魔女の館探偵事務所 愛した人とはちがう人

西桜はるう

第一章

依頼人

「なるほど、旦那さまがだれかに命を狙われているということですね」

「はい、そうなんです。脅迫状だけで、無言電話とかはないのですがそれだけでも気持ち悪くて、気持ち悪くて……」

「お気持ちは分かります。旦那さまに悪意を向ける人物がいるとなると、心穏やかではありませんよね」

リリーは神妙な顔つきで応じた。側に控える氷月と水月は無表情で、一切の感情が浮かんでいない。

「脅迫状はいつ頃から届くようになったか、分かりますか?」

「おそらく2ヶ月ほど前からかと思います。あの、2ヶ月も放置してましたのは、主人が本気で取り合わなかったからなんです」

言い訳がましくリリーの向かいに座る人物、大手製菓メーカー「ヤマイ」の社長・山井弥生は言った。

「ではご主人は、脅迫状を本気にしていないということですか?」

「はい。最初は完全にいたずらだと思っていたようです。内容は『復讐が始まった』や『次はお前だ』など、あまり敵意を感じなかったもので。ですが、1カ月を過ぎたあたりから『絶対に殺してやるからな』『死んで詫びろ』など完全に脅迫めいていて……。さすがに主人も気味が悪いと言い出したんです。ですが、そこから仕事がとてつもなく忙しくなってしまいまして。ご相談に上がるのに1カ月もかかってしまったわけです」

「その間もずっと脅迫状が?」

「はい、だいたい週2回は届きます。内容にバリエーションはあまりなくて、ただ『殺してやる』とか『死ね』とか……」

「まるで子供みたいですね。稚拙というか、幼稚さを出しているように感じます」

「はい。本当に子どもの悪質ないたずらかと思うほどです。ですが、ここまで執拗に続くと気味が悪いのに加えて実際に危害を加えられるような気がして怖いのです」

「お察しいたします。いくつか質問をしたく思うのですが、よろしいでしょうか?」

「はい。答えられることでしたら、何でも」

「ありがとうございます。氷月、紅茶のおかわりを差し上げて」

「はい」

氷月はテーブルに置いてあるティーセットをお盆に載せ、一度引き上げた。趣味のいいアンティークだな、と弥生はそのティーセットを目で追った。

「イギリス製のものですよ。雰囲気が気に入っているんです」

弥生の視線に気づいたリリーが、にこりとして言った。「卑しい目つきをしていたかしら」と恥ずかしくなったが、「奥様もティーセットがお好きですか?」と悪意のないリリーの言葉に弥生も「えぇ」と言葉を続ける。

「本場のものなんですね。うらやましい」

「イギリスに友人がおりまして、その方が送ってくださったのです。アフタヌーンティー文化が根付いたイギリスは、ステキなティーセットがそろっていますね」

「本当に、とても美しいティーポットとティーカップですね。リリーさん、ステキな趣味をしていらっしゃって……。うちは主人がクラシック音楽が好きで屋敷こそ洋風ですけど、中はなんというか統一感のない雰囲気で嫌になります。こちらの事務所はソファから壁紙、机と椅子、何もかもアンティークで統一されていて惚れ惚れするわ……」

弥生はぐるりと事務所内を見まわして、ため息をついた。リリーが経営する「魔女の館探偵事務所」は弥生の言う通り趣味のいいアンティーク家具ですべてが統一されている。カーテンもフリルがたっぷりついたアンティークローズ柄で、ソファの柄も、壁紙も絵柄こそちがうが薔薇の模様があしらってある。

「薔薇が好きなんですか?」

「はい。もともとここは祖母が住んでいた屋敷だったものを、私が相続して事務所として使っているんです。家具などはすべて祖母の趣味なんですが、私も薔薇は大好きなのでそのまま使うことにしたんです」

「まあ、おばあさまが!とても趣味のいい方だったんですね」

「はい。祖母はデザイナーでしたので、その点はぬかりなく自分の屋敷をデザインしたのだと思います」

水月は2人の会話を聞いて笑いをかみ殺していた。今リリーが言ったことは、真っ赤なウソなのだ。

リリーこと朱野映百合(あけのはゆり)は孤児で、天涯孤独の身だ。職員からひどい虐待を受けていた映百合は、施設を抜け出してビルから投身自殺をしようとしていたのだ。それを氷月と水月が発見し、引き取り、ここまで育てた。今でこそ映百合の番犬として彼女を守る立場だが、少し前までは氷月と水月が有名な探偵として活躍していたのだ。しかし映百合が2人の仕事についていくうちにめきめきと探偵としての頭角を表し、ついに大量殺人鬼を1人で追い詰めるまで域に達した。そこで2人は探偵という立場を映百合に譲り、自分たちはボディーガードという名の番犬として君臨することに決めた。

