第41話 鉱山の奥深くに

 マズシーナ刑務所の朝は早い。まずは寝床のワラを畳んで端に寄せ、椅子やテーブルを適切に並べる。それが終われば、作業場の広いエリアへと向かう。誰もが小走り。そして一同は揃うなり整列しては、緊張した面持ちで姿勢を正す。特に背筋は、可能な限り伸ばすよう命じられている。


 やがてポメロンが片手を挙げる。それを眼にした一同は、一斉になって声を響かせた。



「おはようございます!」



 すると、彼らの目の前に1人の男が姿を現す。腰から重たい鎖の音を鳴らしつつ。



「おはよう。今日も1日、怪我のないように務めること」


「肝に命じます!」


「不都合があれば、私かポメロンまで。では掛かれ」


「よろしくお願いしあっす!!」



 囚人達はそう叫ぶなり、颯爽とした動きで散っていく。その後ろ姿を、アクセルは目を細めつつ眺めた。



「性質は悪くないな。武技を教えれば、それなりの遣い手になるかもしれん」



 その隣で佇む、うっとり顔のサーシャ。そして、怪訝顔のウセンが続く。



「アクセルさん。君ってやつは本当に規格外だね。まさか荒くれ者達を、こうも従順に教育するだなんて」


「世の中には、話せば分かるという言葉があるらしい」


「えっ。もしかして説得したのかい? それで彼らが従ったと?」


「一応は、拳打や蹴りを何度か」


「やっぱり恐怖政治じゃないか」



 坑内には早くもツルハシの音が響きだす。そして、ちょうど目の前をポメロンが通ったので、アクセルは呼び止めた。



「仕事がない。私はどこを任されれば良い?」


「いやいやいや、アクセル様はどうか。楽になさってくだせぇ。仕事はオレらがやっちまうんで」


「そういう訳にもいくまい。何か任せて欲しい」


「ええと、そうだなぁ。どこか空きがあったかな……」



 ポメロンが逡巡するところ、坑道の奥から声が聴こえた。誰かが助けを呼んだのだ。


 アクセル達が揃って出向くと、困惑顔の囚人が出迎えた。



「うひっ、アクセル様じゃねぇですか! すんません、呼びつけるつもりじゃ……」


「細かい話は良い。何事だ?」


「へぇ。ご覧の有様ですぜ。掘り進めてたらコイツが出てきやがって、仕事にならねぇんですわ。ちゃんと、騎士連中の有り難〜〜ぁい『探知魔法』通りに掘ったんですがね」



 溜め息とともに男が叩いたのは、巨岩だ。坑道を塞ぐほどに大きく、避けて掘り進める事は難しい。一度、岩にツルハシを叩きつけてみたが、無駄である。男が震えてツルハシを落とすだけだ。


 事情を理解したポメロンは、足元に唾を吐き捨てた。瞳に眠る忌々しさを露わにしながら。



「どうしやしょう? この坑道は諦めやすか? 一応は、最も鉱脈反応の強いルートらしいんですがね」


「ならば掘るべきだ。成果は多いほうが良いのだろう?」


「そりゃそうですがね。コイツが、どんだけデカいかも分からねぇんで、やりようが無いっすわ」


「任せろ。私ならやれる」



 アクセルは、困惑顔の男を下がらせ、巨岩の前に立つ。いきなり破壊など狙わない。掌で触れ、形状を確かめると同時に、看破しようと試みた。一見して強固な岩であっても、必ず脆い部分がある。そこを見極めようとしたのだ。


 その動作は自然と、ソフィアに鍛えられた日々を彷彿とさせた。


 



「巷では『乳首当てゲーム』という戯れがあるそうだな。貴様も試してみるか、んん?」



 アクセルの眼前でソフィアが煽る。そして見せつける胸元は妙に平たい。普段ならば、顔を埋めたなら窒息しかねないほどに豊満なのだが。



「フフン。今日はサラシを巻いているからな。貴様ごときの眼力では見抜けまいよ。どうだ悔しいか未熟者め。洞察力の拙い者は哀れだのぉ?」



 さらにソフィアが煽る。動きはもはや小躍りとなっており、上機嫌である事を隠そうともしない。


 一方でアクセルは冷静だ。彼は知っている。厚い布の向こうに、桜色の果実が包まれている事に。そして、ソフィアが強く反応を示す弱点である事も。


 視るのではない。想像し、見極める。探るは硬軟の気配。先端の位置を予測し、サラシによる差分を計上、座標を微調整。視野を極限まで絞り、最適なタイミングを狙う。


 最後に失敗を畏れぬ心。腹が決まったなら、もはや1歩を踏み出すだけだった。





「ここだっ!」



 アクセルは巨岩に向かって指を伸ばし、鋭く突き立てた。やがて弾ける音とともに、巨岩の下半分が脆くも崩れてゆく。こうして、人間が通れるだけの空洞が開かれたのだ。


 偉業は実に呆気なく成し遂げられた。背後で見守るサーシャは、飛び跳ねてまで称賛した。

 


