第12話 夕闇少女
アクセルが目指すべきは王都で、今は嫁探しの真っ最中だ。彼が街道を駆ける間、念仏のように呟き続けたのが奏功し、目的を見失わずに済んだ。
「ふむ。ここはどこだろう?」
しかし、道まで見失わなかった訳では無い。樹海を抜けた先は、一面に広がる大平原だ。どこまでも草原が広がり、遥か遠くに霊峰の影、そして小川も見える。
眼前で左右に伸びるのは大街道。国にとって大動脈とも言える、幹線道路である。数多の町や村を通り、やがては王都へと至る道だ。この街道さえ見失わなければ、いつかは都へ辿り着けるのだが。
「さてと、どちらへ進もうか。右か左のいずれかだな」
ここからどう行くべきかは、マジソンに聞けていない。せいぜい樹海の抜け方までである。この先は最早、手探りで進むしかない。
この付近にも、一応は立て看板がある。矢印と地名が書かれているのだが、全てが風化している為、読み取る事は不可能だった。
「誰かに聞けたら楽なのだが……おや?」
右の方から、蹄(ひづめ)の音が聞こえる。やがて、馬にムチを入れつつ疾駆する騎馬の姿を見た。その男はアクセルの前を通り過ぎ、ひたむきに大街道を進んでいった。
丁度良い。アクセルも走り出し、馬上の男を追いかけた。
「ごきげんよう。少し尋ねたい事がある」
「なんだよ、こちとら先を急ぐ……って速ッ!? 馬と並んで走ってやがる!」
「王都へ向かうには、どう行けばいい?」
「王都ならコッチの方向だよ!」
「なるほど。途中で別れ道はあるか? できれば迷いたくないのだが」
「あぁもうウルサイな! この先しばらく行ったら町があるから、そこで聞けよ!」
「町の方角は?」
「このまま南!」
「南とはどの方向だ?」
「今太陽が昇ってる方! そろそろ勘弁してくれ!」
「そうか。感謝する」
男の口調に苛立ちが滲んだことで、アクセルは足を緩めた。そして、さらなる加速を見せつけながら去りゆく背中を見送った。今は、周辺の地理情報を理解できただけで十分だった。
「それにしても、樹海に比べて人が多いな。道に迷ったら、また別の人に尋ねてみよう」
さすがに大街道は、行き来する姿が少なくない。しばらく道を歩く内、通行人とすれ違うか、あるいは追い越されるかした。移動は基本的に馬を使う。荷車に稲を満載した馬車や、人を乗せた二頭立ての幌馬車などを、何度も見掛けた。
その為、徒歩のアクセルは酷く目立った。そんな姿が目を惹いたのか、とある旅の一行から声をかけられた。
「大街道で馬に乗らないとは、よっぽど貧しいのかな。貧乏ってのは大変なんだね」
寄って来たのは赤髪の青年だった。銀に煌めく鎧と、馬を巧みに操る仕草には、精練されたものを感じさせる。少なくとも、侮蔑の視線から同胞(なかま)でないと分かる。
「初対面だな、何者だ?」
「僕はギルゼン。かの高名なメキキ家に連なる者で、Aクラス冒険者だよ。君にとっては雲の上とも言える、高貴なる存在さ」
「そうか。私はアクセルという。今は剣聖……」
「ちょっと待ちなって! メキキだよ、普通は驚くでしょ。こんなクソ田舎とはいえ、一度くらい聞いたことあるだろ?」
「知らん。記憶にない」
「我が家の威光が届かないとか、どんだけ未開なんだろう……」
「それと、私は名をアクセルと言い、今は剣聖の称号を……」
「あぁ、良いよ言わなくて。お前のような下賤な者、覚えててもメリット無いしさ。それよりも、貧民のくせに良さげな剣を履いてるよね」
ギルゼンが馬上のまま、顔だけ突き出そうとする。しかし、その背後に現れた2騎の男たちが、軽率さをたしなめた。
「若様。不用意に近づかれては危険です」
