昏き魔刻のアルヴェレド

夏芽 悠灯

第1話 二人旅

 月夜に照らされる大きな屋敷の中庭で、赤黒い薔薇がただ静かに咲き誇っている。


 それらは空に浮かぶ三日月の淡い燐光を受けて、怪しく揺らめいていた。


 その薔薇が根差しているのは地面ではない。

 屋敷の中庭に点在して倒れ伏すだ。


 尋常ならざる光景を目端に捉えながら青みがかった黒髪の青年が、倒れ伏す銀髪の少女を庇っている。


 彼は息も絶え絶えで片膝をつき、掻きむしるように自身の胸を押さえながら三白眼で眼前の人物を睨み上げていた。


 相対するは漆黒の髪で片眼を隠した、左右非対称の髪型の青年。彼は余裕のある表情に小さな笑みさえ称えていた。


 満身創痍の青年が黎明の空を思わせる青みがかった黒髪に対し、一方の青年は深淵の闇が形を成したかのような深い黒髪であった。


 赤みがかった三日月を背に闇色の髪の青年が片手を振り上げるや、彼の赤黒い影が意思を持ったかの如く蠢いた。

 そして目にも止まらぬ早さで黎明色の髪の青年へと驀進し、その四肢を貫いて地面に縫い付けた。


 壮絶なる痛みに表情を歪めた黎明色の髪の青年は、それでも現状を覆さんと抗おうとしていた。


 そんな彼を見た闇色の髪の青年は小さく笑って、影を手中に集めることで花弁の閉じた赤黒い薔薇を形成した。


 笑みを称えたままの彼は何事かを呟き、地面に縫い付けられた青年の首元に薔薇の茎を突き刺した。


 刹那、茨が広がり薔薇が寄生するかのように青年の首元に根付いた。そして一定間隔で脈動し、青年はその度に凄絶なる激痛に苛まれた。


 全身を巨大な針で貫かれ続けるような痛みに発狂しそうになっている最中、彼の絶叫によって銀髪の少女が目を覚ます。


 そして駆け寄ってきた彼女が絶叫を上げる青年の身体を揺さぶり、必死に何かを叫んでいる。


 激痛の大海を彷徨っている青年には彼女の言葉が届くことは無く、しかし頬に落ちる暖かなものがほんの少しだけ彼の苦痛を和らげていた。


 頭上からこぼれ落ちるそれを拭おうと、青年は緩慢な動きで手を伸ばそうとして——



   ◆ ◆ ◆



「……ラク。……きなさい」


 声が、聞こえた。

 眠りから覚醒しかけている青年の耳に心地よい声音だ。


 銀鈴のように凛々しく美しい、しかしどこか儚げな弱さを感じる声だ。


「ドラク、いい加減起きなさ——」


 その声を求めて手を伸ばした。

 声の主が側にいることを確かめるように。


「エルザ……」


 頭上に伸ばされた手は暖かな肌に触れ、その存在をありありと伝えた。


 質の良い絹のような上質な手触りを認識しながら青年が微睡みから覚醒すると、眼前で美しい少女が長い銀髪を垂らしながらこちらをのぞき込んできていた。


 頬に触れられて驚いたのか、宝石のような翡翠色の瞳を大きく見開いている。

 しかしすぐに立ち直ったらしく、常の怜悧な目付きに戻って頬に当てられていた手をそっと払った。


「起きたのなら準備しなさい」


 ついと視線を外した銀髪の少女は冷淡に聞こえる声色でそう言い、自身の荷物をまさぐって何かを放ってきた。


「んぁ……?」


 起きがけではあるものの、ドラクと呼ばれた青年は少女に放られたものを見事に掴み取ってみせる。


「酷い寝癖よ」

「あぁ、助かる……」


 銀髪の少女から投げ渡されたものは、高級感のある金縁の鏡であった。ドラクと呼ばれた青年はそれに映った自身の髪の乱れ様に小さく苦笑した。


 黎明の空を思わせる青みがかった黒髪が、あらぬ方向にうねっている。少し癖のある髪質のため寝方を間違えるとすぐにこうなってしまう。


 群青色の眠気眼を擦りながら強引に髪を撫で付け、ある程度収まりが良くなったところでベッドから立ち上った。

 

