2話 「女になった朝陽可愛くね?」


「えーと、それじゃあ……? アンタは女になった朝陽ってことなの?」

「え、あ、はいっ!」


「マジで正真正銘女の子になったってこと……?」

「そ、そう……みたいだね」


 こうして椅子に座って向き合っていると、あたかも面接試験を受けているような気分になる。まさか、ねーさんとこんな険悪な空気になるとは思いもしなかった。


 あの後、リビングに連れて行かれた俺は起きてから今までの経緯をねーさんに話した。不法侵入者に対して容赦のない姉だったが、必死の説得と俺しか知りえない情報などを話すことによってなんとか信頼を勝ち取った。


「あー、えっと……そんなカチカチにならなくていいよ?」

「う、うん……」


「た、大変だったね……」

「あ、うん……」


 カチッ……カチッ……と、秒針が動く音と時たまに鈍い重い話し声……さっきからずっとこんな感じだ。話して理解してくれたのはいいが……さっきからずっと歯切れの悪い会話しかできない。


 ……うん、いきなり弟分が女になりましたって言われても混乱するよな。俺だってまだ現実を飲み込めて無いし……


 その後、しばらくの間何も会話をしない無言の時間が続く。まるで、雨でも振りそうな暗く曇った空気が漂う。どうしたものかと思ったその時、先に沈黙を破ったのはねーさんの方だった。


「えっとね……朝陽」

「う、うん、どうした?」


「別に信じてないわけじゃないけど、ほら? やっぱり突拍子もないこと言われてもマジ意味分かんなくね? っていうか……悪いけどやっぱ受け入れられないわ……」

「……だよねぇー」


 まぁ、そりゃそうだろうな……俺も逆の立場だったらねーさんと同じことを思うはずだ。でも、やっぱり悔しい……肉親に信じてもらえないのは。思わずじーんと来て泣きそうになってしまう。すると、それを察してか慌てた様子でフォローしてくれる。


「ま、まぁ! 別に全く信用してないって話じゃないから安心して! ただ、急に信用するのも無理かなって話なわけ、少しずつうちの信頼度上げていけばおけーだし」

「ってことは、ここに居ていいのか?」


 話の流れからしてなんとか最悪は避けれそうでホッと胸を撫で下ろす。そんな様子を見た姉は10分前の神妙で重々しい顔つきに戻る。


「それはもちろん良いんだけど……ねぇ、やっぱり朝陽だって確信できそうな決定的証拠が欲しいよね? あくまでもアンタが言ってるのはうちや朝陽の経歴とかうちらの秘密ごとっていう情報だけ――その、さ……証明できるものがあればいいんだけど……」

「しょ、しょうめいできるもの……?」


「無いよね……あればとっくに見せてるもんね~」


 再び訪れた気まずい雰囲気の中、互いに頭を悩ませる。証明するものか……そんなもの……あっ!


「……ある」

「えっ!? なになに?」


 肩をぴくっと震わせ期待した眼差しを向けてくる。これならたぶんすこしは納得してくれるはず……と、机の上にあったある物を指差す。


「これ……使ってもいいか?」

「ん? メモ帳とペンのこと? いいけど……何すんの?」


 不思議そうに首をかしげるねーさんを横目に机に置かれたメモ帳とペンを手に取る。おもむろぺらぺらとめくり何も描かれていない白いページを開くとボールペンを軽く走らせる。


 大まかな輪郭を取って目や身体、服を書き込んでいく――その手慣れた書き方や手の使い方。できあがっていく絵がなどに見覚えがあったの彼女の顔が明るいものへと変化していく。


「あっ……!」


 紙上でペンが踊るとともにどんどん描画されていくキャラクター絵。短時間でサラサラッと書き上げてあっという間に完成する。最後に自分の絵だと証明するサインを記す。


「――……どうかな? これで少しは信じてくれるか?」

「うっわ……朝陽の絵だ……」


  完成したイラストを目の前に突き出して反応を窺う。今書いたのは俺がデザインしたねーさんが経営する店のマスコットキャラクターのキャラ『みぃちゃん』のボールペンイラストである。


 生み出した本人が描いた絵である上、絵柄や雰囲気はまごうこと無き俺の絵であるので疑う余地は無いはずだ。先程まではずっと疑いの姿勢を崩さなかった彼女だったがこのイラストには驚きを隠せないようだ。


