第38話 全く別の生き方

 カザリナが城の中を整然と歩く。優雅で、静かに、よどみなく。表情の色味は皆無に等しく、鉄面姫の構えを崩さない。


 そうであっても彼女が足早であることは、長年付き従う者には看破されている。



「お嬢様。そんなに急がれては危のうございますぞ」


「構いません。それより爺や。裁判の行方は?」


「残念ながら、お嬢様の危惧された通りとなりました」


「やはりそう来ましたか。刑の執行は?」


「いまだ言明されておりません」


「ならば、多少の猶予はありますね」



 カザリナが向かうのは地下牢だ。罪人にまともな食事など用意される訳もない。過去には泥水を出されたという報告もある。そこでアクセルに差し入れを届けようと決めたのだ。どうにかしてでも、敵対される事を防ぎたかった。


 ただし大っぴらには出来ない。城の者たちに目撃される事は、可能な限り避けるべきだ。そのため狭苦しい非常路を選んだのである。窓もなく、知る者の限られた通路は、まさしく好都合であった。



「爺や。こんな私を滑稽だと嗤いますか?」



 手荷物の食料は、カザリナの衣服の中へと隠している。特別仕様の衣装だった。それは1人で歩くことが叶わぬ為、爺やのサポートを必要とした。


 問いを受けた老執事は、感じ入ったような声で答えた。その間も、カザリナの背後で衣装の端を持ち上げる事を、決して忘れない。



「お嬢様の仁義を尊ぶ志には、感服仕る想いでございます」


「同情や義理からではありません」


「ならば、あの男をお気に召されたのでしょうか?」


「いえ、そうでもありません」



 カザリナは虚空を見つめた。脳裏には、茶会での一幕がありありと蘇る。



――ウセンという男を知っているか?



 すると、胸に焦りとも思える激情が込み上げるのだ。


 カザリナは、かつて知り合った少年の名を知らない。知ることも許されなかった。全ては母ミキレシアの干渉が原因だ。幼き頃の彼女に逆らう術など、果たしてどれ程あっただろうか。半ば、操り人形の如く生きてきたのだ。


 今やアクセルは、彼女にとって重要人物だ。かつて孤独から救ってくれた少年と、今の自分を結びつけてくれる、唯一無二の存在だった。



「だから私は、こうして恥を晒してまで……」


「お嬢様、お声が遠く感じられます。いやはや、歳は取りたくないものですな」


「独り言です。ともかく急ぎましょう。母に感づかれては厄介です」


「御心のままに」



 牢屋は地下だ。鬱屈とした階段を下る最中、微かな足音を響かせた。鼻が曲がる程のカビ臭さや、腐敗臭には堪えた。爺やなど咳払いすらせず、ただ主の後ろから追随する。



「さて。番兵をどう扱うべきか。母の手が回っていない事を祈りましょう」



 辿り着いた詰め所。しかしカザリナの不安は杞憂だった。番兵を含めた大勢の兵士たちは、無様にも床に転がり、泡を吹いて気絶していたのだから。


 更に、おあつらえむきな事に、鉄格子が激しく歪んでいる。鍵を探しだす手間すら要らなかった。



「これは一体、何事……?」



 詰め所から奥を覗き込むと、牢屋の1つが同じく歪んでいた。もしやと思ってそちらへ向かえば、馴染みの顔を目にした。



「おや、カザリナか。わざわざ何用だ?」



 牢の中は、さながら晩餐会だ。パンにチーズ、輪切りのハム。木のコップになみなみと注がれたミルク。大皿に木の実が山を成す。そんな、囚人にしてはご馳走とも呼べるものが、小机の上で展開していた。


 そしてサーシャもカザリナを見て微笑むのだが。



「カザリナ様、ご機嫌うるわしゅ……どうしたんです、その格好!?」



 サーシャが驚くのも無理はない。カザリナは今現在、ラクダの着ぐるみで扮装しているのだから。


 ファンシーな装いであるのに、顔だけは鉄面姫とあって、滑稽どころか異様でしかない。



「これは、なんと申しましょうか。必要に迫られまして」


「どんな理由があったら、そうなっちゃうんですかね……」



 前足部分に両足を通し、後部は引きずる造り。誰かが手を貸さねば、擦れる音が目立ってしまう。それを回避する為にサポートを必要とし、爺やの手を借りたのだ。


 ちなみに食料はコブの部分に隠していた。干し肉とドライフルーツを詰め込んだ麻袋を、牢の端に置いた。



「アクセル様。何かお困り事はありますか?」


「特に無い。必要な物があれば、牢を出て取りに行く」


「冗談……ではないのですね。何と申しましょうか。アクセル様は後にも先にもない、伝説的な囚人となられたやも」


「囚人ではない。剣聖(仮)だ」


「ええ、そうでしたね」



 カザリナは僅かに顔を伏せた。表情は変わらずとも、目元に、かすかな柔らかさを帯びている。


 いやそれは、もしかすると見間違いかもしれない。着ぐるみの耳がペソッと垂れた事で、コミカルに見えただけの可能性もある。



「アクセル様は、いつもお変わりない。たとえ死罪を申し渡されようとも、今この瞬間を、在るがままに生きておられます」


「そういうものだろう。誰だって、他人にはなれない。あくまでも自分として在り続け、生きるのみだ」


「いいえ。貴方様のように、真っすぐ生きることは難しいのです。少なくとも、私などは……」



 カザリナは視線を落とすと、虚空を見つめた。物思いに耽る顔からは、徐々に鉄面が剥げていくようである。


 胸に去来するこれまでの記憶、未だに執着してしまう過去。胸を突く程の苦味を伴いつつ、最後に温かさが残る、在りし日の出会い。



(私は、あの時――――。)



