第40話 新人イビリ
暗く淀んだ坑内。看守の騎士達に連れられた鉱山は、ギルド絡みで訪れた場所とは区画が違う。一般労働者ではなく、罪人として送られたのだ。いわゆる刑務所と呼ぶべき僻地であった。
坑道に入るなり、まず鉄格子が待ち構えていた。手前にある部屋が看守の詰め所で、奥は囚人達の領域だった。
「よく聞け、罪人アクセルよ。いかに貴様が強かろうと、ここでは意味を為さない。クックック」
「どういう事だ?」
「朝も夜も休み無く、延々とイジメ抜かれるのだ。いつまで貴様らが生き残れるか、楽しみで仕方がない」
看守の騎士がいやらしく嗤いつつ、鉄格子を開いた。アクセルがその気になれば、力づくで破る事も可能である。ただし面倒になるだけなので、とりあえずは囚われになる事にした。気分が変われば抜け出すつもりでいる。
騎士の先導に続くと、間もなく腐敗臭が漂ってきた。道すがら、すれ違う囚人たちの視線も、どこか邪である。
「アクセル様。なんだか、とんでもない所へ来ちゃいましたね」
「気配が不穏だ。私から離れるなよ、サーシャ」
この刑務所にアクセルの素性を知る者は、1人としていなかった。皆が他人である。
――おい見ろ、新入りだぞ。
――本当だ。それに可愛い女の子も居るじゃねぇか。
――これは夜が楽しみだなぁ、エッヘッヘ。
囚人たちが密やかに呟く。アクセルには不明瞭な言葉として届いたが、その悪意だけは余さず感じ取った。気を抜けば襲われるという、戦場の気配と似ていると思う。
それから作業場まで連れられると、アクセル達はツルハシを受け取った。正確に言うと、足元に投げられた物を拾った形である。
騎士は悪びれた様子もなく、尊大な態度で言い放った。
「良いか、お前らはこれから労役が課せられる。掘って掘って掘りまくれ。規定分の精霊石を掘り当てた時、釈放となる」
「規定とは、具体的に言うと?」
「1人50万ディナだ。具体的な作業方法は、その辺のやつらに学べ」
説明する気がないのか、看守はそのまま何処かへと立ち去った。その場には、不安げなサーシャと、泰然自若としたアクセルが残る。
「どうしましょう、これから……」
「ともかく、立ち止まっていても仕方ない。誰かに教えてもらおうか」
アクセルは付近に視線を巡らせた。ツルハシの音が間断なく鳴り響く中、青白い顔で荷車を牽く男を見つけた。明から様にフラついており、何とも頼りない。
「すまない。少々尋ねたい事がある」
「あぁ、勘弁してくれ……。こちとら、もう疲れちまって……」
「むっ。そうか、邪魔をした」
アクセルは身を引いて、去りゆく荷車を眺めるしかなかった。仕方ないと気持ちを改め、他所へ当たる。
「見て分かんねぇか。ミーティングの邪魔すんな」
図面を片手に語り合う男たちには、邪険に追い払われた。
「教えてる暇なんかあるかよ。俺っちは1日も早く、こっから出てぇんだからよ」
坑道の奥でツルハシを振り下ろす男にも、拒絶された。
それからは手当たり次第に声をかけたのだが、やはり結末は変わらない。手持ち無沙汰のまま、時間だけが過ぎていく。
「アクセル様。どうしましょう……?」
「サーシャ。今も変わらず不穏だ。極力、私から離れるなよ。寝る時もだ」
「アッハイ、モチロン!」
アクセルは異様な気配を察知していた。坑道の中は、強烈な悪意で満ち満ちている。それは魔獣の殺意とは別物だ。より邪悪で、粘りつくような不快さすら感じられた。
――良いか、アイツらに手を貸すなよ。
