第29話 Bランクの武力

 噴水広場の程近くに佇む冒険者ギルドは、古くから街に根付く施設だ。年季の入った石造りで、敷地も比較的広い。


 樫の扉を押し開いて中へ入ると、日中だと言うのに薄暗い。窓の少ない屋内は、汗と埃の臭いが充満していた。サーシャなどは、露骨に鼻を押さえる程である。



「はいどうも。マズシーナのワクワクお役立ちギルドへようこそ。一見さんですよね?」



 カウンターから妙齢の女性が声をあげた。大きな丸メガネ、長い三つ編みの緑髪。細身のワンピースにストールを巻いている。それは表通りでよく見かける装いで、目立った点は見当たらない。彼女の所作からも、戦闘要員ではないと、アクセルは見切った。



「ご不明な点があれば何でも聞いてくださいね。それにしても可愛い女の子連れてますね。妹さんですか?」


「違いますぅ、こちとら甘酸っぱい間柄なんですぅ!」


「アハハ……これは失礼を。まぁ世の中には、色んな愛のカタチがありますもんね」


「早速だが1つ尋ねたい。ここは冒険者ギルドだと聞いたのだが」


「はい、モチロンですとも。本日は仕事をお探しで? それともご依頼でしょうか?」


「仕事を探している」


「そうなんですね。では登録者証をお願いします」


「トーロクシャショウ? 登録者で使用、仕様、シよう……」


「えっ。もしかしてメンバーでない方? 失礼しました。何というか、風格がヤバかったので、てっきりベテランの方かと!」



 事務員は忙しなく動き回り、手にした羊皮紙をカウンターに転がした。そこで紙が落ちそうになるのを寸前でキャッチ、すぐさま広げてみせた。



「ギルドで仕事を請け負うには、メンバー登録が必須なんです。ただし、一度登録いただけたら大丈夫です。登録者証は他所の街でも使えますから」


「ふむ。ちなみに金は要るのか?」


「それがですねぇ、なんと無料なんです! 良いですよね、タダって響き。何かと鬱陶しいほど税を取られるマズシーナにおいて、もはや最後の砦。一握の良心。心のオアシスみたいなもんですよ」


「よく分からんが、手続きを済ませたい」


「承りです!」



 事務員は尖った棒の先をインクに浸し、羊皮紙に日付を書き記した。間もなく、アクセルの個人情報が書き込まれていく。



 オナマエトーネンレイハー? アラワカイ。ゴシュッシンハ? エーマジデー!?



「故郷が神精山って……アソコに人なんか住んでるんですね。今、初めて知りましたよ」


「無理もない。旅人すら訪れない秘境だからな」


「それから得意武器は、もちろん剣ですよね。魔法の心得は?」


「いや、無いな。無縁だった」


「そうなんですね。別にペナルティは無いです。メンバーには魔術師や治療師も居るので、彼らと組むことをオススメしますよ」



 事務員はそこまで言うと、紙面を見直ししてウンウンと頷く。そして掌に収まる金属板を取り出しては、羊皮紙に押し当てた。紙には小さな精霊石が埋め込まれており、それを金属板と擦り合わせたのだ。


 するとほんの一瞬だけ閃光が走る。そして「お待たせしました、完了です」という言葉とともに、アクセルに金属板が手渡された。板には名前と登録場所、そしてFという文字が大きく刻まれていた。



「これが登録者証というものか」


「はい、そうです。アクセルさんにはFランクから始めていただきます。最初のうちは小さな仕事ばかりですが、達成を重ねる内にランクアップして、実入りの多いお仕事を――」



 事務員が言い終える前に、異議が轟く。机を叩いてまで抗議をしたのはサーシャである。



「待ってください、おかしいですよアクセル様が最低ランクだなんて!」


「いや、そう言われましても……。これはルール通りってやつでして」


「あのですね、アクセル様は超絶強いんですよ! 魔獣をそりゃもう、ズシャーーのドゴーーンバキィッですから!」


「ええと……その大ボラが真実かはさておき、ギルドでの実績はゼロですよね。こちらとしましても、評価するのは無理なんです」


「アクセル様の力を信じないだなんて! シボレッタを救った英雄なんですからね!」


「困りましたねぇ。ハチミツ玉あげますから、ちょっと落ち着いて貰えます? 他の冒険者さんにも迷惑かかっちゃうんで」


「子供扱いしないでください! 落ち着いてなんかモゴモゴ、いられましぇんよモゴモゴ」


「あぁん可愛い! 怒りたいのに甘味が邪魔して綻んじゃう顔、すんごく可愛いーーッ!」



 事態は丸く収まる兆しを見せた。だが一同は、少しばかり騒ぎすぎたらしい。壁際ベンチに待ち合わせるギルドメンバー達は、皆が眉を潜めだす。そして遂には、眼尻を怒らせた者を寄せ付けてしまった。