 視界一面のシロユメクサ。霧雨に濡れた花冠。曇天の下、太陽のように眩しく笑う少年。


 伝えたかった。受け取り、頭に飾り、尋ねてみたかった。私に似合うかと。


 彼は何と言うだろう。褒めるだろうか、それとも貶されるのか。どちらでも良いと思う。へりくだった言葉ではない、彼の偽りなき言葉であるのだから。肯定も否定も大差はない。だから、どちらでも良いのだ。


 無言のままで立ち尽くすカザリナに、爺やがそっと耳打ちをした。



「お嬢様。長居されますと、面倒になるやもしれません」


「……そうですね。参りましょう」



 ラクダの長い衣装が踵を返そうとした。しかし衣服の端が壁に引っかかり、スムーズな転回が出来ない。そこで爺やのサポートが奏功する事で、真後ろへのターンを決める事に成功した。



「アクセル様、私はこれにて」


「そうか。今後、その服は控えた方が良いぞ」


「ご忠告、痛み入ります。それと最後にひとつ。これより母に減刑の嘆願をして参ります。どうか沙汰があるまで、静かにお過ごしいただけますか」


「別に必要ない。この国に私を殺せる者が居るとも思えん。場合によっては、城を破壊し尽くしてでも血路を開くだろう」


「アクセル様が仰ると、やはり冗談に聞こえませんね。承知しました。では、この城を護る意味も含め、嘆願しようと思います」



 ではごきげんよう、とラクダ首を曲げて、その場を後にした。



「爺や。着替えの準備を」


「既にご用意しております。どうぞこのまま、おいでください」



 カザリナは衣装部屋まで行くと、速やかに着替えた。袖を通したのは普段着。アクセサリーも使い慣れた物のみと、特別さは一切排除した。


 母に何を深読みされるか分からない。その気質には昔から辟易とさせられたが、老いてからは更に悪化した。八つ当たりや言いがかりなど、もはや日常茶飯事である。


 実の母とは言え、顔を合わせたくはない。それでも目的を思えば、引き返す訳にもいかなかった。



「お母様、カザリナです」



 最上階の大部屋がミキレシアの居室である。いくらか間があって、返事が来た。入りなさいと。


 大扉を押し開ければ、贅の限りを尽くした光景が広がる。絨毯から小棚に至るまでが特注品だ。半年に一度は買い替えるので、傷や汚れは見当たらない。銀製の水差しや、純白の陶器類も同様だ。


 壁にかけた油絵も気分次第で描かせ、また気分によっては捨てる。極めつけは天蓋付きのベッドだ。何か気に食わない部分があると、壊すか燃やすかする。その度に、また何万枚もの金貨を手放すことになるのだ。


 もっとも今ばかりは、そこまでの元気は無いらしい。今や何台目かも分からない真新しいベッドに、ミキレシアは1人横たわっていた。



「来たか、カザリナ。何の用だ」


「お見舞いに参りました」


「嘘を申せ。妾を愛してなどおらん癖に、よくもまぁヌケヌケと……ゴホッゴホ」


「確かに嘘を申し上げました、すみません。実はお願いがあって参りました」



 冷たい物言いだという自覚はある。そう思うだけで、何故か心が固く引き締まるのだ。この場で油断してはいけない。たとえ病身であっても、母を相手に気を抜く事は許されないのだ。



「お願い……ねぇ。どうせ例の剣士についてだろう?」


「はい。まさしく」


「よもやとは思うが、惚れたのではあるまいな? 許されんぞ、あんな貧乏な流れ者など」


「いえ。そうではありません」


「では何だ?」


「百年の計をもって申し上げます。あの男と敵対するのは危険です」


「何が危険か。どうせ間もなく死なせる。生まれてきた事を後悔するほどの、激しい苦痛と共にな」


「その刑を誰が執行するのでしょう? 騎士団は第一、第二のいずれも、彼には敵いません」



 ここでミキレシアは唸る。そして小さく咳き込んだ後、鋭い視線を返した。



「数で押し包めば良い。あやつを葬れるのなら、100人200人と犠牲にしても構わん。兵など金で集めれば良いのだ」


「いえ、それでも無理でしょう。羊を引き連れて飛龍の討伐に向かうようなものです。蹴散らされて終わりかと」


「ならば、ギルドとやらで強者を募れ。賞金をはずんでやる。そうすれば、腕自慢の命知らずどもが討ってくれよう」


「いえ、難しいでしょう。かの青年アクセルは、ギルドマスターを苦もなく打ち倒したそうです。それで一目置かれているのだとか。いくら金を積んだとしても、挑もうとする者など現れぬでしょう」