この事務所は2人が引退をしたときに作り替えたものだ。黒いワンピースを好んで着込み、いつの間にか身に付いた「常に敬語で笑顔」の映百合を氷月が「魔女っぽいね」と言ったことをキッカケに「魔女の館探偵事務所」と名が決まり、それらしい事務所作りを2人がしたのだった。つまり、映百合の趣味でアンティーク調の事務所になったわけでもなく、天涯孤独の身の映百合にデザイナーの祖母がいるはずもなく、「イギリスの友人が送ってくれたティーカップですよ」と言ったものは、実際に3人でイギリス旅行へ行ったときに水月が見つけ、買い求めたものだ。

何から何までそれっぽいウソを平気でつく映百合に、水月は笑いを堪えつつも「それは探偵として必要なウソ」だと認めている。必要とあれば自分も話しを合わせる準備はできていた。

「お待たせいたしました。アールグレイです」

氷月が紅茶を運んできた。あたりに芳醇な香りが漂う。

「まあ、いい香り!これもイギリスの?」

「もちろんです。本場のものしか口にしないので」

(本当はスーパーで1箱500円ぐらいのもんだけどな。まあ、いくら大手製菓メーカーの奥様でも、舌はたいしたことねぇな)

水月は心の中で毒づく。探偵をしていた頃に何人も「安いワインは飲まない」と言って1000円以下のワインを「ボジョレーだ!これは100万円はする!」と言うような人間を見てきた。映百合の探偵としての才能が開花し始めたときにいちばんに教えたのは、とりあえず関係者の証言は表面だけ受け取っておけ、ということだった。人間は雰囲気にも、空気にも簡単に流される。事件が起きれば緊張感が高まり、警察の誘導でいとも簡単に証言を変えたりすることはザラにあるからだ。

弥生は雰囲気に流される様子を見せたが、それ以上にブランドに心を揺さぶられる人間らしい。水月はそれが手に取るように分かった。

映百合が「イギリス」と連呼するたびうっとりとした顔を見せている。海外志向が強いのかもしれない。

「それでは少し質問をさせていただきますね」

「あ、はい!お願いします」

映百合は一口だけ紅茶に口をつけ、質問を始めた。

「ご主人の周りで最近不幸はありましたか?」

「ええっと、身内でですか?」

「いえ、会社関係とかでも構いません」

「そうですね……。社員1人ひとりのことは把握できません。なんせグループ会社も含めて3万人以上いますので。社員を除いた場合ですと、うーん……、あ、そういえば最近、主人の主治医が亡くなりました」

「なるほど。そのお医者様はずっと主治医でいらしていたのですか?」

「はい。会社を立ち上げた頃からずっと通いで来てもらっていたのですが、最近体調を崩されて入院されていたんです。お見舞いにも行ったのですが、なかなか回復せずそのまま……。今は息子さんに来てもらっています」

「息子さんもお医者様なんですね」

「ええ、まだ若いんですけど有名な私立大学を首席で卒業された優秀な方なんです。お父様も同じくらい優秀でしたよ」

「他にはいますか?」

「思いつくのはそのぐらいですね。身内の不幸もありませんでしたし、社員で言えばごくごく近しい幹部たちにも不幸があったとは聞いていません」

「ありがとうございます。もう1つだけ。ご主人がだれかに恨まれている可能性などはありますか?」

「そうですね……。一応、大手企業の経営者ですので、敵を作ることはあったかと思います。ですが、あからさまな憎悪を向けてきた方は正直パッとは思いつきませんね」

「お答えいただきありがとうございました。大変参考になりました。あとはご主人に直接お話を聞いたり、お屋敷の調査などをしたいと思うですが……。ご希望の日時などはありますでしょうか?脅迫状の様子から少し切迫したものを感じるので、早いほうがいいかと思います」

神妙な顔つきで言う映百合に、弥生も不安そうな顔で頷いた。脅迫状は徐々に殺意を見せ始めているため、行動は早い方がいいだろうと氷月も水月も思っていた。

「明日でも構いません。主人はこの頃会社には出勤せずに、在宅で仕事をしていますので1日中家におります。時間は追って連絡する、ということでいいでしょうか?」

「もちろんです。ご連絡お待ちしております」

ペコペコと頭を下げ続ける弥生を見送り、3人はお茶を淹れなおして一息ついた。

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