九話
囲まれている。前と左右、パーレンを入れれば四人。背後は崖でこれ以上は下がれない。男達はそれぞれの武器を手に、私を逃がすまいと逃げ道を塞いで睨み付けてくる。
「……後ろから聞こえた音と気配、あれの正体はこれか」
道を上る最中に聞こえたざっざっという音。あれはやはり空耳などではなかったのだ。この男達が私をつけていた音……。
「パーレン、いつから連れて来ていた」
「連れて来たのは昨日だが、連絡はヤグルカを出てからずっとしてた」
ヤグルカ――そう聞いて私はふと思い出した。出発する日の朝、パーレンはなかなか現れず、私は待たされた。先ほども用足しだと言ってパーレンは長いこと姿を消していた。あれは、この男達とやり取りをしていた時間なのでは――私は彼を元同僚だからと信じ、油断し過ぎていた。感じた気配を素直に警戒していれば……。
「街道で襲われたのも、あなたの計画だったのか?」
「お前を見つけたことは教えたが、捕らえると決めたのは向こうだ。俺はそれに協力しただけだ。結果は残念なことになったが」
一緒に戦うふりをして、パーレンは私が捕らえられるのを待っていた……苦戦する芝居をしながら。私は愚かにもそれを助けようとしてしまった。命を懸けてまで……。
「貴様は国王の証を盗むという重罪を犯したのだ」
パーレンの横に立つ、ひげを生やした男が低い声で言う。
「記憶が戻ったのなら、その自覚もあるだろう。この通り、もう逃げ場はない。大人しく証のありかを話し、罪を償う意思を見せろ」
「それがお前にとって、最善の道だ。言う通りにしろ」
パーレンが説得するように言った。……最善? どこが最善だというのか。
「私の最善の道は、あなた達に捕まることじゃない。私の望みを叶えることだ」
「悪あがきはもうよせ。お前の望みは叶わない」
「証が手元にないのに、なぜそう言い切れる? 私はまだ諦めない」
そう言うと、囲む男達は薄ら笑いを見せた。追い詰めた余裕から戯言にしか聞こえないようだ。好きに笑えばいい。私は最後にお前達を笑ってやる。
「どこへ行こうと、お前はもはやお尋ね者なんだ。逃げ続ける中で望みなど叶えられない」
一人真顔のパーレンを私は睨んだ。
「騙そうとした者の説教など聞く意味もない。私の邪魔をするな」
一歩足を動かすと、男達はすぐさま武器を構え、私の逃げ道を断つ。当然だが逃がす気は微塵もなさそうだ。ここで決着をつけるつもりか……。
「……こいつは説得に応じそうにない。捕まえたほうが早い」
ひげの男は隣のパーレンに言った。だがパーレンは渋い顔を浮かべている。
「無理に捕まえるな。そうすれば返り討ちに合うぞ」
「女一人に力で負けるわけがない。さっさと捕まえるべきだ」
別の若い男の言葉に、パーレンはすかさず返す。
「だから説明しただろう。相手は怪物を飼ってると」
怪物――刺青のことか。
「それは聞いたが、本当なのか? 未だに信じられないが……」
ひげの男は疑念の目をパーレンに向ける。どうやらこの男達は、街道での光景を見ておらず、パーレンに話を聞かされているだけのようだ。あんな巨大な蛇が現れた話など、聞かされたとしても現実味がなさ過ぎて半信半疑にしか感じないだろう――そうだ。私には強力な「剣」と「盾」があるのだ。ここを突破するにはそれを使えばいい。
「見合っていても時間ばかりが過ぎる。もう面倒だ。行くぞ」
話を黙って聞いていた残りの男が、業を煮やしたのか、右手に構えた手斧を軽く振りながら私に近付いて来ようとする。
「やめろ! 手を出すな」
「それで私を切ってみろ」
私が発した声と、パーレンが慌てて上げた声が重なった。これに近付こうとした男の足が止まる。