「ならばこの屈辱は! 妾の威光に傷を付けられた事、笑って許せとでも申すのか!」



 ミキレシアはサイドテーブルの物を薙ぎ倒して、怒りを露わにした。それだけでは治まらず、陶器のティーカップを、カザリナに向けて力いっぱいに投げつけた。

 

 その陶器は掠りもせず、壁に当たって砕け散る。カザリナにとっては慣れた事なのだ。だから涼しげに受け流す事は容易い。この母の癇癪(かんしゃく)も、飛来物を半歩の動きで避ける事も。



「お母様。ここは名を捨てて実利を得るべきです。彼は宣言しております。命を狙うようであれば、この城を破壊し尽くす事で応じると」

 

「何だと!? どこまで不遜な男なのだ!」


「彼には権威や権力など効きません。万余の軍すら通用しません。力で従わせる事は不可能でしょう。それならばいっそ温情を与え、味方につけるべきです」


「ならん。それだけは決して!」


「なぜでしょう。彼ほどの豪傑が味方につけば、王都への睨みとして十分ですが」


「あの男は気に食わん。とにかく、おぞましくて仕方がない!」



 そんな理由か。いつもの選り好みだったのか。カザリナは、激しく咳き込むミキレシアを眺めつつ、心の冷えを感じた。



「では城とともに滅びますか。我が一族も残り数日の命運となりましょう」


「クッ……。腹立たしい、口惜しいが、死罪だけは許してやる。労役刑だ」


「ここはむしろ厚遇して、温かく迎え入れる事も可能ですが」


「くどい! 殺さないでやるのだから、その時点で既に厚遇であろうが!」

 


 この辺りが限界か。カザリナは小さく頭を下げ、退室しようとする。


 だがその背中に、ミキレシアの問いが投げかけられた。



「ところで、婚姻の話は? どこかしらの家と、少しは進展あったのか?」


「いえ。いずれも、お母様が納得するだけの持参金がありません。したがって、全てをお断りしています」


「焦って安売りしようなどと考えるな。何度も言うが、女はいくら貢がれたかで価値が決まる。忘れるでないぞ」



 カザリナの足が止まる。今の言いつけは繰り返し聞かされたものであり、最も古いものはおぞましき記憶と連結している。


 ウセンからシロユメクサを受け取った日。母に平手打ちを受けた。更に贈り物の花を奪われると、引きちぎられ、残骸も執拗なまでに踏みつけられたのだ。



――こんな汚らしい物を貢がれて喜ぶとは、公女たる自覚が足りん!



 そして蔵に閉じ込められた。三日三晩、あるいはそれ以上の幽閉があって、ようやく釈放される。


 その結果、ウセンの花冠は踏みつけるしかなかった。母からの言いつけだった。たとえ辛くとも、罵倒する事を強いられている。高価な飾り物を寄越せと、心にもない言葉を喚きながら。


 カザリナは成長するにつれ、かつての暴挙を謝る機会を欲した。しかしその頃には既に、城から出る事を制限されていた。


 その結果、何も出来ず時間だけが過ぎ去り、今に至るのだ。



「その教えは身にしみております。忘れようもありません」


「そうか。ならば良い」


「では私はこれにて失礼します」


「待て。一度くらいは笑顔を見せていけ」



 そんな言いつけがあったので、カザリナは目尻を下げた。そして口角を大きく持ち上げ、顔を作る。


 その間は両手を重ねておく。亡き父から貰った指輪に、コッソリと触れる為だ。



「これで宜しいでしょうか?」


「フン。白々しい。病身の母相手に、素直な笑顔も見せんとは。どうせ腹の中では嘲笑っておるのだろう。何て薄情な娘か」


「とんでもございません。どうか、ご自愛くださいませ」



 カザリナは母の部屋から出ると、鼻で大きく息を吸い込んだ。そして長々と吐く。胸を染めるような苛立ちも、一緒に吐き出されてしまえと思う。



「ともかく、アクセル様との全面対決は避けられましたね。早くお伝えすべきでしょう」



 カザリナは階段を降る間、不意に窓の外を眺めた。


 すると眼下の中庭に、アクセルの姿を見つけた。何だと思って眺めていると、彼は厩(うまや)に赴いては、ワラの束を抱えて戻ろうとした。


 彼の行き先は地下牢の方だった。しかし行く手を槍兵達に塞がれた。すぐに背後も数名から脅かされ、挟み撃ちの格好になる。


 だがそれも束の間だ。石壁すら震える大喝が轟くと、兵士たちは卒倒した。そこをアクセルは、悠々と立ち去っていく。それこそ無人の野を行くかのように。



「あのお方は、どこまで……」



 彼の超然とした生き方は、もはや嫉妬の念すら起きない。それどころか、拍手喝采して称えたくなる程だ。


 不意に頬を涙が伝う。泣いてしまった理由は分からない。とりあえずは不快でなかった。そして、自分の中で何かが変わりそうな予感がして、胸はおもむろに高鳴るのだった。


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