 そして金縁の手鏡を持ち主に返すついでに彼女の隣へ移動し、窓の外の景色に目を向けた。


 ここはとある宿屋の一室。五階建ての最上階の角部屋からは、現在二人がいる街を見渡すことが出来る。


 山海の中継地 ベルアレ。

 この街は大陸南東の、山と海の中間に位置している。そのため海と山、それぞれの荷を運ぶ中継地点として行商人が滞在する街でもある。


 窓からは同心円状に石造りの建物が並んでいるのが見て取れ、一定の間隔を設けて通りが街の中央へ向かって伸びている。

 四方八方から伸びる通りの終点である中央地点には他の建物よりもひときわ高い尖塔が屹立していた。


 よく見てみると、それは鐘楼と大時計が備え付けられたものであることが分かった。


「エルザ、あれがそうか?」


 その尖塔の北西、城壁の外に見える小高い丘の上に立派な屋敷がぽつんと立っている。


 ドラクはその屋敷に目を向けながら、隣に立つ少女に確認した


「えぇ、街の住人が口々に発していた【呪禍じゅかの少女】が一人でね……」


 エルザと呼ばれた銀髪の少女は一瞬だけ眼を細めた後、屋敷から視線を切った。そして扉の方に向かって歩きながら言葉を続けた。


「あなたが眠りこけている間に良い時間になったわ。行きましょう」

「あ、もうそんな時間かよ。さっさと行くか~」


 エルザの言葉を聞いたドラクは尖塔の時計盤に目を向け、現在時刻が正午になりつつあることを知った。


 大きく伸びをすると、早々に部屋から出て行ったエルザの背を追って彼も宿屋の一室を後にした。



「【呪禍の少女】ねぇ……」

「たった一人の少女のせいにしなければならないほど、この街は死の恐怖に晒されてしまっているのよ」


 ドラクたちは昨日この街に入って情報を集めていた。というのも、旅の最中にこの街の良くない噂を聞きつけたためだ。


 【月代つきしろの魔人事件】と呼ばれる噂の概要はこうだ。



 この街には魔人が現れるという。


 決まって新月の夜に現れては、夜道を歩いている者の命を喰らうらしい。


 命からがら逃げ延びた者の証言から、その魔人は黄金の単眼を有しているのだという。


 闇夜の中でも輝く黄金の単眼を備え、新月の夜に月の代わりのように現れる。



 そこからついた名前が【月代の魔人】。



 この街ではここ数ヶ月、毎月のようにその魔人が現れているのだという。


 被害の規模も拡大しており、今では魔人の存在を恐れて新月以外の夜でも外出しようとする者はほとんどいないのだという。


 そしてドラクたちの聞き込みの中で、多くの住民が口々に言ったのが【呪禍の少女】という存在だ。

 彼らは【月代の魔人事件】はその少女が呼び込んだ不幸なんだ、と怯えながら主張していた。


 少女は月に数度だけ屋敷に訪れる行商人のみから物品を購入しており、街に降りてくることはまずないため、彼女に会うには屋敷に赴くしか無いのだという。


 そのため二人は噂の真偽を調べるべく、その少女がたった一人で住まう街外れの屋敷に向かっていた。



「まって、ママ~!」


 城壁の外にある屋敷に一番近い西門を目指して歩いていると、ドラクの横を通り過ぎた女性の後を追うため、小さな少女が彼らの前方から駆けてきた。


「あっ……!」


 しかし少女は足をもつれさせてしまい、ドラクの目の前で転んでしまった。


 その拍子に手に持っていた可愛らしい人形が宙を舞ったが、ドラクは少し跳躍することでそれをキャッチした。


 しかし転んでしまった女の子は石畳で膝を擦りむいてしまったようで、今にも泣き出しそうであった。


「ちょっと見せて」

「う、ん……」