 赤茶の短髪、頬に戦傷。チュニックにズボンと非武装だが、丸太のような腕が凶器とも思える。雄熊にも似た筋肉質な男。彼は図体通りの野太い声で、肌がひりつく程の叱責を撒き散らした。



「うるせぇぞさっきから! 何をゴチャゴチャ騒いでやがる!」


「ヒェッ!? すんませんギルドマスター。ちょっとランク決めでモメてまして。規定通りFから始めて貰いたかったんですが……」


「何ィ? それが気に食わねぇって話か?」



 男の胡乱げな視線がアクセルを見て、サーシャまで降る。そして鼻の先で笑い飛ばした。



「居るんだよなぁ。女の前だからって、調子こいて大きく出る奴が。見た所剣士のようだが、生っちょろくてクソ弱そうだぞ。最低のFでも過大評価じゃねぇのか」


「えっと、ギルマス。そちらの方は騒いでない、というかむしろ寡黙でして。女の子の方がよっぽど……」


「ルールに文句があるなら、オレを倒してから言えや。元Bランクで実力はA相当だと称えられた、このオレ様をな!」



 ギルマスはアゴをしゃくって歩き出した。そして、1人だけで裏口へと歩いていく。


 アクセルはボンヤリと成り行きを見守った。そこへサーシャに「着いてこいって意味ですよ」と耳打ちされると、ようやく後を追った。


 扉を開いた先は裏庭だ。木剣が棚に掛けられ、地面にも巻藁や長い杭が打ち込まれている。樽を積み上げて作った的には、数本の矢が突き立っていた。


 様々な訓練器具が置かれていても、敷地は広大で四方も石壁で覆われている。暴れまわるのに適した場所だと言えた。そこでギルマスは仁王立ちとなり、アクセル達を待ち受けた。



「なんだ。怖気づいて逃げ帰ったのかと思ったがな。その精一杯のクソ度胸は認めてやろう」


「着いてきて欲しいなら言葉で言え。意味が分からなかった」


「ククッ。この期に及んで、つまんねぇ冗談を言えるとはな。図太さだけはAランクだな。アァ?」



 ガハハ、ガハハハ、ゲッホゲホ。



「さてと、ギルドマスターとやら。私を連れてきて何をするつもりだ?」


「美少女連れで調子乗ってるテメェを、ちょいとばかし懲らしめてやろうって話だ。逃げても別に構わねぇ。そこの嬢ちゃんが軽蔑するだろうがな」


「アクセル様は逃げたりしません! アナタみたいな塵芥(ちりあくた)クマ男なんてもう、ワンパンですからね!」


「ちりあくた……何かよく分かんねぇが、オメェもオレ様をバカにしてんな? こいつはお仕置きが必要だな。見た目が可愛いからって、いい気になるなよ」



 ギルマスは青筋を立てながら身構えた。徒手空拳。武術家だろうなと、アクセルは思う。



「抜けよ、ヒョロガリ剣士野郎。こちとら素手だが気にすんな。そんな細腕の剣なんか掠りもしねぇよ」


「いや、良い。少し事情があってな。簡単に抜剣するなと言われている」


「この野郎……イキがるのも大概にしやがれ」



 ギルマスは、素早い足さばきでアクセルに肉薄する。踏み込んだ瞬間には既に腰だめの態勢に入っていた。そして右手の正拳突きを放つ。人体の急所である、みぞおち目掛けて真っ直ぐに。


 しかし拳は虚しく空を切った。打撃は薄皮すら破れずに、アクセルのすぐ脇を貫いただけである。



「な、何!?」


「どうした。遠慮は要らないぞ」


「この野郎……! ちょっとマグレで避けたからって、実力だと勘違いしやがる! 今のは老眼のせいだ! 狙いが半身分ズレただけだからな!」

 

「それは言い訳になるのか? 致命的なコンディションだと思う」


「うるせぇ! 次は殺してやる!」



 懲らしめるから、殺すにランクアップ。それが真意であるかのように、手数も凄まじかった。左右の正拳突きに肘鉄、回し蹴りを織り交ぜたコンビネーション。さすがに歴戦の猛者を名乗るだけはあり、打撃のひとつひとつが鋭い。並の人間であれば、眼で追いかける事も不可能である。


 だが、アクセルに限っては全てを視認しており、正確無比に回避。頬に風を受け、眼前でつま先が過ぎ去るのを冷静に見送る。回避行動は最小限であった。傍から見れば、ギルマスが意図的に「外している」ように映るだろう。