「切り付けた途端、その倍の痛みが跳ね返ってくるかもしれない。あるいは、痛みを感じる間もなく、息絶えるかも……その覚悟があるのだろうな」
私が凄んで見せると、手斧の男は鼻で笑った。
「それで脅しているつもりか? 一撃で殺せるとは大した自信だな」
男は再びこちらへ近付き始めた。
「死ぬ覚悟をしたのか」
「それはこちらのセリフだ。自信たっぷりの腕を見せてみろ」
男が手斧を振り上げようとした瞬間、その腕は横から伸ばされた手で押さえ付けられた。
「手を出すなと言ったんだ。聞こえなかったか」
男の前に立ったパーレンは語気を強めて言う。
「脅しに屈するのか」
「屈したんじゃない。身を守るためだ。手を出せば死ぬというのは本当だ。お前達はあれを見てないから恐ろしさがわかってないんだ」
「パーレンの言うことを聞いたほうがいい。でないと後悔する」
「……お前は、黙ってろ」
パーレンは苛立った目付きでこちらを睨んだ。
「そうか。もう話は無用か。では行かせてもらう」
私が下る道へ向かおうとすると、男達はすぐに反応し、追おうとしてきた。が、それをパーレンは静かに制した。
「目の前で逃がすつもりか」
「捕らえないでどうするんだ」
男達の不満の声に責められるが、パーレンはそれには答えず、私を見て言った。
「お前は絶対に逃げられない。俺達が、お前の行く先々まで尾行し、その一挙手一投足を逐一監視している。どこにいようと、お前はすでに見えない籠の中にいると知れ。逃げ道なんかとっくにないんだ」
「私は逃げるために行くんじゃない。望みのために行くんだ」
「その望みだってすでに――」
私は最後まで聞かずに走り出した。背後でチッと舌打ちをする音が聞こえた。追って来るなら受けて立つ。そちらが尾行で証の隠し場所までたどり着くつもりなら、私はその尾行をすべてまいてやる。一人で排除するには数や力で劣るが、機敏さをもってすれば、多い人数でも翻弄し、視界から外れることはできるはずだ。痕跡を残さず、向こうの不意を突けるかどうかで結果は決まるだろう。
苦労して上って来た峠道を、私は駆け足で下っていく。記憶が戻った途端、まさかここまで追い詰められる状況になるとは思いもしなかった。自分の早い呼吸の音に混じり、背後から彼らの気配が追って来るのがわかる。宣言通り、パーレン達は私を尾行しているようだ。だがここまでは互いが知り、わかっていることだ。峠道を抜けたら、おそらく向こうは気配を隠すだろう。そして私の知らないところで目を光らせ、監視を始めるのだ。追っ手は合わせて何人いるのか知らないが、他の仲間に情報が伝わる前までには、どうにか尾行をまきたいところだ。だがこんな人気のない山の中では時間がかかるし、体力も消耗してしまう。手っ取り早く姿をくらますなら、やはり――私は背後の気配を感じながら、急いで峠道を下った。
上った時よりも大分早い時間で下り終えると、街道の先にはここ数日で何度も見ているアーメルナヤンの街並みの一部がある。私は休む間もなく、そこへ真っすぐに向かった。木を隠すなら森の中、人が隠れるなら人ごみの中……この辺りの街ではアーメルナヤンが一番人の集まる街だ。隠れるには打って付けの場所と言える。だがこれはかくれんぼではない。追っ手も素人ではないのだ。一時的に姿を隠せたとしても、そこからどうやって向こうの目を盗み、街を出るか……それは実際にやってみるまではわかりそうにない。とりあえず、まずは人ごみに紛れなければ。