「……うーん、確かに朝陽の絵だし……しょーこにはなり得るね」

「だろ? これで……」


「でも、たまたまアンタが絵が上手いまったくの他人って可能性もあるじゃん?」

「た、確かにそうだけど……ほら! 絵柄とかサインの入れ方で分かるでしょ!?」


 俺は絵を指差して懸命に訴えかけるがねーさんは動じず堅い態度を崩さない。


「いや、だからそれすら似せれるじゃん? 朝陽だってよく他人の絵とかそっくり絵柄真似て描いてるし……それに」


 ねーさんは机の上にあったメモ帳を手に取るとイラストをこちらに向けながら続ける。


「絵柄っていうだけならよーく見たら朝陽の絵と若干違うよね? うち、よく朝陽の描いた絵見てたから分かるけど、なんか細々しいってゆーかさ? こう全体的に丸く見えるんだよねー?」

「っ……そ、それは……」


 指摘されて気づいたが確かに昨日まで描いていたモノと若干違うような気がする。女の子の体になって筋肉量や手の大きさうんぬんのせいで筆圧が変わったせいか……? それとも単純に慣れない体で描くのが難しいからか……?


 どっちにしろ弁明するのが難しいのは確かだ。証明するはずのつもりが余計に疑われてしまった気がする。


「ごめん、絵を疑えば疑うほどアンタが怪しく見えてきた。やっぱり……」

「ち、ちがっ! 俺は朝陽だって!」


 ガタッと椅子を鳴らし立ち上がり必死に訴える。もうこれ以上疑われることは耐えられなかった。本当に泣いてしまいそうだ。


「そんな顔しないの。仮にアンタが朝陽じゃなくてもここから追い出したりはしないから? でも、嘘ついてるなら……」

「嘘なんかじゃない! 本当に朝陽なんだってば!」


 今にも泣き崩れてしまいそうな心を無理やり奮い立たせるように叫ぶ。そして、縋るようにねーさんを見つめるが彼女の目は依然厳しいままだった。


「頼む! 信じてよ……ねーさんっ!」


 頭を下げて精一杯懇願する。今の俺が頼れる人間はこの人しかいないのだから――それにどんな時でも俺のことを信じてくれた姉に信じてもらえないのは何よりも悲しかった。あの時も助けてくれたねーさんに信じてもらえないなんて……ッ!


「お願い……ねーさん信じてくれよっ!」


 少女の口から必死な思いで紡がれる渾身一杯の弱く細々強い涙声。裏切られ捨てられるトラウマが蘇り体が震え、姉に対する信頼の想いが揺れる。


 声は帰ってこない。やっぱり信じてもらえないのか――俺は頑張ってもダメな人間のままなのだろうかと絶望感が襲ってくる。


「…………」


 受験結果を待つようなそんな気分だ。目をギュッと閉じて重々しい空気に耐えていると頭の上から声が降ってくる。


「もう、これじゃあうちが悪者みたいじゃない……」


 その言葉に顔を上げると呆れたような表情のねーさんと目が合った。彼女は小さくため息をするとゆっくりとこちらに歩み寄って来る。


「可愛い従弟の頼みだもんね……しゃーないなぁーうちが朝陽のこと信じないと駄目だよね? いいよ、分かったよ……信じるよ」

「――っ! あ、ありがとうねーさん!!」


 そう言って優しく微笑む彼女に心が救われるのを感じた。ようやく俺の存在を認めてもらえたのだ。感極まって涙が出そうになるのをグッと堪える。


「ふふ、なーに泣きそうになってんの?」

「な、泣いてなんかないって……」


「はいはい、心は男の子でしょ? 泣かないの――っと、もっと詳しく話したいけど仕事だしアンタもちゃっちゃっと準備しなさい」


 目を袖で拭いながら時計を見ると時刻はまだ6時頃であった。いつも7時前ぐらいにケーキ作っているのに今日は随分と早起きだなと思った。すると、俺の疑問を察したのか姉は答える。


「実はね、今日ちょー偉い作家さんが来るのよ? しかも今日出てくるはずのスタッフ休んじゃうしでてんてこ舞いなわけなのよ」

「へぇーそうなんだ」


「そゆわけで急いでんの。アンタもいつも通りしといて」

「……りょーかい」


 高ぶった感情を押さえながらいつも通り裏方の仕事を手伝うため自室へと戻ることにする。ジャージに着替えて――って、着れる服ない。どうしよう……なんか代わりに着れそうなものとかあるか? そんなことを考えながら廊下を歩いていると後ろから声を掛けられる。


 声の主は姉だったがさっきとは違い腕に何かを抱いている――あれは従業員用の服……? いったい何の用だろうか? 不思議に思っていると持っていた服を俺に押し付けてくる。


「やっぱ今日裏方の仕事やんなくていいよ。その代わりせっかく女の子になったんだからさ……スタッフとして表に出てくんない?」

「……えっ?」


 俺の腑抜けた声が廊下に響いた。

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