第8話 「感性」は「ほしい」で作れるのか?
私の父親は、大のケチである。
私の母親は、服と推し以外には金を使わない人である。
私の祖母は、基本どんぶり勘定である。美味しいものと人付き合いに金をかける人だ。
私の祖父は、酒飲みギャンブラーととんでもない人だった。
叔父叔母たちは割愛する。全員、独身貴族、宵越しの金を持てない人たちである。
そして、私はその一家でも、特に宵越しの金を持てない人の一員だ。
そんな私が、最近Twitterでとある漫画を読んだ。
「安いからの呪い」というものについて、書かれていた。
「安いから」これがほしい。本当に自分が欲しいものが買えず、安いものばかりを買うというもの。
所謂、倹約家とかケチと呼ばれるもののことだろう。
それを「安いからの呪い」と称していた。
さて、私の父親はとんでもなく倹約家である。安いものを食べ、安い服屋を探し、安い小物で身を固め、スマートフォンも最小プラン。
「木曜日、この靴いくらだかわかるか? ちなみに仕事用品系で買ったぜ!」
と私に意気揚々と聞いてくるのが日課である。
「1000円?」
「いや、ほしいな、890円だ」
どこでそんな靴を見つけてくるのか、私の父親の探索力は凄い。
そんな父親が好きなのは、車と野球と時計とバスケ、情報を仕入れるのが好きで、古本屋を回っては安く雑誌を買いまわっている。
「これ、50円で手に入れたんだぜ」とにやにやする父親はいつ見ても面白いと思う。
「木曜日、世界の三大時計は?」と、私に叩き込んでくれたおかげで、私も時計についてはほんの少しだけ詳しくなった。
車も一緒に無料のカーショーに連れて行ってくれたり、車ショップを回ってみたりと、なかなか安くできる楽しみも教えてくれた。
そんな父親に、なんでそんな節約が好きなのかと私が聞いてみたことがある。すると父親はこう言った。
「そりゃ、自分が欲しい物を1円でも「安く」手に入れられたら、嬉しい。そういう宝探しをしてるんだ」と。
「それに失敗しても話のネタになるしな」とも続けた。
たしかに、父親は安いものを買って、失敗しても「あのプリンはまじでまずかったわ」という話をおもしろおかしくエピソードトークできる人だ。
100円均一で面白いものを見つける才能もある。すぐ壊れても、一回のネタ分だと笑うユーモアもある。
これを傍から見たら、「安物買いの銭失い」なのかもしれない。ただ、私にはどうしても銭を失っているようには見えなかった。
たしかに、父親はご飯に対しては基本「安いから」で選んでいたり、必要なものも割りかし「安いから」で選んではいる。
本人自体も「高いものわざわざ選ぶのもなあ」と、言っている。
でも、「安いから」と言っていても、本人が安い以外で気に入っているポイントも言えている。
「安いから」と言っても、それ以上にその人の人生を豊かにしてるならそれは、安物買いの銭失いではないのだ。
逆にうちの祖母は、「高級品」や「季節限定品」、「近所付き合い」というものに滅法弱く、高いものを買ってしまう。どんなものも高い方を買っていた。もし同じ野菜値段別に並んでいたら、高いのを選ぶのが祖母である。
たしかに、高いものはいい。
けれど、失敗した時に「これは高かったから」と捨てる決心をするまで、ものすごく時間を強いられていた。
また、その高級志向は祖母から生まれた母親含む三姉弟にも染み渡ってしまっている。
母親は宵越しの金を持てるようになるまで相当苦労したし、その下は未だに宵越しの金を持てていない。
弟に関しては、基本安いものが食べれず、妥協した飯がデパ地下の高い弁当だ。
さらに、皆ほしいからと言って、吟味せず高いものを買っては、タンスの肥やしにしている。
うちの母親は服が大好きだが、なかなか日の目を見ることのない服が沢山ある。どれも母親に似合うおしゃれな服たちだが、タンスの肥やしになってないとは言い難い。
しかも、その失敗を表に出すのは恥ずかしいという感性をしている。そうなると、どんなものも眠ったまま、壊れてゴミ箱に行きになる。
さて、これを健全な感性というのだろうか。
そんな家族に生まれた一番のヤングヒューマン。
それが、常に「散財チャァァンス」を狙うこの散財ラヴマシーン木曜日である。
私は強いて言うなら「ほしいから」の呪いに罹っているだろう。今もその呪いと戦っている。
以前推しのCDや、枕を買った話や、財布がほしい話をこのエッセイでしていた。
その時に、感じ取られた人がいるかもしれないが、「何故ほしいのか」と「どういうものなら買いたいのか」を基本明確にしている。
そこに、「どのくらいまでにほしいのか」、「いくらまで出せるのか」も脳内では整理してから、しっかりとリサーチをしている。
これは購入する際の軸がブレた結果、失敗をしたくないからだ。
どんな欲しい物も、購入するための優先事項はどれなのかは明確にしておいている。
でも、私は煮え滾った散財の血が身体中を駆け巡っている。
「買えない理由が高いだけなら、如何にして買うまでに至ればいいか作戦を練ればいい」
それが私の信念である。
勿論それで失敗したら、ここでエッセイのネタにしたり、友人との酒の
でも、それでも、「ほしいから」という漠然的なもので、多数買い物に失敗してきている。
特に私の服については、多数の笑えない失敗をしてきた。
別のエッセイではそれについて話そうと思う。
今日はここまで。
ありがとうでございまちゅー。なんてね。
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