特に奇異に映る事だろう)


 もう一つは読本文学はともかく近代以前の文学って神視点というだけあって格調高く文語体だったのね。神様の目線で物語を語るのだから。それが十九世紀後半に壊れて来た。つまり大衆化したというのが大きい。口語体になって格調高い神視点がこうして消えたんだ。例えば……。


 ――我、世界を創造せり!


 かっけー。


 どう見ても中二病です。


 それが「ですます調」になったらどうだろう。神視点が安っぽくなるんだ。西洋圏で起きてる神の衰退だけでなく明治という時代は口語体になって「神」の権威がより一層落ちて来たってことなんだね。

 

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