恋はもう、いいか。
一天草莽
第1話 プロローグ(1)
小学生のころから人見知りが強く、自分から声をかけて積極的に新しい友達を作ることが苦手だった俺は人間関係が狭くて、何をするにも決まりきったメンバーとばかり遊んでいた。居心地のいい気心の知れた男子ばかりで集まってはバカをして、いたずらもするので親にも先生にもよく怒られた。
よく言えば”やんちゃ”坊主で、悪く言えば”考えなし”な少年。
手の付けられない問題児とまでは言わないまでも、ことあるごとに保護者や教師の手を
冷静に考えれば悪いのは自分なのだけれど、せめて友達と遊んでいる時くらいは口うるさい大人たちの目から逃れたい。どんな遊びをしていても後ろに親や先生がいたんじゃ全力で楽しめない。端的に言えば邪魔だ。
そう思っていたのは俺ばかりではなかったらしく、同じことを考えていた仲間内で冒険心と反抗心が高まった小学四年生のころ、自分たちだけの秘密基地を作って遊ぶようになった。
近所にある空き地や公園、お寺や神社の裏手などは簡単に見つかって秘密基地としてのレベルが低いからと、見通しの悪い森の中、けもの道ばかりの山、おぼれても不思議ではない川、今にも崩壊しかねない廃屋などなど、毎日のように探検してはアジトの候補地を増やしていった。
で、そんなことをしているうちに運の悪い友達の一人が崖から落ちて、擦り傷、打撲、足の骨を折る怪我をした。
一歩間違えれば大惨事。誰かが死んでいてもおかしくない。
こっぴどく叱られたのは当然として、それ以上に心配をかけてしまったのもあって、放課後や休日に俺たちが子供だけで遊びに行くときは危険なことをしないようにと、最低一人は監視役がつけられることとなった。
といっても、保護者達に任命された監視役は子供心を理解してくれない大人ではない。
いつも遊んでいた友達のお兄さんで、同じ小学校に通っている一つ年上の先輩である。
「俺がこいつらの監視役だと? はあ、まったく面倒なことになったぜ。なんで俺が年下のガキどもの面倒を見なくちゃならんのだ……」
などと、最初はいやいやながら付き添っていた先輩だったが、そこは小学生、なんだかんだと先輩の友達も集まって一緒に遊ぶようになった。
小学四年生と五年生の男子が空いた時間に顔を突き合わせ、誰ともなしに「なんかすごいことやるぞ!」と盛り上がった本格的な秘密基地計画のスタートである。
子供たちだけの秘密の遊び場を作るというだけで、いざ完成させた後に何かやるべき目的があったわけでもない。なのに多い時には参加者が十人を超えていて、それぞれがいろんなものを持ち寄ってくるから最初は貧相だった秘密基地も豪華になり、あっちにもこっちにもと、いくつもの支所を構えるほどになった。
忍者ごっこやスパイごっこを兼ねて、ちょっとしたブームになっていたのかもしれない。
秘密のはずが日を待たずして学校のみんなにも知られる存在となり、面白そうだからと話題になって上級生に下級生、男子と一緒に遊ぶことに抵抗感のない女子までと、ますます関係者は増えていった。
まさに世は大秘密基地時代!