「すごい、流石はアクセル様! いったいどんな訓練をしたんです!?」


「それはだな、動き回る師匠を前にして、じっくりと観察……」



 アクセルが蛇足的に説明しようとしたが、それは驚愕の声が遮った。



「何だこれ、下に穴が空いてるぞ!」


「穴だと?」



 アクセルが、岩の方へ振り向くと、確かに地面の方に空洞があった。巨岩の破片も全てが、そちらへと落下していた。


 火霊石式のランプで中を照らしてみる。下り坂のような構造らしい。近くに地面こそ見えるものの、奥までは見通せない。まだ先があるように思えた。



「どうやら空洞は大きいな。少し見てこよう」


「アクセルさん。僕も行くよ。もしかしたら純真石が手に入るかもしれないし!」



 鋭く挙手するウセン。ならばとサーシャも、両手を挙げて同行を願い出た。



「アクセル様、ワタクシも連れてってください!」


「ウセンは良いが、サーシャはダメだ。どんな危険があるかも分からん」


「えぇ……お留守番ですかぁ?」


「すぐに戻る。万が一、身の危険を感じたなら教えるように。ポメロン及び犯人の首をねじ切ってやる」



 ヒェッ。



「ご安心くだせぇアクセル様! お嬢には指1本触れませんし、触れさせませぇぇん!!」


「では行ってくる」



 見送りに恐怖や不安が入り交じる中、アクセル達は闇の深部へと身を躍らせた。


 中はというと湿りきっており、妙に肌寒い。通風孔でもあるのか、風の吹き流れる音が、すすり泣きのようにも聴こえてくる。その合間を縫うようにして時折、雫が滴り落ちる音も鳴り響く。



「やっぱり、結構広いよアクセルさん。迷子にならないよう気をつけないと」


「何なら引き返せ、お前だけでも」


「そんな訳にはいかないよ。それにホラ、僕が居ないと困るだろう?」



 ウセンは魔法を唱えては、明かりを灯した。眩い光が照らすのは、延々と続く下り坂。警戒しつつも先を急いだ。


 奥へ進むにつれて、左右も天井も広くなる。やがて魔法の光が届かないほどに、四方が遠ざかった。果たして眼前の漆黒が岩盤や壁なのか、あるいは空虚な闇なのか。次第に判断力が狂いだし、知覚も曖昧になる。にわかに、世界の全てが闇に没したかという、荒唐無稽な錯覚に襲われてしまう。



