神々の饗宴

はんにゃーま

神々の饗宴【第一章】

散り散りになった意識が、寄り集まって形になっていく。

意識がまとまってやがて形になると、視界は真っ暗で瞼の気配がすることに気がついた。


どうやら眠っているらしいということが分かった少年は、周囲に感覚を広げてみた。


食器のガチャガチャいう音が聞こえる。


時折、太かったりやけに高かったりする笑い声も響いていた。


匂いも強く、甘ったるい匂いとか辛い匂いとか、いろんな種類の香りが混ざった、嫌な空気が辺り一面に漂っていた。


ここはどこだろう。


恐る恐る目を開けて見回してみる。

少年のいる部屋は和室のような造りで、明かりはなく薄暗い。

床は畳、壁は襖がその代わりをしていた。

襖には派手な絵が描かれていて、大胆な装飾を施された見たこともない生き物の目が、まるで自分を見ているようで、怖くなって目をそらす。

身体の向きを変えて反対側を見てみると、汚れが目立つ大きな障子があった。

その障子は少しだけ開いていて、5cmぐらいの隙間があった。

その隙間から、音や匂いが流れ込んでくるのが分かる。

顔を隙間に近づけて部屋の外の様子を確認してみようと身体を起こそうとしてみるが、自分の身体は鉛のように重く、上手く起き上がれそうになかった。

起き上がるのは諦めて、下手なほふく前進のような動きで隙間に向かう。

隙間に近づいて顔を寄せると、この障子の先に通路があることが分かった。

焦げ茶色の木の板ばりの廊下らしきものが見える。

さらにその先、廊下を渡った向こう側にある部屋を見ると、そこもこの部屋と同じように障子で仕切られていた。

よく見ると、障子に映る影が動いていることに気がついた。あの部屋には誰かがいるようだ。

しかし、何か違和感を覚える。


影が大きすぎるのだ。

周囲をもう一度見渡してみると、襖も、障子も、この畳も、すべてが大きい。

少年は自分が小さいからかとも思ったが、やはり違う、自分と建物の比率がおかしい。

ここにある全てが、人間より大きい何かを想定して作られている、そんな気がした。

様々な想像をして、ここがどんなところなのかなどと考えていた時、部屋の外で物音がした。

さっきの隙間から外を覗くと、向かいの部屋の障子が開いていた。

部屋の中の様子が見える。

目を凝らしてみると、皿やら盆やら食べかすやらが散らかっている。

しかもその量は尋常ではなく、常人が食べる量ではないのが、溢れかえった食器類を見るだけでも分かった。


すると突然、視界が暗くなる。

驚いて後ずさりすると、広くなった視界に映る障子の隙間に、目が現れたことに気がついた。

さらに少年は、障子に映る影を見て驚愕した。

明らかに人ではない何かが、障子で仕切った向こう側にいる。


逃げなきゃ。


本能が叫んだ。

心臓が鳴りすぎて、口から飛び出そうになる。

少年は立ち上がろうとするが、目の前がふらついて上手く立てない。

それでも、ここで立たなければならない、そう自分を鼓舞して思い切り立ち上がったその時、障子は豪快な音を立てて開かれた。


人だった。


少年は自分の目を疑った。

障子の影を見た時は、確かに異形だった。

少なくとも人ではなかったはずだ。

それが今、人になった。

大きな男の人だった。

豊満な体型で、豪奢な服装、色とりどりの装飾品を身にまとった商人のようななりをしている。

少年が呆然としていると、その男が近寄ってきて、大きな瞳でまじまじと少年を見た。

するとその男は、大きな口を開いて言った。

「坊主、どうやってここに入った」

男は、少年に問うた。

少年は何か言わねばならないと察し、震える唇を抑えながら応えた。

「わからないです」

少年が声を発すると、沈黙が広がった。


男は怪訝そうな目で少年を見、そして廊下に向かって大きな声で誰かを呼んだ。

少年が呆気にとられていると、男が少年の方に向き直り、しゃがんで目線を同じくしてこう告げた。

「お前は人の子だな」

言っている意味がわからなかったが、とりあえず自分は確かに人の子ではあったから、少年は疑問を抱きながらも頷いた。

それを見ると男は軽く頷き、軽い調子で言った。

「よし、今から少しの間、私の子になれ」

少年はとうとう訳が分からなくなり、頭の回転が追いつかなくなった。

少年は男に言葉の意味を聞こうとするが、その意思は、廊下から鳴り出したドタドタいう足音に揉み消されてしまった。

「エビス、私の名だ」

そう言うと、男は立ち上がった。

それと時をほぼ同じくして、廊下に小さな人影が走り込んでくる。

「大変お待たせいたしましたぁー!」

そう声を上げながら現れたのは、少年より二回りか三回りほど小さい背丈の人だった。

大きな頭に大きな目、それに似合わぬ小さな身体とその手足。

不思議なその姿に驚いていると、男がその人に向かって大きな声で言った。

「こやつは私の息子だ、私の部屋まで連れて行け」

それを聞くと小さな人は深く礼をして、少年のところへトタトタと近寄り、手を取った。

「お部屋までお連れいたします!」

元気だ。

思いがけない陽気な人物の登場に、少年は唖然としてしまうが、ひとまず言う通りにしておこうと心に決め、小さめに頷いた。

小さな人は男の方へ勢いよく振り返り、うやうやしげに一礼すると、今度は少年の方へ同様に振り返った。

「では参りましょう!」

そう言うと、少年の手を引っ張りながら走り出した。

まさかいきなり走るとは思わなかった少年は、半ば強引に引きずられながら廊下へ出た。

去り際、エビスと名乗った男と目が合って、きっとこの人は助けてくれたのだと思った少年は、会釈をしてそこを後にした。



廊下にはたくさんの部屋が並んでいた。

障子が左右に続き、嗅いだこともない香りが次々と通り過ぎていく。

人がいるであろう部屋もあって、障子に映る影が賑やかに動いていた。

廊下を曲がったり、木材の軋む階段を上がったりして少年の手を引いて前を行く小さい人は、相変わらず小走りだったが、ほんの少しだけ気遣ってくれているのか、最初の時より手を引く力が優しくなっているのが感じられた。