……が、そうなると主導権は人気者が握ってしまうもの。
学校中の人間が集まって秘密基地を作っていくのは最高に楽しい思い出だったけれど、同時に居心地の悪さも感じてしまうのが俺という人間である。すっかり大所帯となったグループから当初の仲間である四人くらいで抜け出して、本拠地とは別の場所に「秘密の秘密基地を作ろうぜ!」と計画を立てて探検することにした。
けれど、誰にも言わず勝手にやって怪我をすると今度こそ大目玉を食らうに違いない。
なので、やはり監督役として一人だけ先輩がついてくることになった。
「みんな、よろしくね。怪我をすると大変だから、あんまり危ないことはしちゃ駄目だよ」
それが、鈴木ハルナ先輩。
当時、俺よりも一つ年上の小学五年生だった女子だ。
幅の広い川を何本か渡った先に住んでいる先輩とはほとんど接点がなく、年上の異性ということもあって、どちらかといえば俺は彼女に対して苦手意識を抱いていた。同じクラスの女子ともうまくしゃべれずにいた俺だから、正直に言えば男子だけの仲良しグループに入ってきた彼女の存在を疎ましくさえ思っていた。
まともに顔もむけず、あまりしゃべらず、あからさまに無視するとまでは言わずとも愛想が悪く、一個年下の悪ガキ連中の面倒を見る羽目になった先輩にしてみれば迷惑どころか苦痛でしかなかっただろう。
お前たちの遊びに付き合ってられるか! と怒って帰ってしまっても不思議ではない。
なのに先輩はいつでも優しかった。まるで本当のお姉さんみたいに俺たちの面倒を見てくれた。何を言われても何をされても嫌がるそぶりは一切見せず、誰かが馬鹿をやるたびに一緒になって楽しそうに笑ってくれた。
だから俺が恋に落ちるのは早かった。
いや、実際には一目見た時から心の内では惚れていたのかもしれない。出会った当初に苦手意識があったのも、好きな相手だからこそ無意識に避けていたのだ。
先輩に対する恋愛感情を素直に認めるのが恥ずかしかったのである。
ともかく、それから二年間ほど、先輩が小学校を卒業するまでいろんな遊びに付き合ってもらうことになった。学校中から何人もの男女が参加して盛り上がった秘密基地ごっこは一年もたたないうちにブームが過ぎ去ってしまったけれど、ハルナ先輩はその後も俺たちの馬鹿に付き合ってくれたのだ。
あれよあれよと月日が流れて先輩が小学校を卒業すると、仲のいい男子ばかりで集まっても以前ほどの馬鹿をやらなくなった。六年生になって最上級生としての自覚が出てきたというよりも、あらゆることへのモチベーションが低くなってしまったというべきか。
ある時から俺たちがふざけていたのは「よく笑ってくれる優しいハルナ先輩にかまってもらうため」になっていたのかもしれない。
一年間は寂しい思いをして、中学校で先輩と再会した。
ただし、その時の先輩は一人だった。
友達らしい友達もいない様子で、いつ見ても寂しそうだった。
こちらから声をかけて一緒に遊ぶようになっても浮かない表情は変わらず、小学生のころのように楽しそうに笑う姿を見せてくれることはほとんどなくなっていた。本物のお姉さんみたいな優しさも面倒見のよさも変わっていないのに、俺と遊ぶときには昔ほどの無邪気さや遠慮のなさが感じられなくなった。
それでも友達として過ごした中学校の二年間。
今の時代はいつでもどこでもスマホで簡単に連絡が取れる。とはいえ、そうはいっても中学校を卒業した先輩と今までのように遊ぶのは難しく、このままでは離れ離れになって二度と会えないような予感がした。
なので、ここで一念発起。
小学生の時からずっと恋心を抱えていた俺は一世一代の告白に踏み切る決意をした。
策らしい策はない。
馬鹿正直に「先輩のことが好きです、付き合ってください」と伝える。
駄目だったら駄目でいい、その時はその時だ。どうせ卒業すれば疎遠になって自然と会えなくなる。やらずに後悔するくらいなら玉砕したほうがいいだろう。
「……えっと、うん。いいよ。付き合おっか」
「え、本当ですか? 自分で言っておいてなんですけど、俺なんかでいいんですか?」
「うん。もちろん。俺なんかとか言っちゃだめだよ」
「先輩……」
というわけで、先輩が卒業するまであと数か月と迫ったころに俺たちは付き合うこととなった。
けれど、その瞬間から困った問題が一つ誕生した。晴れて正式に恋人となれたところで、恋愛経験もなく、知識も乏しい俺には一体何をすればいいのかわからなかったのだ。
先輩との関係が友達から恋人に変わったとしても、結局はいつも通り、小学生のころの延長線上で遊ぶだけ。
いや、むしろあのころよりも距離が遠くなった気がする。