「ウセンの言う通り、迷えば危険かもしれんな。ここまで一本道だったのは幸いな事だ」


「ねぇ見てよ。あそこに水辺があるよ。地底湖というやつじゃないかな」


「確かに。水の滴る音がすると思えば、これが理由か」


「この回りを探ってみないかい? 水辺だから、水霊石なんかが見つかるかもよ」


「それは後回しにしておけ。探索が先だ」



 アクセルの言う通り、道が分岐していないのは幸運だった。地底湖エリアは大部屋のような構造で、湾曲した壁伝いに一周できる。


 道すがら、何度か風穴を見かけたのだが、人が通り抜けられる程大きくはない。せいぜい腕が入る程度だった。



「さて、探索はこんな所だろう。一度戻ろうか」


「いやいや、ちょっと待っておくれよ。あの輝きはまさか……!?」


「どうしたのだ、ウセン?」



 アクセルの問いなど聴こえてはいなかった。ウセンは小さな穴に飛びつくと、右腕を中へ突っ込んだ。躊躇いはなく、ただ闇雲にまさぐっている気配である。



「うん……ちくしょう。やっぱり素手じゃダメか」


「何をしている。説明しろ」


「いやね、見間違いかもしれないけどさ。ようやくね」


「……ムッ!? 危ないウセン!」



 アクセルは咄嗟にウセンに飛びつくと、穴から引っこ抜くようにして跳躍。後ろに転がりながらも、速やかに体勢を整えた。



「いたた……。いきなり何をするんだよぉ!」


「喚くな。それより戦闘準備を急げ」


「えっ。それってもしかして!?」



 ウセンは揺れる頭をどうにか持ち上げ、辺りを注視した。間もなく、辺りに冷え冷えとした殺気が満ちていく。


 そして風穴から黒煙が現れたかと思うと、付近に濃紫の稲光が駆け巡る。魔獣達の襲撃だった。



「うわぁ! 火焔アリじゃないか!」


「10、20、いやもっとか。この数は厄介だな」


「アクセルさん。少しの間だけ引き付けてくれないか? 魔法で一網打尽に出来るかもしれない」


「任されよう」



 アクセルは答えると同時に駆け出した。そして先頭の火焔アリに飛びつき、頭を掴んでは投げ飛ばす。魔獣たちは壁に叩きつけられるだけで、小さく叫び、黒煙を撒き散らしつつ消えてゆく。



「やはり個体としては弱いらしいが……ムッ!」



 敵は多勢を活かして一斉攻撃に出た。飛びかかりで頭上を脅かす動きと、足元目掛けて突撃するという2方向だ。


 アクセルは地を滑りながら回避する。しかし一撃だけ腕を掠めてしまい、肌に赤い筋が走る。すると間もなく、患部から激しい炎が立ち上り、身体を熱く焦がしてしまう。



「なるほど。これは面倒な事だな」



 発火したのはアリの体液である。腕に付着したそれを払う事で、どうにか鎮火した。


 怪我も火傷も致命傷ではない。しかし、この数で攻め立てられれば、いずれは焼き殺されるに違いない。


 アクセルは剣を抜くべきと判断。腰の鎖を解き放とうとしたのだが、それより早く、ウセンの声が響き渡った。



「炎よ、敵を貫け! ファイヤーバレット!」



 ウセンの杖先から、赤々と燃え盛る火球が勢いよく飛び出した。それは敵の寸前で破裂。無数の棘となって、魔獣達に突き刺さる。しかし細かく分散した炎は、アリと比べても小さく、火の粉も同然だ。


 ダメージなど通るまい。そう思われたのだが、突如としてアリ達は内部から爆発して、四散した。



「やるではないか、ウセン。これが魔法というものか」


「半分は僕の力だけどさ。もう半分は火焔アリの性質さ。やつらは体内に油のような物を仕込んでいる。そこを燃やしてやれば、あとは勝手に燃え尽きてくれるのさ」


「素晴らしい。ここへ来てようやくだ。お前という男に感心を覚えたのは」


「アッハッハ。ちょっとだけ泣いて良い?」



 この時にはもう、ウセンは戦闘態勢を解いた。油断ではなく確信からだ。実際アリ達は炎を撒き散らして燃え上がり、暴れまわるさなかに、他のアリにも飛び火させていく。


 間もなく、全ての魔獣は黒煙に包まれて消滅した。戦闘終了である。



「なるほど。魔法とは便利な力だな。あの数を魔法1つで殲滅させてしまった」


「それよりもさ、工具を取りに戻ろうよ。さっきの穴を掘りたいんだけど――」



 ウセンが言いかけた時だ。辺りは地鳴りとともに、激しい揺れに見舞われてしまう。



「これは地震、それとも崩落か? 炎で爆発させた事に問題があったかもしれん」


「いや、そんなはずはないよ。あの程度で硬い岩盤が……」


「上を見ろ、ウセン!」



 その声に従えば、割れた岩盤が頭上から迫るのを見た。ウセンは咄嗟に転がって避ける。間一髪。彼の元いた場所で、背筋が凍るほどの轟音が鳴り響いた。


 

