第37話 裁かれる側に立つ

 マズシーナ王宮、謁見の間。今ここに、近辺の有力者が集結していた。一同は部屋の壁際に並ぶ椅子に着座し、陪審員として参加する。しかし彼らが気にかけるのは被告ではない。玉座に座る『裁判官』だけが意識にあった。


 その玉座に座り、冠を戴くのはミキレシア公爵。肩書こそ『公爵代理』なのだが、それは些細な事実である。誰もがこの冷たい瞳を持つ女を畏れた。そして、今日という日が平穏無事に終わる事を祈る。



「まだ準備が整わぬのか?」



 ミキレシアは、閉じた扇の柄で玉座を繰り返し小突いた。傍らの騎士がすかさず返答するものの、声は上ずって掠れ気味だ。



「間もなく、整う見込みでございます!」


「急げ。あまり妾を煩わせるな。ケホッ」



 彼女の厳格さは見た目にも現れている。後ろで束ねた総白髪に乱れは無い。険しい顔に刻まれたシワは深く、不機嫌を代弁するかのように蠢く。そして両手の白手袋に、豪華絢爛なるドレスは、華やかさよりも潔癖さを感じさせた。加えて威圧感までも醸し出す。


 この老いた貴人を侮る者など居ない。それどころか、視線を合わせぬよう、誰もが伏し目がちになっている。居並ぶ諸侯や騎士たちは、皆が緊張した面持ちだ。所作を固くして、咳払いすらも堪えながら、来(きた)るべき時を待つ。


 そして今、大望の瞬間が訪れた。



「大変お待たせ致しました、諸々整ってございます!」


「罪人をここへ」



 ミキレシアが囁くと、大扉が厳かに開いた。そして罪人として招かれた青年と、腰を曲げた少女が、数多の兵士たちに囲まれて登場する。


 その不自然なまでの態勢に、ミキレシアは眉を潜めた。



「お前たち。なぜ僅か2人に対し、10人以上で囲むのか」


「ハハッ! 万が一の事態に備えるためにございます!」


「それに縄。罪人が縛られないとは、どういった魂胆か。もしや、結び方を忘れたとでも申すか?」


「いえ、とんでもございません! 直ちに!」



 ミキレシアの叱責に震える騎士は、手下から縄をふんだくった。そしてアクセルに取り付き、後ろ手にきつく縛ったのだが。



「フンッ!」



 たったの一息で、縛めが力任せに千切られてしまう。アクセルを縛り付けるなど、到底不可能なのである。


 居並ぶ者たちの大多数は、彼の力量を知らない。だから概ねが、目を丸くして驚いた。そして絨毯の上で散らばる残骸を、信じられない想いで眺めてしまう。



「ミキレシア様、この通りでして……。一応、本人には暴れなぬよう約束を取り付けてございます!」


「ならば……せめて剣を奪え。帯剣したままで裁判など、笑い草になりかねん」


「そ、そちらにつきましても……!」



 兵士の1人がアクセルの剣に触れようとした瞬間だ。辺りに刺々しい殺気が駆け巡る。それは、さながら幻の暴風だ。歴戦の兵士でさえも、たたらを踏んで倒れては、腰を抜かしてしまうのだ。



「誰か、こやつの剣を奪える者はいないか! ミキレシア様直々のご命令だぞ!」


「ならば私にお任せあれ!」


「おぉ、お前は国一番の力持ち! そなた程の豪傑であれば容易く奪えよう!」



 騎士は顔を明るくするなり、サーシャの側へと歩み寄った。そしてアクセルに強く警告する。



「良いか、無駄な抵抗など考えるな。さもなくば、貴様のツレの、少女だか老婆だか分からん娘を斬り殺してやるぞ」


「アクセルしゃま、アタシみてぇな老い先短い老人なんぞ、見捨ててくださいませ。若いもんが我慢するもんじゃねぇです」


「黙らんか小娘! いやババア!? 老い先短いなどと申すが、我々よりよほど若いハズだろうが。ややこしいなッ!」



 そう叫ぶ兵士は、自らが履く剣の柄に手をかけていた。脅しではない事を必死にアピールしているのだ。


 アクセルは冷たい視線を送りつつも、無言で頷いた。両手も力なくぶら下げており、反抗の意地が無いことを示す。



「フン、手間をかけさせおって。どうせ貴様は死ぬのだから、潔くすれば良いものを――――」



 力自慢の兵が、剣のベルトを解いた瞬間の事だ。剣の凄まじい重量から、一直線に落下したのだ。いち兵士ごときが支えられる重さではない。


 そして鞘が床に触れた途端、爆音とともに石床は粉砕された。さらには地面に穴まで開けてしまう。巻き込まれた兵士は、ご自慢の筋力を活かす機会もなかった。ただ土砂まみれになって、動かなくなる。