お互いに遠慮して、嬉しいはずなのに気恥ずかしさや気まずさのほうが強かったくらいだ。
「せっかく付き合えたのに、どうすればいいんだ。これじゃあ、ひょっとして先輩に見放されるんじゃないか?」
それでも優しい先輩とじれったい日々を過ごす
どんなに恥ずかしくたって、夢にまで見た恋愛関係がこれではいけない。もしも先輩が中学生になった今でも監視役のつもりでいて、大人たちが言う不純異性交遊に無意識な部分でストップをかけているのなら、先に告白した者の責任としてこちらからアプローチしなければいつまでたっても先には進めない。
そう思った俺はもう一度勇気を出す。
恋人らしいことを何もできないまま交際期間が一か月を過ぎて、先輩が卒業するまでに一つくらいは貴重な思い出を作っておきたいと考えた俺。
手を握るとか、ハグをするとか、いつまでも残るプレゼントを贈りあうとか、そういうことよりも深くて、度胸のいる行為。
大人同士の恋人みたいに、唇と唇でのキスをしてみることにしたのである。
「キス……? キスって、私と?」
「はい、そうです。だって、先輩、俺たち付き合っているんですよ? 駄目ですか?」
告白した時がそうであったように、気持ちばかりが先行したせいで策らしい策もムードもへったくれもなく、あまりにも愚直に頼み込んでみる。
学校終わりの放課後の帰り道、夕暮れ時の路上。いつも未練がましくサヨナラを告げる先輩との分かれ道で、一度くらいは恋人らしくキスをしてみませんかとお願いした。
いきなりのことで恥ずかしがっているのか、顔をそらしそうになった先輩は一瞬ためらった。
「え、でもな……。いや、うん、だ、駄目じゃないけど……」
「よかった。断られたらどうしようって不安だったんです」
「そ、そうだよね。ごめん。こっちから言わなくちゃいけないのに。私、先輩なんだから」
どうしようかと迷ったように泳いでいた視線がこちらに向く。
そしてうなずく。
とにもかくにも、先輩からのオーケーをもらえたらしい。
ここに至るまでに積み重なってきた恥ずかしさと緊張があって、同じくらい喜びや高揚感もあって、手汗や胸のドキドキも無視はできないけれど、いよいよその時が来たと俺は覚悟を決めた。
それじゃあ、と言って先輩の肩に手をのせる。
うん、と言って先輩が目を閉じる。
思春期の少年少女が勉強するために用意された恋愛の教科書があるわけじゃないから正しいキスの作法なんて知らないけれど、テレビやネットで何度となく見聞きしているので、なんとなくなら俺も知っている。
たぶん、あとは顔を近づけていくだけだ。
そのはずだったのに……。
「……ご、ごめん」
「先輩」
「……ごめん。ごめんなさい」
いつまでもキスができずに様子がおかしいと思って目を開けると、しっかりとマスクでガードするみたいに自分の口元を手で押さえて、よろよろと倒れるように一歩後ろに身を引いた先輩が泣いていた。
どういうわけか、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
悲しそうに、つらそうに。
「ごめんなさい。でも、やっぱり……」
「先輩……」
必死に、懸命に、ひたすらに何かを謝る先輩。
まだそんな気分じゃないからキスするのを嫌がった、という単純な理由には思えなかった。
恋人であるはずの俺とのキスを涙ながらに拒絶したことは、もっと根本的なところに原因がある。
ゴールテープの場所を間違えたのではなく、スタート地点そのものが間違っている。
そう、おそらく、そもそも先輩は俺のことを恋愛対象として好きでいてくれたわけではないのだ。
こちらからの告白を受け入れてくれたのは、ただの優しさ。自分の気持ちを伝えるために勇気を出した俺が傷つかないように、好きでもないのに我慢して付き合ってくれていただけ。
ずっと好きだった人と恋人になれて、喜んでいたのは俺一人。
義理や思いやりで俺からの告白を断れず、ずっと一人で悩み苦しんでいたであろう先輩の気持ちには一切気づいてあげられなかった。
「ごめんね。ごめん。本当にごめんね……」
それから先輩は何度も何度も声を震わせながら申し訳なさそうに謝ってくれたけれど、本当に謝らなければならないのは俺のほうだ。あまりにも能天気に幸せを感じていた日々を考えれば考えるほど、どこまでも自分が情けなくなってくる。
その後、どちらから言い出したわけでもなく俺たちの関係は自然消滅した。
客観的な事実としては、馬鹿な俺が先輩に振られて終わったというだけの話だけれど。
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