「なぜだ! どうして当たらない!?」


「これが実質Aランクの男か。思った程では無かったな」


「こんのクソガキがッ! 今の言葉を後悔させてやるからな!!」



 ギルマスは全身に力を漲らせると、自身の両拳をぶつけ合った。そして全身にほの蒼い光を宿らせると、「モルカソク」と叫んだ。


 その変貌を、アクセルは敏感に察した。棒立ちだったのを、僅かに腰を落として体勢を整えてゆく。



「その光……どうやら本気になったらしいな」


「クックック、今のは速度アップの魔法だ。これが必勝パターンよ。もはやオレ様の身体すら見えなくなる。殴られた事すら分からないまま、あの世逝きだぜ」


「執拗だな。そこまで私闘にのめり込む意味も無いだろうに」


「意味ならある! いけすかねぇテメェをブッ倒して、そこのクソ生意気なメスガキに、大人の怖さってもんを教えてやるんだ! 三日三晩かけてジックリとな!」



 ギルマスの闘気が溢れて弾ける。機は間もなく熟す。そして互いの睨み合いが続くと、気迫が弾けて、本格的な衝突を予感させた。



「オレ様は! 13歳くらいの女が! 大・大・大好きなんだーーッ!!」



 史上最低の雄叫びとともに、ギルマスが突貫した。それは神速。音の壁を越えた速度だ。アクセルに接近するまで、瞬きの時間すら無かった。



「殺(と)ったぁーー!!」



 振り上げた拳を叩きつける。渾身の一撃は勢いのまま地面をえぐり、大きな穴が空いた。



「ガーーッハッハ! 見たかよ、粉々になりやがったぞ! 死体すら残らねぇ完全勝利だ!」


「うぇぇ……ギルマス。マジで殺しちゃったんですか。騎士団にバレたら10年は牢屋行きですよ……」


「ブチ殺すのと同時に墓穴まで掘ってやった、これぞ時短ってヤツだ! まさに出来る上司、最強無敵、美少女幼女にモテモテ街道を大爆走……」


「どこを見ている」


「何ッ!?」



 ギルマスは砂埃の舞い散る左右を見渡した。居ない。では上か。その予感は的中し、アクセルの姿を見つけた。丁度、ギルマスの頭上で回し蹴りを放つ瞬間であった。



「上手く耐えろよ、死にたくなければな」



 アクセルの痛烈な蹴りが肩に命中。するとギルマスは、巨大な獣に踏み潰されたかのように、地面に叩きつけられた。そして上半身が丸々と埋まり、身動ぎすらしなかった。


 これは意趣返しか。ギルマスが埋まるのは、自身で墓穴と呼んだ穴だった。



「やったぁ! さすがアクセル様、マジ最強!」



 サーシャはその場で飛び跳ねた。事務員はというと、満面の笑みで拍手を打ち鳴らした。



「いやぁスカッとしました。ありがとうございます!」


「あの、お姉さんは悔しがる側なんじゃ?」


「全ッ然! うちのギルマスって強くて実績あるけど、性格が終わってんです。女癖がガチの最悪で、Fランの女の子たちを口説いては逃げられたり。脅して攫おうとした所を騎士団に見つかって、半日がかりで嘘八百の弁明したり」


「うわぁ、それは酷い。最低じゃないですか」


「しかもですよ。それ系の苦情がギルドに来たら、謝るのは私なんです。全然関係ないのに。マジふざけんなって話じゃないですか」


「何て言うか、大変だったんですね」


「まぁね、これに懲りたら大人しくなるでしょ。いっそ、軽く死んでもらった方が嬉しいかな。ギルマス不在でも当面は仕事を回せるし」



 そう話すうちに、アクセルが2人のもとへ戻った。砂埃を払うだけの、平然とした態度である。汗のひとつさえ見せず、息も乱れていない。



「お疲れ様です、アクセル様。お怪我は無さそうですね?」


「そうだな。あの男は、グレイウルフよりも若干強い、という程度だった。一対一なら負けようもない」


「強さを測る定規が天空まで届いてますけど、ともかくおめでとうです! Bランク相手に勝ったんだから、アクセル様もBランク入り決定ですね!」



 諸手を挙げて喜ぶサーシャだが、そこへ事務員が水を差す。



「いや、そういうシステムじゃないです。Fランなのは変わんないですよ」


「えっ!? だって文句があるなら、このBランを倒してからにしろって……」


「あれは、いわゆる脅し文句ですから。昇格を賭けた勝負じゃなかったんですよ」


「じゃあこれって、無駄骨?」


「いえいえ、無意味って程でもないですよ。アクセルさんの強さを把握できたんで。仕事の紹介の参考になります。差し支えなければ、これから中でお話しでも?」



 どうぞコチラへと、事務員が屋内へと誘導する。アクセルとサーシャは誘われるがままに、再びギルド内部へと戻った。地面に突き刺さったギルマスは放置して。


 その後、ギルマスはどうなったか。結論から言うと、自力で脱出し、どうにか一命はとりとめた。しかし無事とは言えず、3ヶ月もの長期休養を強いられてしまう。それから職場に復帰するとして、居場所が残されているかは、彼の人徳に左右されるであろう。



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