第五話 国語は道徳教育の道具じゃない

 そう、これが「人称問題」のもう一つのがんだ!


 そうだろう?


 よく「主人公はこの時どう思ったのでしょうか」というこの国語の定期テストに出る問い。


 いや、知らんがな。


 そして「読者に答えを委ねます」という本来の近代文学の大原則を壊して答えを求める行為。そしてそれを「道徳的」文学にぶち込む行為。


 これが文学嫌いを増やす原因なんだ。


 『道徳的な感想』を一人称視点で「お願い」と称して強要する行為。


 これが最悪の教育だろうと私は思うんだよね。


 私とあなたは違う。当たり前ですね。


 私とあなたの思ってる感想は違う。当たり前ですね。


 道徳的と分かっていても悪いことやる奴は世の中にたくさんいる。確信犯って奴。当たり前ですね。


 もっと言うと『教育勅語』(道徳教育の前身)を受けた大人たち・子供たちが終戦直後に強盗・窃盗・闇市……果ては売春や強姦に及んだ事実を考えると道徳教育に意味はないって事は証明済みなんだ。そういうのはね、家庭教育とか宗教教育の世界で学校が踏み込んでいい世界じゃないんだ。


 でも儒教的発想というのは家父長制(家父長制国家、つまり天皇が父親ということになります。一応念のために補足しておくよ。これが北だと金一族って事になるよね)で思想を上から抑え込む教育なんだ。みんな同じ発想にさせる。「マンセー!」って国民全体が言ってる全体主義国家が道徳主義の行きつく先なんだ。そこには絶望しかない。異論は許されない。人の心や良心に踏み込む教育ってそういうことなんだ。


 よく考えて見て? 日本になぜディベート教育が無いのか。


 そういうのは戦後には消えたはずだって?消えてないよ。消えてないから国語に出る文学はつまらないんだ。


 そしてこれが「一人称アバター」になってない文学を「クソ」と思い込む原因なんだ。


 よく考えてみ?


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 別に国語教育のすべてを否定しないし、むしろ論説文で「筆者の主張で正しいものを挙げよ」と言った教育や漢字教育は極めて重要だ。(※デマ防止や主義主張の理解は最重要だ。特に新聞や新書を読む理解力を養ううえで最重要だ)

 また古今東西の文学に触れることは重要だ。でも主人公や登場人物がどう思ったかなんてのは押し付けないでくれ。

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