「刹那の崖」と「星屑の海」

まぁじんこぉる

「刹那の崖」と「星屑の海」

宇宙に旅立つ君へ

第01話:軌道エレベーターが拓(ひら)く未来

 夜明け前が最も暗いThe darkest hour is always just before the dawn.。そんな粋な台詞せりふを言ったのは誰であったであろうか? それともどこかのことわざであったであろうか?


 そんな最も暗いと形容されるにふさわしい静寂と暗闇が覆う午前4時。その支配のくびきから解放を試みるかのようにニューラルグラスのアラームがけたたましい音楽データを朝霧あさぎり みおの頭に送りこむ。時は2078年8月1日。インドネシア、スラウェシ島。赤道直下の都市ゴロンタロ。


「ふわぁ、昨日はよく眠れなかったなぁ」


 みおはそう言って眠い目をこすり、170cm近くある長身の体を軽く伸ばすと「めがね、めがねはどこ?」と独り言をいいながら、枕元に置いたニューラルグラスを装着した。すると極度の近視によりぼやけて映し出されていたみおの世界が、ニューラルグラスの光学補正により一瞬で鮮明な世界に置き換わる。


 今日は天気がよさそうね。澪はニューラルグラスが脳内に送るニュースや天気予報を聞き流しながら大きな欠伸あくびを1つつくると、ゆっくりベッドから起き上がり、ニューラルグラスに窓を開けて欲しいと意志を伝える。


「うーん、気持ちがいい」


 寸秒の時をて、モノポールマグネット制御によって開かれた寝室の窓から故郷東京の夏を思い出させる生暖かい風。みおはその風を全身で浴びながら、胸下まで伸びた漆のように艶やかな黒髪をそっと左右に揺らすと、みおの心は一気に郷愁によって満たされた。


 小学生の頃、社会見学でみた宇宙船プロカタボリィが忘れられず、宇宙船に関わる仕事がしたくてJUXA日本宇宙研究開発機構主催のUDHRP宇宙開発専門人材プログラムに公募し、合格したあの日のこと。1秒でも早く宇宙船の開発をしたくて飛び級を繰り返した学生時代のこと。亜光速エンジンの論文が認められ18歳で博士号を取得したあの日のこと。そして念願のJUXA日本宇宙研究開発機構に入り、宇宙船の構造設計に明け暮れたあっという間の6年間。みおは、自分が必死に駆け抜けた遠い日を、まるで昨日のことのように思い出しながら、窓から見える風景をじっと眺めていた。


 そんなみおの黒いオニキスのような瞳に映るのは、暗闇に浮かぶ淡い月の光と、天高くそびえる巨大建造物、軌道エレベーターのきらびやかな光。そして、なにより、その瞳の中で一番輝いていたのは、みおの意志と決意を宿した心の光であった。


「いよいよ、今日という日が来たのね」


 みおは、夜明け前の一番暗い夜空に浮かぶ、灯台としての役割を兼ねる美しくライトアップされた軌道エレベーターをじっと見つめ、物思いにふけっていく。


 西暦2067年、日本・インドネシア両政府と日本有数のコングロマリットによって建築された、人類の夢、軌道エレベーター。それは大気圏を貫き、宇宙の虚空に浮かぶ宇宙港まで続く巨大なエレベーター。


 この軌道エレベーターは、宇宙港から重力の影響を受けず宇宙船を出発できるようにしたばかりか、地球へ帰還するおり、大気圏へ再突入する際に発生する高熱の問題さえ解決して見せた。


 そして、この宇宙港によって、今まで重力のくびきから逃れるため使っていた大量のエネルギーを宇宙航行用のエネルギーに転用することが可能になり、大気圏再突入時の耐熱装甲を考えずに軽量化することが可能になったのだ。まさに宇宙開発の可能性を大幅に押し広げた建造物であり、人類に恒星間宇宙航行を夢見る事を可能にした建造物であった。


 そして、今日、その宇宙港から恒星間宇宙航行用に設計された初めての宇宙船アナクティシが、太陽系からもっとも近い恒星系、アルファケンタウリの航路調査に旅立つ。みおの博士論文を基に設計した亜光速エンジンを積み、みおが船体の構造設計の一部を担当した宇宙船に、みおの想い人であり、恋人である穂積ほづみ 一樹かずきが宇宙飛行士として星屑ほしくずの海へ旅立つのだ。


 みおは、その事実を再認識すると思わず身震いし、両手を大きく天に向け、まるで星空の星をつかむかのように、めいっぱい、力強く、その両腕を天に伸ばした。


「こんなことしたって、届くわけないのにね」


 みおは、何万光年も先にある星を掴みとるようなしぐさを2、3度繰り返すと、シニカルに笑ってみせた。と、その瞬間、ニューラルグラスが、再びみおの頭の中にけたたましい音を鳴り響かせた。二度寝防止用のスヌーズ機能によるアラーム音だ。


 みおはそのアラーム音を聞いて我に返ると、あわてて時間を確認する。午前4時30分、いけない遅刻する。そう考えた瞬間、みおの背中に冷たい何かが滴り落ちると、みおの心は一瞬で焦燥感で満たされた。


 今日が一樹かずきと会える最後の朝なのに! 一緒にオレレビーチで朝日を見ると約束したのに! 気ばかり焦るみおは、昨日の晩御飯のあまりのバナナの唐揚げピサンゴレンを手づかみで口に入れ、あわてて身支度を整えはじめた。


 今日の日の出は午前5時42分、ここからオレレビーチまでスカイカーで30分、もう間に合う気がしない。そう考えて慌てて鏡の前にすわり、髪をとかしはじめたみおであったが、どうにも寝汗が気になるし、さっきかいた冷や汗も気になるといえば気になる。


「さすがにシャワーくらいは浴びていかないとまずいかな。でも、香調ノートでごまかせるかな?」


 みおは視線の先にシングルフローラ系のパルファン香水をとらえながら「ま、いっか」と独り言をいってクローゼットに向かうと、今日のために2か月前から用意していたとっておきのトップスとボトムスがおそろいのセットアップを取り出した。


「え、まさか」


 セットアップのハイウエスト タイトスカートのチャックが閉まらない。いやいやとみおは、乾いた笑いを浮かべながら、もう一度。しかし、閉まらない、閉まらないものは閉まらない。大丈夫、大丈夫、今からカロリー制限をして、って間に合うわけないじゃない。


 この日のために、一流アスリート並みの食事制限とダイエットを必死にしてきたのに、1週間前は問題なく入ったのに、どうして? どうして?


「もう知らない! 一樹かずきは宇宙に行く前だから、当然、いつもの私に会いたいに決まっている。そうに決まっている。だから普段着で、いつもの服を着ていっても大丈夫、大丈夫!」


 みおは、そう独り言をいって自分自身をムリヤリ納得させると、クローゼットから、勝負服には若干劣るものの、一樹かずきが、昔、褒めてくれたワンピースを引きずり出した。今の時間は午前4時52分、待ち合わせは5時30分。余裕があるとはとても言えない状況だ。


「ははは、もう知らない! こうなったら、もうどうにでもなれだ!」


みおはそういって大きな声で笑うと


「約束の時間に間に合わせるより、もっと大切なものがこの世界にはあるのだ!」


と自分勝手な決意を胸に、シャワールームへと向かうのであった。

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