――つうかよ、あのガキたまんねぇ。早く泣き喚くとこが見てぇよ。
――男が面倒そうだな。奴が弱るのを待て。
――いいや我慢できねぇ。夜になったらオレは行くぞ。
囁かれる言葉はやはり不明瞭だ。それでも、何が狙いかは察しがつく。ひとときさえも、気の抜けない。そんな状況だった。
やがて坑内に鐘の音が鳴り響く。囚人たちは、三々五々と仕事を切り上げ、いずこかへ向かった。アクセル達は分からぬまま、列の最後尾に続くと、坑内に造られた大きな洞穴へと辿り着いた。
「ここは、食堂みたいですね。大きなテーブルと椅子がたくさん。それに、良い匂いがします」
「そうか。今の鐘は昼食を報せるものだったか」
列は長い。何十人もの人間が一堂に集まるのだから、待たされるのも当然である。1人、また1人と列から掃けていくのを、辛抱強く待つ。
ようやくアクセル達の番となった。しかし、給仕係は顔を歪めて罵った。
「テメェらに食わせるメシはねぇよ、新入り。そこらの砂利でもかじってろや」
方々から嘲笑う声が聞こえる。これは洗礼、いわば新人イビリである。給仕係は寸胴鍋に残されたスープをかきまぜては、木椀に盛り付けてゆく。それらは誰かの二杯目として、テーブルの方へと届けられた。
「まだ残りはあるだろう。我々にも食べる権利がある」
「知らねぇな。そんなに食いたきゃ、そこのメスガキを裸にひん剥いてお願いしてみろ。そうすりゃボスが、少しくらい恵んでくれるだろうさ。イッヒッヒ」
埒が明かない。そう踏んだアクセルは、給仕係の手に手刀を放った。
「痛ッ。何だ!?」
その時には既に、オタマはアクセルの手元にある。そして悠々と椀にスープをよそい、二人分を手にして立ち去ろうとした。
「お、おいテメェ! 勝手に持っていくんじゃ――」
「ひとつ、忠告しておく。私をあまり怒らせるなよ」
「ヒッ……!?」
アクセルの殺気がほとばしる。それだけで給仕係は腰を抜かし、歯を鳴らす程に恐怖した。
しかしアクセル達に向いた悪意は、まだまだ途切れない。テーブルで食事を摂る間も、そして再び作業場に戻ってからも同様である。
「アクセル様。やっぱり誰も教えてくれませんね」
「そうだな。明日は手段を変えるべきだろう」
「手段? 何のです?」
「これから考える」
夜半ごろに鐘が鳴る。晩食は昼と変わらぬスープ。ここでも再び手刀を浴びせて、食器を奪うことで食事にありついた。唖然顔の給仕係を他所に。
それからは消灯だ。寝床も食堂だった。テーブルを脇に寄せて、地面に筵(むしろ)を敷いて眠る。まだ厩(うまや)のワラの方がマシという、劣悪な環境であった。
その上、当然のように、アクセル達には筵すら無かった。
「アクセル様。いつまでこんな生活を……」
「シッ。声を出すな。寝たふりをしておけ」
灯りの乏しい中、蠢く何かが居た。全身の薄汚れた、ボロを纏う男たち。もちろん囚人仲間である。
「おい、もう寝てるよな?」
「まぁ起きてたって構わねぇ。メスガキさえ攫っちまえば、こっちのもんだ」
「ウヘヘ、久々の女だぁ。しかも美少女だぜ、たまんねぇよ」
勝手極まりない雑言が近づいてくる。その悪意を見逃すアクセルではなかった。
アクセルは闇夜の中で、超高速の蹴りを放った。一人一撃、脛を砕いてやる。音もなく攻撃を浴びせたのだから、達人の技だと言えた。
暴漢どもは、何をされたかすら理解出来ない。ただ、片足に宿る耐え難い痛みに、転げ回って悶絶するばかりだ。