アクセルとしては、ギルゼンよりも、背後の2人が気になってしまう。剣士の男は鉄板とも思える大剣を背負い、ローブ姿の魔術師は気配を消し去ったままで、こちらの様子を窺っている。いずれも手練だ。自分と戦ったとして、一体どちからが勝つのだろう。アクセルは胸が熱くなるのを感じた。
一方でギルゼンは、そんなアクセルの変化に気づきもしない。剣士達に不快感を示しただけだ。
「うるさいな。別に平気だろ、こんな呆けた顔してる奴なんて。何か不審な動きでもしたら、斬り捨てるだけさ」
「無用なリスクを背負う意味がありません」
「意味ならあるよ、こんな所にお宝だ。見てみろ、立派な剣を履いているだろう。汚らしい下賤な男より、僕の方が似合うと思わないかい?」
「ムム……また悪い癖が……」
「おい貧民剣士、話は聞いてただろう? その剣を譲っておくれよ。僕にも、先祖代々伝わる立派な剣があるけどさ、デザインが古臭いんだよね。君の剣の方が好みなんだ」
ギルゼンは肩をすくめながら、背中の剣を見せた。それは意匠が細かく繊細で、特に柄は、龍が翼を広げたようにも見えた。
「コイツを見てくれよ。今どき龍伝説をモチーフにするとか、いつのセンスだよって。そんなおとぎ話を信じてるのは、死に損ないの年寄りくらいさ」
「龍は、正しさと強さの象徴だ。その価値観に、新しいも古いも無いだろう」
「うわぁ……引くわマジで。その若さでモウロク爺みたいな事言うんだね。さすがは田舎の貧乏人。コケ塗れの倫理感に支配されてる。そんな風に、妄執に囚われたまま死んでいくんだろうね」
「お前が私を気に食わない事は理解した。他に用が無いなら、先を行かせてもらう」
「待ちなって。その剣を僕が買ってやると言ったろう。金額は……5万ディナ出そう。貧民には夢のような額面じゃないか」
「売るつもりはない」
「えぇ? 思ったより強欲だな。じゃあ6万でどうだ」
「手放さない。いくら積まれようともだ」
「わかったぞ。どんどん値段を吊り上げていくつもりだな? きっちり足元見るだなんて、やっぱり卑しい奴だ」
「勘違いしているようだが、金額の過多ではない」
「あぁそうかい。言っとくけど、次にこの話になった時、6万なんて金は出さないからね。さっきは気持ちが勝ってたから、ご祝儀かねて多めに言ったけど。今すぐ売らなきゃ後悔するよ」
「くどい。話なら終わった」
「チッ。もう良いよ、他にも業物(わざもの)の剣なんて腐る程あるんだ。せっかくの儲け話を不意にして、バカなやつ!」
それからギルゼンは配下に出発を命じた。去り際に『夕暮れまでにはシボレッタ村まで』と付け加えて。
アクセルは、もはやその主従に興味を失くしている。ただ胸の中で「そもそもロクマンディナとは、どれくらいの価値か」と思い浮かべたのみである。
「それにしても不愉快な連中だ。進行方向は同じらしい。このまま道なりに進めば、また出くわす事も有り得そうだ」
そう思うと、進路を変えた。大街道が尾根伝いに迂回するのに逆らって、真正面から突入したのだ。山を突っ切る方が近道であり、ギルゼンと別ルートで進めば、はち合わせる事もない。
ただしその変更は、周辺を熟知していて初めて可能な芸当である。
「方角なら間違っていないだろう。このまま南、太陽の方へ進めば良いのだ」
根拠として危うい。もちろん太陽とは、時間の経過とともに動いてゆく。目印とするには曖昧すぎるのだ。
その事実に気づいた頃、彼は一言だけ溢した。
「迷った。ここはどこだろう」
もはや人の気配はなく、街道も見えない。あるのは深い渓谷と森ばかりだ。
太陽は既に西の方へ傾くまで延々と彷徨ったのだが、いまだに村は見当たらない。所々で長い影が生まれ、そのせいか、肌に絡みつくような殺気までも覚える。魔獣の気配であった。
「今日も野宿になりそうだ。早めに焚き火の準備を……おや?」