それにしても、かなりの距離を移動しているはずだが、建物はずっと続いていて、その大きさに圧倒される。


さすがに疲れてきた少年は、いつ着くのかと不安になったが、その不安は小さい人の大きな声が解決してくれた。

「お疲れ様でした!到着でごさいます!!」

元気だった。

これだけ走って息切れひとつしない底なしの体力はいったいどこから湧いてくるのだろう。

それとは対照的に、少年は息を切らしながら声を絞り出す。

「あ、ありがとう」

それを聞くと、小さい人は嬉しそうに飛び跳ねて、満面の笑みを浮かべながら深く一礼したかと思うと、すぐさま来た道の方へ向き直り、走り去っていった。

小さい人の後ろ姿を見送ってから、取り残された少年は周りを見回してみた。

廊下は右にも左にも永遠と続いていて、等間隔に扉が並んでいた。

目的地である部屋の扉を見上げる。大きな扉だ。少年の背丈の2倍以上はありそうだった。

扉を指でなぞってみると、どうやら金属製のようで、扉全体にびっしりと細かい文様が刻まれていることに気がついた。

見たこともない文字で、読むことはできなかった。

恐る恐るドアノブを握り、扉を開けようとした時、扉の真ん中辺りに口が出てきた。

「誰だい」

突然の出来事に驚いて少年は後ろへ倒れこむ。

扉の口が喋った。

口が、扉にくっついている。

「ここはエビス様のお部屋だ、下人が気安く触れるんじゃないよ」

扉の口は老婆のような声で、鋭い口調でそう言い放った。

目の前で起きている現実離れした現象に、少年は恐怖を覚えたが、ここでこの部屋に入ることができなければ、ろくな事にならない気がして、勇気をだして少年は立ち上がった。

扉の口が放つ異様な気配を真っ向に受けながら、少年は言い返した。


「僕、エビスさんの子どもです」

手を強く握りしめ、扉の口を見つめる。

対する扉の口はというと、口を丸くしていた。


「なんだって?エビス様の子どもって言ったかい」

少年は頷く。


「エビス様に子どもがいるのかい?」

少年は強く頷いた。


「嘘じゃないだろうねぇ?」

少年は強く、とても強く頷いた。


扉の口は長いため息をついて、独り言のようにブツブツ声を漏らした。

「本当は契約されているお方以外は入れられないことになっているんだけどねぇ、お子さんとなっちゃぁ仕方ないか、でもねぇ…」

聞き取れなかったが、他にも何かブツブツ言いながら悩んでいるようだった。

少年は、器用に動く扉の口を見つめ続けて、回答を待っていた。


しばらくして、扉の口が止まった。

「いいだろう、入りなさい」

そう扉の口が告げると、大きな扉が音を立てて振動し始めた。

音が止むと、一瞬の間をおいてゆっくりと扉が開きだした。

部屋の全貌が少しづつ見えてくる。

扉が開ききると、そこには眩しいほどの光をたたえた部屋があった。

圧倒されて立ち尽くす少年を、扉の口が苛立ちを隠せない口調で急かした。

「はやく入りな!」

少年はようやく我に帰って、そぉーっと足を踏み入れる。

部屋に入ると、色とりどりの明かりが少年を包み込んだ。後ろで扉の閉まる音がする。

部屋には様々な品物が数え切れないほど置かれていて、骨董品店のようになっていた。

どこをとってみてもいかにも高価そうな物ばかりで、初めのうちは行き場に困っていたが、この空間に慣れてくると探索をし始めた。


扉があった部屋は見たこともない品物で溢れていた。

羅針盤や地図、陶器や家具、武具の類いなどもあった。

用途すら分からないものも中にはあって、少年は目を輝かせながらそれらを見て回っていった。


探索を続けていると、部屋がいくつもあることが判明した。

酒樽が積まれた部屋、絨毯が飾られた部屋、

香辛料が吊られた部屋、穀物類で満たされた部屋などなど。

極めつけは宝石の部屋と、一日では見切れないほどの物量があった。

これら全て、あのエビスという男の所有物なのだろうか。

だとしたら、とんでもない富豪である。


最後に少年が探索した部屋は、書斎のような作りをしていた。

シャンデリアのような照明に、それに照らされたガラス細工が、部屋の片隅で虹色に乱反射していた。


その部屋の奥に椅子を見つけた。

優しい手触りの布張りで、座ればいかにも気持ちよさそうな椅子だ。

椅子は他の部屋にもあったのだが、どれも物が積まれていて、それらをどかすのは気が引けたため、どれも座れなかったのだ。

椅子の前にある机の上には、金色に輝く大きな天秤があって、宝石や金貨が山積みになっていた。

ひとつくらい取っても気づかれることはなさそうではあったが、さすがにそれはバチが当たるだろうと思って、大人しく椅子に座ることにした。

座ってみると、その椅子は柔らかすぎて少年の身体は沈み込んでしまいそうになった。

慌てて机に手をやるが、いい具合の沈み具合であることが分かると、安心して腰掛けることが出来た。


こんなに座り心地のいい椅子に腰掛けるのは初めてであった少年には、気持ちが良すぎたのだろう。

溜まっていた疲労も相まって、一度目を瞑るとそのまま、深い眠りについてしまったのであった。

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