第22話

 すっかり日が暮れ灯りが照らすリビングで瑞希は一人座り込んでいた。


 灯のおかげで部屋の中は明るいと言うのに、瑞希の視界は暗く沈んでいる。

 ポタポタと、膝の上で握り込んだ拳に雫が垂れた。


「なんで……どうして……なんで……どうして……」


 ぶつぶつと只管呟く様子は異様だった。感情の剥がれ落ちた顔から涙が垂れようと気にする素振りもない。


「なんで……どうして……なんで……どうして……」


 なんで自分の家族なのか。どうして二人とも居なくなってしまうのか。なんで剣士なんて危険なものになりたがるのか。どうして自分から家族を奪うのか。


 限界だった。瑞希の心は擦り切れ、潤いを失っていた。


 半年間ただ家に引きこもって生きてきた。生きることだけは続けてきた。

 だけどもうそれも辛くなってきた。


 瑞希は家を出て当てもなく街を彷徨う。目的もなくどこかに辿り着きたいわけでもなく。


 そんな時に出会ってしまった。


 縋れるものに。


「貴女の苦悩を取り払ってあげましょう」

「ぁ……」


 真っ白な服に身を包んだ如何にも宗教関連を窺わせる格好をした男。

 思考のままならない瑞希は平時なら絶対についていかないようなその男に疑問を抱くことなく後を追った。


 町外れ。草臥れたビルの一室。瑞希のように陰った表情の人々が集められていた。

 瑞希もその集団に混ざり込み、壇上に立つ男を眺める。


「神に想いを捧げましょう。捧げた想いは神に届ききっとあなた方に幸福をもたらしてくれます」


 平べったい気持ちの籠っていない言葉。

 何故か男を見ているとその言葉がひどく心の裡に入り込んでくる。

 その言葉を信じてしまう。


 捧げよう。そして幸せになるのだ。かつての生活を取り戻すのだ。


 瑞希は沼に浸かり始めていた。










 想いだけではなく金も捧げた。金の量は想いの量だから。口座に預けられていた殆どを神に捧げた。想いも掌が擦り切れてしまうほど拝みありったけを捧げてきた。


 より想いを捧げられるように男から受け取った神水を口にした。ひどく甘くて思考を蕩けさせる。


 幸せな気持ちになれる水だった。

 考えることはできなくなってくるがどうでもよかった。


 ただ幸福感が自分を満たしてくれることに飢えていた。


「貴女、なかなかいい具合ですね。次の段階に進みましょう」

「……はい」


 瑞希を連れ込んだ男に誘われて別の部屋に移動させられる。何人も人が入り、出てくることはなかった部屋。


 きっとあそこには入ったら出たくなくなる程幸せが溢れているんだ。


 瑞希は疑いを持つこともなくその部屋に入っていく。


 途端に鼻をつく異臭。同時に気化された神水が鼻から入り脳を侵す。


 振り抜いた男は仏のような笑みを浮かべていた。


「貴女は今幸せですか」

「……はい、幸せです」

「結構」


 大仰に問いかけた男は瑞希の両手に手枷を嵌める。

 そばにあった台に寝かせて足枷も付けさせ身動きができないようにキツく縛り上げた。


「貴女の想いは神に届きましたか?」

「……届きました。今とても幸せな気持ちだから」

「結構」


 続いて猿轡を噛まされて瑞希は声を出すこともできなくなってしまった。しかし虚な瞳の瑞希は疑問を抱かない。


「望月瑞希さん。貴方はとても良い人材だ。幸福な家庭が徐々に滅びていく絶望を感じ、愛する家族を二人も失い、それでも幸せを求める強欲さ。そんな貴方だからこそ、良質な負の感情を喰らうことができる!」


 男は両目からカラーコンタクトを外した。ごく普通だった焦茶の瞳の奥から澱み腐った血のような赤い眼が覗く。


「さぁ、貴方の甘美なる絶望を味合わせてください」


 パチン、と指を弾く。

 虚だった瑞希の目に徐々に光が宿り、男にかけられていた暗示、神水と言う名の亜人の力が溶け込んだ汚水への依存も消え失せた。


「……、っっ!? ぅぁッ!!」


 状況を理解していくにつれ瑞希を絶望と恐怖が襲う。


「あぁ、あぁ!! 良いですよ! とても良い! こんな貴女を犯し、喰らい、殺すのはどれだけ気持ちがいいかッ」


 纏っていた白い服を脱ぎつつ恍惚の表情を浮かべた男はメインディッシュを前に絶頂を迎える。


「アハァッ」


 涎がが垂れ脱力する。異様な、異常なその様子が瑞希をより怯えさせる。


 亜人の力によって鈍っていた思考力がこれからのことを鮮明に予測させる。

 なんで……どうして……。






 助けてよ…………戻ってきてよ…………正彦さん。






「あぁ? ここかぁ」

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