ここで長い悲鳴を聞いた。女、それも幼い。すかさず駆け出して、声の出処を探し求めた。しばらくして、山の斜面に人影を見つけた。一人きりの少女は、頭を抱えてうずくまっている。このまま、夕闇に飲まれて溶けそうなほどに儚く思えた。
アクセルは迅速に駆けつけた。そして、周囲を埋めつくす殺気と相対して、身構えた。
「娘よ、どうかしたのか? 手を貸そう」
少女は恐怖におののいて口がきけない。状況は、目に見えるものだけで判断するしかなかった。
木陰に浮かぶ赤い光。唸り声とともに、近づいてくる。やがてアクセルは目の当たりにした。瞳を狂気に染めた、灰色の体毛を持つ狼の群れを。
「この気配は魔獣か? ならば倒すべきか。いや待てよ。世の中には、犬や狼を家族とする人も居るらしい。もしかすると、この狼たちも誰かの……」
悠長に考え込む時間はない。狼達は高らかに吠えると、突撃を開始した。四方八方から、アクセルに向かって飛びかかったのだ。
アクセルは素手のままだ。視覚には頼らずその場で静止。敵の足音や気配から、位置関係を正確に把握した。
「まずは右後方から。次に正面、後に右」
すかさず半歩だけ前に移動。彼の背後で、狼の体が通過していく。続けて正面。鋭い犬歯が、大きく開かれた口とともに迫る。ここでアクセルは直感する。牙には触れるな、噛まれるなと。
飛びかかりは、相手の腹を蹴り飛ばして防ぐ。そこへ別の狼が、右からも飛んで来たのだが、華麗に回避。体を旋回させて避けるとともに、肘を叩きつけた。
生き残りの狼達は、攻勢を一度止めて、遠巻きになって唸る。その数およそ10体。アクセルの攻撃を受けた2体のみ、黒煙を撒き散らしながら消えていく。
「さぁどうする。まだやるか?」
アクセルは更に腰を深く落とし、気を放った。続けて生じた波動が木々を揺らし、この葉を渦にして巻き上げてゆく。しかし魔獣が怯む様子はない。包囲網を崩すこと無く、『狩り』は続けられた。
数体が連続して飛びかかる。狙いが首と、両足首であるのは看破した。1歩飛び退き、まずは拳を振るう。丁度、狼の腹に的中。足元を襲う2体は、蹴り上げ、そしてカカトを落とす事で迎撃。3体全てが黒煙に包まれてゆく。
残り5体。包囲する側とされる側という形勢に変わりはないが、どちらが優勢であるかは明らかだ。やがて不利を察した狼が、空に向かって吠えた。すると1体、また1体と去っていき、遂には辺りから殺気が消えた。
「ようやく終わったか。娘よ、怪我は無いか?」
アクセルは背後で震える少女に声をかけた。短めに切り揃えた青い髪に月桂樹の冠。泥に汚れた純白のローブ。普通の娘とは思えなかった。少なくとも、コウヤ村の村人とは装いが異なる。
「私は旅の者で、剣聖(仮)のアクセルという。お前は?」
「シボレッタ村の、サーシャ。助けてくれて、ありがとう……でも……」
「シボレッタの者か。ちょうどいい、村まで案内して欲しい」
「それは出来るけど、でもね……」
「ならば良い。方向さえ教えてくれたら良い。行くぞ」
「待って、私はその……キャア!?」
アクセルは答えを聞く前にサーシャを抱き上げた。そして木々を蹴る事で跳躍し、暮れゆく山道を突き進む。
「どうだ、速いだろう。私は前にも、村人を届けた経験がある。安心して身を委ねたまえ」
少し得意となるアクセルだが、胸に抱いたサーシャの顔は困惑したままだ。安堵の表情でないのは、なぜだろう。その小さな違和感を拭えないまま、とうとうシボレッタ村へと辿り着いてしまう。
そして間もなく、心を煩わされたギルゼン一行と再会することになる。
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