アーメルナヤンに着くと、そこは相変わらず喧騒に包まれ、活気を帯びている。通りを行く大勢の人々の間を荷車や馬車が引っ切り無しに横切って行く。その車輪がわずかに巻き上げた砂埃の中に、怒鳴り声も笑い声も雑多に響き、周囲はせわしなく動き続ける――尾行をまくには申し分のない環境だ。私は人ごみの中に進みながら背後をちらとうかがった。さすがにパーレン達の姿は見えない。おそらく距離を開けたどこかからこちらを見ているのだろうが、こう人の数が多いと気配を感じるのは難しい。人ごみは隠れるにはいいが、向こうの様子を探りにくいのが難点だ。尾行をまいたかどうかは街を出るまでは判断できないだろう。確認のために、少し大胆な道を行ってみてもいいかもしれない。
建物の密集した路地に入り、私は少し進んだところで身を隠し、追っ手が現れるか待ってみた。すると、峠で対峙した男達が小走りに路地に入って来た。やはりしっかりと追って来ていたか。
「……ここを行ったぞ」
「じゃあ私は先へ回る。見失うなよ」
小声で交わすと、男達は二手に分かれた。路地には一人、先回りは二人……パーレンはどこにいるのだろうか。別行動でもしているのか? まあそんなことはいい。今はこいつらの目から逃れることに集中しなければ。
私は適当に路地を進み、ある行き止まりを見つけた。ちょうどいい踏み台がある――それは壊れた荷車に、空の木箱が重ねて積まれたものだった。追っ手がまだ来ていないのを見て、私はそこに足をかけ、一気に民家の屋根に上った。そして身を低くし、路地から遠ざかる。向こうに屋根を上るという発想があるかわからないが、ひとまずこれで様子を見よう。
建物同士が近いため、屋根から屋根へ飛び移るのはとても簡単だった。それを繰り返し、私は街の端まで移動する。何だか猫になった気分だ。大勢の人を見下ろし、その中に追っ手の姿を探すが見当たらない。もちろん屋根の上にもだ。この〝道〟は尾行をまくことができたのだろうか。しばらく煙突に寄りかかり、近くの路地や通りを眺めてみたが、男達が通ることはなかった。これ以上屋根に居座っているわけにもいかない。上手くまけたと思って動くしかないか――私は路地に飛び下り、何気なく人ごみに紛れると、出入り口門は避け、道のない茂みを抜けて街の外へ出た。
足早にアーメルナヤンから離れながら、追っ手が来ないかと何度も後ろへ振り返ってみるが、あの男達の気配はどこにも感じられなかった。尾行をまいたと思っていいのか、それとも、どこかで息を殺してこちらを見ているのか……。安心したいが気を緩めることもできない。頭上の太陽はまだ明るいが、位置からしてそろそろ夕暮れに変わる時間だ。隠れ場所がない中で動くなら、もう少し暗いほうがいい。私は近くの森に入ると、木の陰に座り、休憩も兼ねて自分がすべきことを、思い出したばかりの記憶から再確認することにした。
最大の目的は、国王の証をソフィヤ王女へお渡しすること。そして王女が王位を継ぐ……それが私の望みだ。私は盗み出した証を奪われないよう、一時的に隠すことにしたのだ。場所は、王都から続く街道を西へ外れた、打ち捨てられた墓地。その墓石の下に証を隠した……ちゃんと思い出せる。自分で隠した光景も憶えている。だが一つ疑問が湧いた。私はなぜ証を隠したのだろうか。盗み出したのならすぐに王女の元へ持って行くべきなのに、そうはしなかった。おそらく、すぐには持って行けない状況に陥ったのだろうが、私にはその部分の記憶がない。でも現在の追っ手に追われる状況から大体の予想はつく。私は盗み出す際に誰かに見つかってしまったのだろう。でなければ犯人が私だとすぐには特定できないはずだ。
隠した理由はそんなことだとして、では隠し場所はなぜ墓地だったのだろう。私はあんな墓地は知らなかったはずなのだ。場所はもちろん、存在さえも。逃げている途中で偶然見かけ、隠したということもあり得る。そこいらの石や木の下に隠すよりは、断然わかりやすく憶えやすい場所だ。だからそうしたとも考えられるが……何だろう。それでは何か納得できない。頭と心に違和感のような、すっきりとしないものが残る。私はまだすべての記憶が戻っていない。何か、思い出さなければいけないことが、大事なことが、残っているような気がするのに――
