第9話

「父さん?」

「驚いた。よく気が付けたね」


 日課の瞑想をしている秀蔵の元へ邪魔しないようにと気配を消して近づいていた正彦は言い当てられたことに動揺する。


 昇格試験に合格し下級剣客となった正彦の隠形術はそうそう見破れるものではない。それをまだ一桁の子供に見破られたのだ。


「最近気づいたんだけどね。人の剣気を感じ取れるようになったみたいなんだ」

「なに!?」


 それは心眼という高等技術に含まれる技の一種だ。


 秀蔵が剣士になるため修行を始め早四年。九歳になったばかりの子供にできる芸当ではない。


「何となくぼやーっとだけどね」

「それは……すごいな、いや本当にすごいな?」

「へへ」


 正彦に褒められて秀蔵ははにかんで見せる。

 体の成長に合わせ少しずつ大きくなっている木剣を振りつつ、意識は半分心の裡に沈ませたまま。


 人の剣気を感じ取るにはまだ瞑想状態である必要があった。

 それでも秀蔵が剣士になるために必要な術に手を届かせたのだ。


 驚きと困惑に遅れじわじわと歓喜が込み上げて来る。


「こうしちゃおれん。お祝いしなきゃな!」

「大袈裟だよ〜」

「大袈裟なことあるか! 発露していない剣気を感じ取るなんて高等技術を習得したんだぞ!」


 秀蔵にとっては瞑想してたらいつの間にかわかるようになっていたというだけの技。修行のついでに身についたおまけのように感じていた。


 しかし剣気を操る達人たちにとってはそんなついでで終わらしていいものではなかった。


 人の剣気を感じ取るには発露、殺気のように自分の意思で放たれたものである必要があるのだ。


 例えるなら言葉だ。

 口に出た言葉と頭の中に思い浮かべた言葉。

 前者が発露した剣気で後者がしていない剣気だ。


 つまり他人の心を読み取るに等しい術ということ。


 この技術を十全に扱える剣士がいるとすれば少なくとも剣豪クラスなのは間違いない。


 それを理解できていない秀蔵は大慌てでお祝いの準備を始めた正彦に困惑するのだった。




 後日、秀蔵は正彦に連れられて街に繰り出していた。向かう先は聞いていない。聞いても内緒だと教えてくれなかった。


 しかしそれが前日のお祝い関連であることはウキウキの正彦の様子から伺いとれた。


「さぁついたぞ!」


 そう言って正彦が指差す方向にお目当ての店があった。とは言っても秀蔵には見えてない。


「どこについたの?」

「鍛冶屋だ」

「鍛冶屋?」


 カンカンと甲高く鳴っているのは鉄の打つ音かと納得する。そして同時に疑問も浮かぶ。


「鍛冶屋で何するの?」

「そりゃお前の剣を繕うんだよ!」


 いつにも増してテンションの高い正彦。遥か昔初めて自分の剣を手に入れた時の高揚感が蘇っているのだろう。


「僕の、剣?」

「そうだ。一部とは言え心眼を習得してみせたんだ。お前は一端の剣士と言える。しかしお前が持ってるのは木剣だけだろう? 剣士たるもの一振りは真剣を持っておくものだ」

「真剣、か」


 思い起こすのは三年前、キャンプ場で使ったナイフだ。あれ以来刃物を握ってこなかった秀蔵は緊張する。


「……そうやって真剣を怖がることができるなら、お前には剣を持つ資格がある。安心しなさい」


 正彦に宥められ秀蔵は鍛冶屋に足を踏み入れる。


 店の中には所狭しとあらゆる剣が飾ってあった。長剣、短剣、片刃、諸刃、曲刀、直剣。


「手に取り一番馴染むと思ったものを選びなさい」

「うん」


 剣に囲まれた秀蔵は一振り一振りゆっくりと見て回る。


「……」


 次第に秀蔵の意識は心の裡へと沈んでいく。剣に触れ瞑想状態になり、秀蔵の心の眼が開く。


「これ」


 無意識のうちに秀蔵は刀を手に取っていた。

 飾り気は少ない長さ二尺ほどの打刀。


「刀、か」


 刀と剣。どちらが扱いやすいかと言えば断然剣だ。剣は断ち切るもので刀は引き切るもの。より技術が必要なのは後者なのだ。


 できたら自分と同じ剣を選んで欲しかった。しかし秀蔵が選んだのだ。


 きっと正彦には見えない何かが秀蔵には見えていたのだろう。


 その帰り、刀と一緒に買った帯に刀を佩いた秀蔵は初めての感覚に戸惑っていた。


 腰にある慣れない重みのことでもあるが、それ以上に冴えた心眼が無意識に開眼するのだ。


 すれ違う人の剣気。剣士ではない人もごく僅かに剣気を宿している。そんな小さな剣気がそこら中にたくさん存在するのだ。


 それを無作為に感知してしまい気疲れしていた。


 早く帰ろう。そう足を早めようとした時。


「亜人だー!!」


 そんな誰かの叫び声が聞こえてきた。

 何事かと声の方向を向くのより早く隣にいた正彦が飛び出していた。


 正彦の剣気がものすごい勢いで駆けていく。

 その先に意識を向けた途端、秀蔵の肌が粟立つ。


 恐ろしい何かがいる。


 正彦はそれに一目散に向かい抜いた剣を一振り。殺気の込められた剣が恐ろしい何かを両断したのがわかった。


 すぐに正彦の元に行きたかったが、先ほどの恐ろしい何かを感じた影響か、足がすくんで動かない。


 呆然としているうちに事態は終息し戻ってきた正彦と共に帰路に着く。


「あれが亜人だ」

「あじん……?」


 亜人と遭遇したのは初めてだった。

 そして亜人を殺す正彦を見たのも。


 剣士とは亜人を倒す者である。


 秀蔵が剣士となった時、あれと戦うことになるのかと。

 いつの間にか刀の柄を強く握りしめていた。


「安心しなさい。秀蔵が一人前の剣士になるまで父さんが絶対に守ってあげるから」


 頭を撫でる父の手が心地よく、恐怖で冷えていた心が解きほぐされていく。


「いつか。父さんがピンチになった時は僕が助けてあげるね」

「そうかそうか。ははっ、期待しているよ」


 軽口を叩けるまでに回復してからは色々と話をしながら歩く。亜人のこと。剣士の仕事のこと。将来のこと。


 しかしいくら話しても亜人の気配が深く、色濃く消えることなく秀蔵の中に残るのだった。

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