異界の女騎士、チョコレート様の物体と共に降り来る
冴吹稔
第1話 最初で最後の、バレンタイン
昼休み。がら空きの教室でもそもそと弁当を食っていたら、クラスの女子が机の横を通り抜けざまに、弁当箱の下に小さなメモ用紙を滑り込ませてきた。
(なんだ……?)
顔を上げてその女子の後姿を見送る。ここからでは顔が見えないが、あの長身の体型と特徴的な髪の色――
思い違いでなければ、クラス委員長の
女子の間でも「ノリが悪い」「お堅い」というのが定番の人物評で、浮いている――本人はそれを歯牙にもかけていないが。
メモ用紙を手に取ってみると、紫インクのボールペンで走り書きがしてあった。
――放課後、校門脇のイチョウの下で待ってます。 林堂美咲
(ええ……)
正直、驚きしかない。
彼女とは三年になった時のクラス替えで、初めて同じ組になった。あとは二年の時に、文化祭の実行委員としてそれぞれのクラスを代表して選出され、運営や設営で走り回った時に、ちょっと仕事を手伝って。
特筆すべきエピソードとしては、配布用のパンフレット印刷が手違いで遅れそうになった時に、一緒に印刷屋を回って頭を下げたことくらい――接点なんて、その程度だったはずなのだが。
そういえば今日は二月の十四日。世間でいうところのバレンタインデーだ。
(まさか、なあ?)
つい甘美な想像に流れがちな頭をぶるぶると振って、そんな可能性はないはずだと否定しては見たが――それでも放課後を待つ間、自習に身が入らなかったことを、笑えるものなどありはすまい。
* * *
高校三年の二月といえば、既に授業もあらかた消化し終えている。クラスメイトは日々入れ替わりのようにして遠方へ受験に行き、教室の机も空席が目立つ、そんな時期だった。
世のなかの「恋愛巧者」を自認するような人々、特に女性のみなさんには常々聞きたいと今も思っているのだが――
高校三年のバレンタインデーというのは、実際のところどういう位置づけなのだろうか?
考えてもみるがいい。贈り物と一緒に好意を告白したとして、そこで結ばれたカップルというやつは、わずか二カ月後にはそれぞれ別の進路にばらばらに別れてしまうわけで。
それでなお関係が持続するなら、そもそもそんな周回遅れのタイミングで告白する必要もない。
要するに、その日学校で茶褐色をしたカロリーの塊をやり取りしているのは、それ以前から付き合っている上で卒業後の進路もだいたい変わらない――そんな者同士のペアであるはずで。
……はずであるにも関わらず。林堂美咲は指定の場所で待っていた。
「……待った?」
「少しね。午後から曇って来てたから、イヤーマッフル忘れたのをかなり後悔しちゃった」
色白な彼女の耳たぶが血の色を透かして、未熟なリンゴの果皮を思わせる色に染まっていたのは、果たして寒さのせいだったのか、どうか。
とにかく彼女は学生カバンと別に持ったサブバッグから、凝ったデザインの包装紙に包まれてキラキラしたサテン風のリボンを掛けた、ハガキほどの大きさの包みを取り出すと、それを僕に手渡してきたのだ。
「ええと、その。僕で……?」
「北島くんのこと、ずっと気になってた。明日から東京に二次試験受けに行くから……今日が最後のチャンスかなと思って――このくらいの思い出、作らせてくれるでしょ?」
「そっか」
まあ、彼女の立場はよく分かる。僕は早々に地元の大学に推薦入学を決めていたが、彼女はこれから大勝負。仮にもっと早い時期に告白と、交際に踏み切ったりしていたら――どちらの受験事情も、もう少し厳しいことになっていたに違いない。
「いいよ。僕で良ければ――僕も林堂さんと最後に思い出作れるんだったら、とても嬉しいし」
差し出された箱を、僕は押し戴いて受け取った。
「よかった……!」
ああ。不覚だった――堅物で澄ました態度と野暮ったいセルフレームの眼鏡に騙されて、僕は林堂美咲がこんなに可愛い女の子だと、今が今まで気づかなかったのだ。
「っ……さっ、
僕は必死に、未来の彼女を手元に繋ぎとめようと早口でまくし立てた。林堂はちょっと目元を手の甲でぐしぐしと擦ると、無言でうなずいて――
それぞれのスマホにメールを送りあったその後で。
彼女はチョコよりももう少し特別な贈り物を僕の頬に遺し、校門から続く緩やかな坂道を、手を振りながらバス停の方へ向かって駆け下りていった。
だが、その二日後。
東京を襲った寒波の中、凍った路面でスリップしたバスが、とある大学の試験会場へ向かう受験生の列に突っ込むという、凄惨な事故がニュースで報じられた。
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