『隠せば、いい』
ふと頭に聞き馴染みのない、男性の声が響いた。これも、記憶? 私はこの声をどこかで聞いていたのか? でも思い出せない。低く、控え目な声……声の主を私は知っているのだろうか。だったら誰だ? 声だけじゃなく、せめて顔の一部でも思い出せればいいのに……。
長いこと声の主を思い出そうと努力していたが、気付けば周囲が薄暗くなっているのを見て、私は頭を切り替え、腰を上げた。夕暮れ時だ。記憶はひとまず片隅に置き、今は証を取りに行かなければ。日が暮れた薄闇の中なら、こちらの姿も見つかりにくくなる。大きく動くなら暗い時間帯しかない。
追っ手の気配に気を付けながら、私は数時間をかけて隠し場所の墓地にたどり着いた。辺りはすっかり夜の闇に包まれている。灯りでもなければ足下さえ見えないが、今夜は幸い満月が浮かんでいる。降り注ぐ淡い光のおかげで、かろうじて周囲の様子は見える。だがそれは頭上に枝葉がないところだけだ。樹木が密集した場所は光が届かず、不気味な闇が留まっている。その中に息をひそめた追っ手がいたとしても、近付かなければその姿は見えないだろう。察知するには物音や気配を感じ取るしかない。私はこれまで以上に意識を集中させ、月明かりの下の墓へと足を踏み入れた。
もう何十年もほったらかされているような荒れ放題の墓は、もはや誰のものかもわからず、忘れ去られているようだ。墓石は軒並み倒れ、土の地面は野生動物が掘り返したのか、小さな穴が至るところに作られ、でこぼこと歩きづらい足下になっている。ここまでひどいと墓荒らしも素通りするだろう……いや、もしかしたら墓荒らしが来た結果なのかもしれない。だがどんな理由で荒れたとしても、私には都合がよかったことだ。こんなところに人が立ち入ることなどないだろうから。
足下に気を付け、私はある墓石の前で足を止め、かがんだ。そこには風化して縁が欠けている小ぶりの墓石が倒れている。他の墓石は刻まれた文字が削れたり、傷が付いて読みにくいのだが、この墓石だけははっきりと読めた。
「ナザリー・バルトー……」
私は文字を確認した。この墓の主はナザリー・バルトーという女性のものらしい。そう。私と同じ名前だ。ここに来た時、偶然見つけ、隠し場所として憶えやすいと思い、証をこの下に埋めることにしたのだ。
墓石をめくると小さな虫が何匹か逃げ出して行ったが、それには構わず私は素手で土を掘った。肘まで入るほどの深さを掘ると、ようやく目的のものに手が触れた。土にまみれた白い布――落とさないよう、下からすくうようにそれを取った。
「……無事だな」
布を丁寧にめくると、中には国王の証である、黄金に輝く紋章が変わらずあった。大丈夫だ。誰にも見つかっていない――一安心し、私は再び布で証を包んだ。
その時、側の暗がりからガサッと音が聞こえ、私は反射的にそちらを見た。追っ手か……? だが直後、今度は頭上の枝がガサリと揺れ、視線をそこへ移した。
「……鳥か」
月明かりの中をはばたく黒い影が横切っていくのを見て、私は安堵の息を吐いた。動物に警戒している暇はない。早く王女の元へ、証を持って行かなければ――立ち上がり、私は証を懐に入れようとした。
シュッという風を切る音が聞こえた時には、私が動くにはもう遅かった。はっとして右腕を見れば、そこには飛んできた縄が幾重にも巻き付き、腕の自由を奪っていた。追っ手がすぐ側まで迫っていたと気付くのに、私は遅すぎたのだ。
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