第2話

「それにしても、本当に行かれるのですね。

 コウタロウさんのいない商会なんて、まだ現実味がありません」


「“三柱”やら魔王やらが遊びにこいってうるさいからなあ。

 光栄なお誘いなんだけどここで会長してる限りなかなか難しい話だし。

 だったらもうエドワード君に引き継いでもらってしまおうと思ったわけだよ。

 君も立派になったことだし」


エドワード君とはもう十数年の付き合いだ。


俺がこの世界でビジネスをはじめた頃、慣れない都で迷子になっていた時に暗い路地裏でたまたま出会ったのだ。


その時の彼はいわゆるストリートチルドレンというやつで、獣のようなおっかない目をしていたっけ。


去り際に財布をまるごとパクられたし。


思い返せばロクな出会いじゃないが、それも今となってはいい思い出だ。


「孤児だった僕がこうして家族を持てたのもすべてコウタロウさんのおかげです。

 本当にここまで色々ありましたね。

 ……うっ、ちょっと涙が」


「おいおい。

 湿っぽいのはやめてくれよ。

 なんだかむず痒いじゃないか。

 今生の別れじゃあるまいし。

 ちょっとした旅行に行くだけだよ」


俺が商会を退いた理由。


それはせっかくの異世界をちゃんと堪能しようという思いにほかならない。


ビジネスであらかたの場所は回ったが、いわゆる出張みたいなもので観光するようなものではなかった。


なので今度は仕事から離れてゆっくりその土地土地を堪能しようと思ったのだ。


もちろん、俺のような仕事人間が自らで思い至るはずもない。


なにかと世話になった三柱や魔王のしつこいほどの招待の手紙と、エマさんやドラファルさんといった商会のみんなの後押しがあってのことだ。


この世界は日本と違って危険も多いし、医療もまだ改善の余地が多々ある。


盗賊もいれば魔物も出る。


日本と違い一歩街を離れれば、常に死の危険と隣り合わせといっても過言ではない世界だ。


だからこそまだ身体がピンピンしているうちにとの思いもあって今回の決断に至ったのだ。


幸いなことに商会は上手くいっているから、従業員を困らせることもないだろう。


俺の方もこれまでの給料はほとんど使わずに愚直に貯金してあるから老後の資金は問題ない。


どれだけ貯まってるか明細は見てないが、おそらく大丈夫なのではないだろうか。


いわゆる「FIRE」ってやつである。


仕事人間である俺が早期リタイアに至るとは。


人生なにがあるかわからないものだ。


「それでコウタロウ様、出発は予定通り明日でよろしいですかな?

 私もエマ殿も準備はすでにできておりますぞ」


「まずはベールズの街ですね。

 馬車の手配をしておきましょう。

 それともドラゴン便で一気に飛んじゃいますか?」


さて、これまたどういうわけか側近の二人も俺の旅に付いてくることが確定している。


元々、俺はシマダ商会の看板から離れて一人旅をするつもりではあったのだが、なんでも護衛が必要だとかハネムーンだとかうるさいから渋々の同行を了承したのだ。


ドラファルさんの護衛はありがたいけど、ちょっと過剰戦力過ぎるし、エマさんのハネムーンに至っては結婚したつもりがないから意味不明なんだけども。


二人の凄まじい勢いに言いくるめられた形である。


最初は丁重にお断りしたのだが、あの時の二人のパワーにはとても打ち勝てそうにはなかった。


「そうですね。

 予定通り明日出発しましょう。

 ドラゴン便はできれば使いたくないかな。

 そんな簡単に使ったら、ほら……彼らにも悪いし」


「ふぉっふぉっふぉ。

 本音は怖いから使いたくないだけでしょうに。

 コウタロウ様はドラゴン便が苦手ですからなあ」


「ま、まあそうなんだけど。

 でも、せっかく世界を観て回るんだ。

 ゆっくり陸路で行こうじゃないか。

 ドラゴン便だと色々見落としちゃうものもあるだろうし」


「それもそうですけど……でも、毎度のことながらもったいない思いがしてしまいます。

 この世界でドラゴンが背中を許す生物なんて、紅龍様に認められたコウタロウさんしかいないのですから。

 付き添いの形でしか許されない私たちは一回機会を失ったと思うとなんとも」


「ふぉっふぉっふぉ。

 まあ、エマ殿の気持ちもわからなくはない。

 かくゆう私もちょっと楽しみにしておりますからな。

 ドラゴンの背で空を駆けるのはこれまでの長い生の中でも格別に爽快なものでしたから」


「ま、まあ気長に待っててよ。

 紅龍様のところに行くときには使わざるを得ないわけだし」


「むう。

 その口ぶりだと、その時以外使う気がなさそうですよエマ殿」


「残念ですけどそのようですね。

 まあ、良き妻はわがままを言わないものですからこれ以上なにも言わないでおきます」


まったくここのみんなは隙あらばドラゴン便を催促するんだもんなあ。


俺も現世ではジェットコースターを楽しめるぐらいの胆力はあったのだけれども、あれはスリルってものを超えているから苦手だ。


でも、どうしてか商会のみんなは好きなんだよなあドラゴン便。


ここの三人を含め、商会の幹部たちは全員一度は体験しているけど、みんな童心に帰ったようにキャッキャキャッキャ言いながら楽しんでいるんだよな。


なんでもこの世界で一番有名な童話の主人公と同じ体験をしていることもあって、基本みんな大はしゃぎだ。


ほぼほぼ安全が保障されてるジェットコースターと違って、一歩間違えれば空に真っ逆さまのドラゴン便を何故ああも楽しめるのか。


俺には甚だ謎である。


「ドラゴン便ですか。

 またあの空の旅を味わえるお二人が羨ましい限りです。

 本音を言えば、僕もコウタロウさんの旅にご一緒したかったのですけどね」


「さすがに勘弁してくれ」


「ははは。

 冗談ですよ。

 僕には家族もいますし」


「本当はこの二人にも残ってもらうつもりだったんだ。

 それがなぜかこうなった」


「世界のシマダ商会のトップに一人旅なんてさせられるわけないでしょう。

 たとえどれだけ拒絶されてもこっそりついて行きますぞ。

 コウタロウ様もこそこそ監視されるより、一緒に旅したほうが気楽ではありませんかな?」


「そうですよ。

 世界一の思い人である私を差し置いて一人旅に出ようなんて、流石にひどいと思います。

 ちょっとは私の思いに労いの気持ちもかけてハネムーンを楽しませてください。

 ドラファル翁も一緒なのは不服ですけど」


まったくドラファルさんもエマさんも好き勝手言ってくれちゃって。


反論しても無駄なことを悟っている俺は小さくため息をつくしかなかった。

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