「私からも警告しておこう。死にたくなければ、剣には触らん事だ」


「クッ……おのれ……!」


 

 睨み合うアクセルと騎士。そこへ割り込むような咳払いが聞こえた。


 そちらを見れば、ミキレシアの不機嫌顔があった。



「いつまで茶番を続ける気だ? 妾が暇人とでも思うたか?」


「ハッ! ただちに制圧いたします、もうしばしお待ちを!」


「時間が惜しい。剣なんぞに固執するな。少しは機転を利かせろ、愚図めが」



 ミキレシアは前言をひるがえすと、アクセルを睨み据えた。



「話の間は大人しくする事だ。さもなくば、そこの老少女の四肢を切り刻み、なぶり殺しにしてくれよう」


「良いだろう、話くらい聞いてやる。決してサーシャに手を出すな」


「それは貴様の態度次第だ。せいぜい行儀良くしていろ」



 ミキレシアが目配せすると、騎士の1人が声高に叫んだ。



「ではこれより、冒険者アクセル、流民サーシャの裁判を執り行います! 容疑は騎士団に強く反抗した事から、『反逆罪』が適用されるものと確信しておりたす!」



 罪状を読み上げる間、諸侯から兵士に至るまでが鷹揚に頷いた。いつしか『死罪相当』という声まであがるようになる。



「ミキレシア様。このアクセルという男が、ゴードン団長と私闘する姿は、多くの町民により目撃されています。もはや言い逃れは出来ぬかと!」


「そうか。妾の手下に噛みつこうとは、無礼千万。もちろん覚悟は出来ているのだろうな?」



 ミキレシアは閉じた扇を、小さく横に振った。まるで首をはねる仕草であった。それは処遇を決めた合図でもある。こうなれば、明確な刑罰が宣言されるのを待つのみだった。


 しかしそんな折に、1人の女性が歩み出た。美しくも表情の失せた乙女。鉄面姫と呼ばれるカザリナ公女であった。



「お母様。一言だけよろしいでしょうか?」


「下がれカザリナ。お前に公務など早すぎる」


「このアクセルという青年、無意味に狼藉を働いたのではありません。ゴードン達第一騎士団は、日頃から町民を虐げておりました」


「ほう、それで?」


「アクセル様に非があるか、今しばらくご再考ください。下々の民を虐げて繁栄した国はないのです。何卒、慈しみをもってして君臨を……」


「戯言はそれで終いか、カザリナよ」



 ミキレシアは扇の柄で、玉座の端を小突いた。すると兵士がカザリナの側に寄り、退室を促す動きを見せた。



「お母様。何故です」


「何を申すかと思えば。民草共がどうのと、実に下らん」


「下らないと仰いましたか?」


「覚えておけ。愚民なんぞ恐怖で縛りつけ、富を吸い上げ、生かさず殺さずで支配する。そうして初めて盤石なる統治が可能となるのだ。それを慈しみなどと……お前がそんなザマだから、事有るごとに小馬鹿にされるのだぞ」


「お母様。それは認識を誤っておいでです。王道とは仁をもってして……」


「早々につまみだせ」


「カザリナ様、ご容赦を。ミキレシア様の御命にございます」



 カザリナは、前後を兵士に囲まれた形で、謁見の間から退室させられた。


 これにて、アクセルは絶体絶命に陥る。彼を庇う者が消えてしまったのだから。



「では沙汰を申し渡す。まずはゴードン」


「ハハッ!」


「たかが冒険者ごときに、手もなく捻られようとは言語道断。二度とマズシーナ騎士団の名を辱めるな」


「以後、鍛錬に精を出す事とします!」



 ミキレシアは鼻息で答えると、視線を逸した。住民に対する嗜虐行為に対しては、何も触れていない。つまりは『不問』という事である。



「さてアクセル、並びにサーシャよ。妾の顔に泥を塗った蛮行、真に許しがたし」



 魂まで凍てつくような視線だ。居並ぶ者たちは、同席するだけでも震え上がった。


 しかしアクセルに限っては、茫洋とした瞳で受け流す。ついでにサーシャも、口元をフガフガさせており、これまでの話を聞いていなかった。



「こやつらを牢に閉じ込めておけ。慈悲に期待なぞするなよ。獄を抱きつつ、どのような残虐な刑が処されるか。震えながら待っておれ」



 それは極刑を意味する言葉だった。単なる斬首では済まない。執拗にいたぶり、延々と苦しめた後、ようやく死なせてやる。そんな恐ろしい刑が執行されるのだ。


 これには諸侯たちも同情した。男の方はまだしも、連れ合いの方はまだ、うら若き少女である。いや、仕草は老婆そのものだ。ならば同情の余地はないのか。一同は無言を貫きつつも困惑するばかりだ。