 そんな少女の前に膝をついてエルザが彼女の傷に目を遣った。


 決して深くはないがそれなりに出血しており、子供にとっては泣き出してしまいそうなほどの傷であろうことが伝わってきた。


 必死に涙を堪えながらエルザに膝を差し出している少女の横に、左手で人形を持ったドラクが現れる。彼はそれを彼女の前でふりふりと動かして見せた。


「痛そうだねぇ~、でも泣かないで偉いねぇ~!」


 ドラクは裏声で人形の声を演じ、泣き出しそうな少女の気を引いている。

 その間にエルザは少女の膝の傷に右手をかざしていた。


 すると彼女の手がうっすらと白光を帯び、瞬きの間にすぐ消えた。


「キミが良い子にしてたから、もう痛いのが飛んでっちゃたよ~」


 人形によって視線を上に誘導していたドラクだったが、それを少女の膝付近に下げながらそう言った。


「えっ! もう痛くない!」


 ドラクが人形を膝の上から遠ざけると、少女の膝に刻まれていた傷は綺麗さっぱり無くなっていた。

 彼女は驚きと喜びが入り交じった顔で自身の膝を見つめた後、跪いているエルザの顔にくりくりとした瞳を向けた。


「ありがとー、きれーなまほー使いのお姉さん!」


 満面の笑みでそう言うと少女はエルザの胸に飛び込んできて、小さな腕を彼女の背に回した。そして非力ながらも力一杯抱きしめて精一杯の感謝を示した。


「え、ええと……」

「撫でてやれよ」


 困惑した表情のエルザに、ドラクが小さな笑みを浮かべながら助け船を出す。


 その助言にも困り顔の彼女ではあったが、言う通り少女の頭を撫でてやった。


「すみません、うちの子が何かご迷惑を!?」

「あぁいや、転んじゃったから起こしてあげただけだよ」


 少女の母親らしき女性が焦ったように謝罪してきたものの、ドラクは首を横に振って彼女の言葉を否定した。


「そうでしたか、ありがとうござます!」


 そんなやり取りをしている間に少女はエルザから離れ、母親の手を握ってこちらに向き直っていた。


「ありがと、おねーちゃん、おにーちゃん」


 そしてぺこりとお辞儀をして、一連の出来事に対する感謝を述べた。母親もそれに続いて深々とお辞儀をし、この場を去ろうとした。


「おっとお嬢さん、忘れ物だぜ」


 背を向けて歩いて行こうとする少女に、ドラクは声をかけた。そして振り返ったことを確認すると、持ったままだった人形を優しく放り投げた。


「わっ!」


 少女は驚きながらも可愛らしい人形をキャッチした。そして笑みを咲かせてドラクたちに手を振り、今度こそ母親と共に去って行った。


「……あなた、本当に道化ね」

「うっせ、これが俺なりの処世術なんだよ。お前こそ子供に対しておどおどしすぎだ」


 少女の背を見送ると、横に立つエルザが怪訝そうな視線をドラクに向けてきた。彼はその言葉に対してカウンターをお見舞いする。


「そ、それは……。どうしていいのか分からないのだもの……」


 エルザは先ほどのことを思い出したのか、再び困惑した表情を浮かべながら視線を逸らした。


「まぁ適材適所ってやつだろ。お前が子供の相手を上手くこなしてるところなんて想像出来ないからな」


 おろおろしながら子供をあやしているエルザ姿を想像して笑ったドラクのすねに、彼女のつま先が突き刺さった。


「いっっって!」

「さっさと行くわよ、道化」


 ツンとした表情を浮かべながら、【呪禍の少女】が住まうという屋敷の方向に身体を向け直したエルザはドラクを置いて歩を進める。


 臑の痛みが引いてから、遠退くその背を追って彼も駆け出した。

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