「痛ぇ! 痛ぇ痛ぇよぉぉーーッ!」
「何で急に、足が折れやがった……!?」
いかに騒いでも意味はない。粉砕された骨は、焼き焦がすような痛みを絶え間なく刻みつける。
結局のところ暴漢達は、這いずって医務室へと逃げ込んだ。医務室と言っても寝かされるだけで、治療は受けられない。労役を免除されるのが、唯一のメリットである。
「聞け。我が身が可愛ければ、悪巧みなど考えるな。牙を剥く者には容赦せんぞ」
アクセルの脅しが利いたのか、その晩は悪意が引っ込んだ。しかし惜しむらくは、アクセルの常人離れした動きが、周囲の目に映らなかった事だ。そのためアクセルを気味悪く思うことはあっても、天下無敵と見做される事は無かったのだ。
明くる朝。食事の前に作業を強いられた。囚人たちはツルハシに荷車という、昨日と変わらぬ装備で臨む。
「アクセル様。今日も教えて貰えないみたいです」
「このままでは100年経っても変わらんな。やはり強硬手段しかあるまい」
「強硬手段って?」
「群れを制圧するには、頭を叩くに限る」
アクセルはサーシャの手を引いて、食堂兼、寝床へと向かった。そこでは体格の良い男たちが、賭けカードを愉しむ最中だった。装いからして囚人なのだが、働こうとする気配は無い。
「おう、新入りか。昨日に今日とサボりやがって。詰め所の騎士連中に言いつけてやろうか?」
「仕事を教わっていない。それでは働きようもあるまい」
「そうかそうか。だったらそこのガキを寄越しな。そうすりゃ、仕事くれぇ教えてやるさ」
「昨日の話を聞いていなかったのか? あまり私を怒らせるなよ」
「あんだとテメェ!? クソ生意気なクソ野郎めが! オメェら、痛めつけてやれ!」
周囲の手下どもが、金槌やツルハシを握りしめ、アクセルへと襲いかかる。荒くれ者達の攻撃は、荒削りながらも強力である。更には多勢だ。攻勢は強気であり、命を奪い去る程に強烈だった。
相手がアクセルでなければ、かなりの痛手を負わせただろう。
パァーン、パァーン!
「う、嘘だろオイ……。何なんだその動きは!?」
「警告を無視したな。よって、お前を殺すことに何の躊躇も要らん」
アクセルはボス囚人の頭を掴むなり、高々と持ち上げた。握りしめた頭蓋からは、ミシリと生々しい音が鳴る。
「痛い! 痛いっつの! 離しやがれ!」
「最期のセリフくらい聞いてやろうと思ったが、今のが遺言で良いのだな?」
「待て、やめてくれ! まだ死にたくねぇよ!」
「執拗なる獣どもから身を守るには、頭を潰すに限る。相手の力量を見誤った事を悔いるんだな」
「分かった、何でもする! だから命だけは勘弁してくれぇ!」
その言葉が命運を左右した。やがてアクセルの手が緩み、男は縛めから逃れた。ただし強烈な頭痛から逃げることも出来ず、のたうち回るばかりになる。
「ではこうしよう。次の事を約束できるなら、この場は赦してやる」
「や、約束だと……?」
「1つ、速やかに仕事を教えること。2つ、サーシャの安全を保証すること。3つ、何者かがサーシャに悪事を働いた場合、まずお前から息の根を止めること」
「おい、3つ目は妙に理不尽だろうが!」
「お前は顔役なのだろう。だったら囚人たちを統率し、悪事を未然に防げ。それが出来ないようなら――」
アクセルは握りこぶしで音を鳴らした。ゴキリと鳴る音が、さながら、首の骨でもへし折れるかのように響く。
「次は無い。確実にお前を殺す」
「ヒェッ! わ、分かったよ」
ドゴォーーン!