「お前たち、こっちだ。早くしろ」



 騎士たちが束になって、アクセルを誘導しようと試みる。しかし総力で押して、あるいは引っ張ろうとしても、半歩すらも動かせずにいた。


 アクセル自身が、まだ退室を望まない為だ。



「待て。移動は剣を回収してからだ」


「貴様、約束を違える気か? ツレが斬り殺されても良いのか?」


「約束は、大人しく話を聞くことだった。もう終わったハズだ」


「いや、しかしだな。常識で考えろ。牢に入る人間が帯剣など……」



 アクセルは聞く耳をもたなかった。穴に降り立ち、超重量の剣を腰に差す。そして一同を強く睨みつけた。ささやかな殺気まで帯びているのは、魂の猛りが理由である。



「私をあまり怒らせるなよ」


「誰でも良い、こいつを取り押さえろ! ミキレシア様の御前だぞ!」



 騎士たちの悲鳴じみた声など、負け犬の遠吠えにもならない。それどころか、穴から飛び出る所を牽制する事も出来ない。アクセルから強烈な怒気を感じたからだ。


 アクセルは政治を知らない。法にも疎く、俗世間の道理も知らない。この込み上げる憤怒は、憤りの正体は何なのか、感情の言語化もできない。


 しかし彼には少なからず経験がある。コウヤで、シボレッタで触れた真心が、生きる指針となっている。それらは魂の奥深くで教えてくれた。



――ここは邪の巣窟だ。人の心を知らぬ連中である、と。



 それが、怒りの原動力だった。そして、今にも飛び掛からん程、獰猛な顔つきで叫んだ。



「皆殺しにするぞ、お前ら!!」



 大気を震わせる程の雄叫びは、謁見の間を完全に制圧した。


 諸侯だけでなく、ミキレシアまでも椅子から転げ落ちた。それを支えるべき騎士や兵士たちは、その多くが泡を吹いて卒倒する始末だ。


 すると、辺りには不気味な静寂が訪れた。せいぜい、怯えて惑う声や、苦悶に満ちたうめき声が聞こえるだけだ。



「お前らの言うように、牢には入ってやる。そこまでが約束だろうからな」



 アクセルは退屈そうに鼻で笑うと、サーシャを抱き抱えた。それから片手で兵士摘み上げ、牢獄まで道順を聞く。最後には無言のまま立ち去っていった。自らの足で囚われの牢へと向かったのだ。


 乱れぬ足音、まさに王者の歩みだ。その余裕は、背中でミキレシアの怒号を聞いても、一切変わらなかった。



「ここが牢屋というものか、未知なる体験だ。サーシャはどうだ?」


「そうだんねぇ。齢15歳にして、初めてでございますねぇ」


「屋根と壁がある。宿代わりとして悪くはない」


「アタシは、いつもの厩(うまや)の方がグゥゥ好きでごぜえますよ。愛らしいズゲゲェ馬さんをシュメメル撫でられますから」


「サーシャ、空腹か?」


「あらまぁ、シュゴゴ恥ずかしいねぇ。死に損ないでも腹は減るみたいでねぇジュォン」


「育ち盛りだからな。少し待ってろ、何か探してくる」



 アクセルは改めて牢の中を見た。上下に壁は石造りで、窓は無い。そして鉄格子。脱獄を許さぬ、まさに鉄壁の備えであった。



「ここから出るか。フンッ」



 アクセルは鉄格子に取り付くと、力任せに鉄の棒をひん曲げた。すると、溶かした飴細工のように大きく歪み、人が通れる隙間が出来上がる。


 それからアクセルは気負うでもなく、悠々と通路を歩く。突き当りはまた鉄格子で、その先に番兵の詰め所が見えた。



「何か良い匂いがするな。フッ!」



 またもや力任せ。生じた歪みから侵入。そして、卓上に広がるパンやらチーズやらと、手当たり次第に抱えだした。


 だが、犯行はあまりにも派手すぎた。アクセルの強奪は間もなく明るみとなる。



「牢破りだ! 例の男が脱獄したぞ!」



 押し寄せる兵士たちは、全員が抜剣。そして躊躇いもなく斬り掛かった。特に勝算があるわけでなく、恐怖にかられての事である。


 結果については語るまでもない。詰め所には10人程度の兵士たちが転がり、悶絶する事になった。



「聞け、マズシーナの兵たちよ。私はお前たちの横暴に付き合ってやる。その代わり、食うものくらいは出して貰うぞ」



 アクセルは帰路も悠々と歩いていく。両手に余るほどの食料を抱えつつ。


 兵士たちは、去りゆく背中を見送りながら思う。とんでもない事になったと。まるでヒドラでも庭先に飼っている気分だと、魂の奥底から絶望するのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る