「崩落するかもしれない。一旦退くぞ」


「待ってくれよ。せっかく見つけたんだ。このままおめおめと逃げるだなんて!」


「ワガママを言うな。死んだら元も子もないぞ」



 アクセルはウセンを肩に担ぎ上げては、猛然と駆け出した。落下する大小のガレキ片をかわしつつの疾走だ。


 彼らが無傷で帰還出来たことは、幸いな事である。



「アクセル様! そんなに急いで、どうかしました?」



 出口ではサーシャが待ち受けていた。アクセル達の慌ただしさに驚いた様子である。



「サーシャよ。先程地震があったろう。無事か?」


「そうなんですか? 言われてみれば、ちょいユラユラしたかも?」


「その程度で済んだのか。ならば構わん」



 サーシャの言葉を裏付けるように、坑道の中は平穏だった。荷車を牽(ひ)く者に、ツルハシを振るう者と、それらの光景に異変は無い。



「ところでアクセル様。下の様子はどうでした?」


「広いが、行き止まりだ。魔獣が出たので、ここは封鎖すべきかもしれない」


「そうなんですね。ここよりも暗いから、そういうのも出ちゃうんでしょう」


「ちなみにだが、敵ならウセンが一掃してくれたぞ」


「あらあら、ウフフ。アクセル様がそんな冗談を言うだなんて、とっても珍しいですね」


「あのねぇ君たち。そろそろ僕にも市民権を認めちゃくれないか?」



 悲しげなボヤキはさておき。調査はここで打ち切られた。地底湖へ繋がる穴は、ウセンの魔法によって封じられた事により、魔獣の脅威は消え失せた。


 それから夜を迎えたら飯を食い、消灯後にはゴザの上で眠る。後は次の日が来るのを待つだけであった。本来であれば、の話だが。


 

「皆、そろそろ寝てくれたよね……?」



 闇の中、ウセンは身を起こすと、杖を手にして歩きだす。足音を殺して慎重に。一歩一歩に神経を集中させ、無音のまま、寝室から出ようとした。だが、そうまでしても、達人の眼を盗むことは不可能である。



「ウセン、どこへ行くのだ?」


「ヒェッ! トイレだよトイレ!」


「そうか。呼び止めて悪かった、存分にな」


「こっちこそゴメンよ、起こしちゃってさ……」



 どうにか寝室を脱出。そこからは楽だった。看守である騎士の見回りはない。彼らはせいぜい、出入り口を固めるくらいである。そのため、暗がりを歩むウセンを咎めるものは、一人として居なかった。



「ごめんよアクセルさん。僕にはどうしても純真石が必要なんだ。カザリナ様がご結婚する前に」



 彼は足音を殺しつつ、穴の方へと向かった。そして自らが施した封印を解き、単独で地底湖の方を目指して歩き出す。



「く、来るなら来いよ。さっきみたいに焼き殺してやるからな!」



 暗闇に向かって威嚇を繰り返した。幸いな事に、不穏な気配は感じられない。ただ無音の世界があるだけだ。


 更には、道のコンディションも上々だ。大きなガレキが散見されるものの、歩行を阻むほどではない。目的地までスムーズに進むことが出来た。


 ウセンは、運が良いと思った。少なくとも、この時までは。



「よぉし。確か、この穴だったよな。純真石の鉱脈は……」



 彼がツルハシを振り上げた瞬間だ。突如として膨らんだ殺気に、思わず身震いをした。


 すると辺りには黒煙が走り出し、一所に集まっては膨れ上がる。そうして姿を現したのは、大きな大きな火焔アリだった。



「もしかして、ボスってやつ? 女王アリ!?」



 火焔女王とも呼ばれるそれは、人間を恐怖で縛り付ける程度には巨大だった。口元に生える牙も、腹から伸びる六本足も、全てが攻城兵器のように巨大である。もちろん、まともに食らえば命はない。



「あ、あ、アクセルさんに! 助けてもらわなきゃ!」



 自分の手に負えない。そう判断したウセンは、その場から逃走しようと試みた。しかし、火焔女王の俊敏な足が、彼の逃げ道に突き立った。


 眼にも止まらぬ速度だ。直撃せずに済んだのは、単なる幸運でしか無い。再び逃げようものなら、無防備な背中を急襲されてお終いである。


 それが分かれば、彼も腹をくくらねばならなかった。



「畜生、やってやる! どうせお前も、炎に弱いんだろう!?」



 ウセンが杖をかざして詠唱を始めた。


 すると火焔女王は、その場で激しく足踏みをした。それは辺りを揺さぶり、激しい地震を引き起こす。


 またもや落盤が辺りをおびやかした。しかし本当に危険であったのは上ではなく、足元だ。火焔女王の攻撃により、ウセンの足元には亀裂が走っていた。そこへ地震が発生したことで、大きな地割れとなって、無防備な彼を脅かした。


 詠唱に集中するウセンは反応が遅れた。しがみつく間もなく、漆黒の闇へと投げ出されてしまう。



「うわぁぁーーッ!」



 こうして奈落の底へと消えた。


 彼の窮地が判明するには、翌朝の起床時間まで待つ必要があった。消失してしまった男の安否を知る手段は、どこにも無い。



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