「分かりました、と言え」
「わっ、分かりましたぁ! だからその足でオレにギリギリ影響が出ない所で脅し的に穴をブチ空けるのは止めてくれぇ!」
「たとえ素手であっても、お前を粉々にする事は容易い。その事実を忘れるな」
アクセルはそう告げると、男を急き立てた。そして声高に宣言させる。
「今からこのポメロンは、アクセル様ならびにサーシャ様に、金輪際逆らわないと誓いまぁぁす!」
叫びが坑道内に響き渡ると、さざ波のような動揺が返された。
――おい、一体どういう事だ?
――ポメロンの旦那があの新入りに? 嘘だろ?
――いやよく見ろ。すげぇ腰低くなってやがる。残忍な山賊だったポメロンが。
効果はテキメン。それ以来、囚人たちは戸惑いつつも、仕事を教えるようになった。
「なるほど。鉱脈のアテは付いているから、指定箇所を掘るべきなのか。勝手に掘れば、無駄骨になるだけでなく、崩落の危険すら有り得ると」
仕事だけではない。食事時の待遇も変わった。
「私に列を譲らなくとも良い。それと、むやみに一品増やそうとするな。お前たちと同じ献立を食べよう」
夜も夜とて、特別待遇だ。
「筵は一枚で良い。サーシャもだ。5枚も6枚も寄越すな。大方、誰かのものを強奪してきたのだろう。速やかに返してやれ」
この態度に囚人たちは、またもや戸惑った。暴君ポメロンを打倒したのは、新たな暴君かと思いきや、全く別物である。特別優しいという事はないが、公平だった。更には率先して働く。
――おい。アクセルとかいう男、何か違うよな?
――ポメロンが威張り散らしてた時は、精霊石を盗られたが、そんな事も無い。むしろ返して貰えたんだが。
――もしかして救世主……? オレ達に差し伸べられた救いの手?
囚人たちは信じられない想いを抱きつつ、同時に巡り合わせに感謝した。もはや理不尽な暴力に怯える必要は無いのだ。
ここには公平がある。安全がある。働いた分だけ成果も得られる。様変わりした環境が、彼らを熱狂させ、生きる活力さえ与えるようになった。
そんな頃合いの事。坑道入口の鉄格子が開き、騎士たちがやって来た。
「お前ら、また新入りだぞ。仕事を教えてやれ……」
「お待ちしておりましたぁ! 我ら囚人一同、新たな仲間を心より歓迎いたしますッ!」
「うわっ、気持ち悪ッ。この数日で何があった!?」
騎士たちは驚愕した。先日まで、死んだ目をした男ばかりであったのに、今はどうだろうか。
他者を虐げるような、殺伐とした空気が一変しており、むしろ活き活きとした気配で満ちている。
その変貌ぶりは、作業の一幕を眺めるだけでも理解できた。
「次は第2坑道を、交代制で進めてみよう。疲れている者を最初に休ませておき、時間が来たら、代わる代わるにして」
「その荷物は重たそうだな、手伝おう。遠慮するなんて水臭いじゃあないか!」
「おおい、こっちに精霊石の鉱脈が出たぞ! 皆で分け合おう!」
そこかしこから聞こえる言葉は、全てが清水の如く澄み切っている。心なしか、充満していた腐敗臭も別物のように感じられた。
困惑するのは騎士だけではない。新入りとしてやって来たウセンも同様である。
「やぁ、アクセルさん。数日ぶりだね」
「ウセンか。てっきり死罪になると踏んでいたが、労役になったのか」
「そこはちょっと、色々あってね。それよりも、何があったの? 刑務所は酷いところだと聞いてたんだけど……」
「少し手荒な手段を用いた」
「君の言う『少し』は、だいぶ過激だと思うけどね。まぁ、住み良い所なら大歓迎さ」
ウセン、易々と入所。アクセルの『改革』にスンナリと、悪びれず乗っかったのである。この男、とにかく悪運が強い。もはや愛がどうのと考察する事も煩わしい。もしかすると、豪運の星に護られているのかもしれない。
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