第14話:奇跡へ続く太さ1ミクロンの糸(はし)

 ついにこの時が来た。前回の会議から1週間、柚希ゆずきと共に考え、JUXA日本宇宙研究開発機構の同僚の協力を得て練り上げた一樹の救出計画。そのプレゼンが、今、まさに始まろうとしていた。


 この会議こそ、一樹を救う機会が与えられるかどうかの分水嶺ぶんすいれい、一樹の命がかかる剣が峰。この状況、みおの心は緊張感に支配されていてもおかしくはなかった。しかし、みおの心は信じられないくらい平穏であった。なぜなら、みおの後ろには柚希ゆずきがいて、しゅうが支えてくれている。そして、なにより、この案を練り上げるため協力してくれた同僚の想いが、みおの心にぎゅっと詰まっていたからだ。


「だからこそ、私は前に進まなければならない」


 みおは、そう独り言を言って強い決意を胸に宿すと、会議室前方に備え付けられたホログラム3Dディスプレイの前に立つ。


「朝霧 みおです。よろしくお願いします」


みおくん、最初に確認しておきたい。私がこのプレゼンに求めているのは2つだけ。1つは一樹くんを救う計画に実現性があるか? もう1つは、その計画が共同研究組織である理研理科学研究所を説得させうるものなのか? この2点にフォーカスしてプレゼンしてほしい」


「わかっています、センター長」


 みおは、センター長の言葉に短くそう答えると、この一言をきっかけに、みおのプレゼンテーションが始まった。宇宙船アナクティシまでの航路、その航路を可能にする質量0の光速宇宙船構想、宇宙船間の移動手段としての量子テレポーテーション、地球への航路変更を可能にするブラックホールを利用したスイングバイ。会議室は、みおが一言発するたびに色めきたち、賞賛と非難の空気が混在する、奇妙な対立軸を作り上げていった。


みおくん、君の意見は理解した。しかし、この計画には無理と思われる点が若干ある。それについて質問させてもらっていいかな?」


 センター長は、そう切り出した。


「まず、量子テレポーテーションについてなんだが、確かに2020年、MITマサチューセッツ工科大学が人間サイズの量子ゆらぎを確認して以来、この分野は飛躍的な進歩をとげた。この事実とこれからの人類の叡智えいちに期待するならば、確かに亜光速航行下の量子テレポーテーションも可能になるかもしれない」


「しかし、量子テレポーテーションを成立させるためには、存在を確定させる観測者が必要となる。みおくんが宇宙船アナクティシに移動する際は、一樹くんが観測者になるから問題ないが、その後、君達はどうやって観測者がいない宇宙船ソフィアに戻ってくるつもりなのかね?」


 センター長のこの辛辣しんらつな質問に対し、みおは、一切動じることはない。


「その問題は、ここMCCミッションコントロールセンターとの通信によって解決できます。つまり観測者は、この会議室にいる誰かにやっていただくことになります」


「しかしだね、みおくん。一樹くんを救出した時点で、宇宙船ソフィアと地球との直線距離は約4光年。FSO光無線通信を使っても、我々が宇宙船ソフィアの情報を得るまで4年の月日がかかる。我々が観測者になるのはよいとして、この絶望的な時間差という崖から、リアルタイム通信を実現するという崖まで、君はどうやって技術の橋をかけるつもりかね?」


「それについては、私がお答えします」


 センター長のこの質問に、そう答えたのはしゅうであった。しゅうはおもむろに、目の前にある端末を操作しはじめると、会議室前方にあるホログラム3Dディスプレイに資料を映し出す。


「これは、日本のとある研究機関から提供されたある試作機の設計図です。この設計図は、理研理科学研究所にて最近発見された光速を超える粒子、タキオン粒子を利用した超光速通信機の設計図になります。内容については、この設計図を書いていただいた研究機関の組織長に説明してもらいます」


 しゅうはそう言って、再び目の前の端末を操作すると、ホログラム3Dディスプレイの画面が切り替わり、1人の初老の男を映し出した。


理研理科学研究所の所長の柏木です。今回、宇宙飛行士、穂積 一樹氏の救出計画に参加できたことを光栄に思います。我々、理研理科学研究所JUXA日本宇宙研究開発機構と同様、この計画の成就に全力を尽くさせていただきたいと思います」


「この試作機は、約12光年までの距離であれば、リアルタイム通信を可能にします。そして理研理科学研究所は、矜持きょうじにかけて、超光速通信機を2年で実用化し、その後2年で宇宙船に搭載可能なレベルに小型化することを約束します。つまり、量子テレポーテーションによる宇宙船間移動は、4年後には不可能な技術ではなくなります」


 この柏木のプレゼンテーションが終わると、会議室はどよめきと拍手の海に飲み込まれた。想定外の出来事であったが、これにより、共同研究組織である理研理科学研究所の合意を取り付けるという課題がクリアできたばかりか、協力まで取り付けることができたのだ。


 そればかりではない。これで一樹を救い出すことができる理論上の筋道がたったのも大きい。みおの祈りが、柚希ゆずきしゅうの願いが、JUXA日本宇宙研究開発機構で働く人々の想いが、確実に形になっていく、そんな実感をもたせるに充分なプレゼンであった。


 しかし、まだ問題は残っている。その問題を指摘する責務をおったセンター長は、最後にして最大の課題をみおにぶつける。


「わかった。技術的な課題はそれで解決したとしよう。しかし、もう一つ、克服すべき大きな問題が残っている」


 そう言ってセンター長は、苦々しく、少し怒気を含んだ口調で話を続けた。


急遽きゅうきょ導入した新技術をめいっぱい搭載した宇宙船、こんな危なっかしいものを組織の長として承認するわけにはいかない。だいたい4年ですべての安全性を検証できるわけがない。そして、なにより、こんな危なっかしい宇宙船に乗りたがる宇宙飛行士がいるわけがない」


「その点は問題ありません。私、朝霧 みおが宇宙船ソフィアに搭乗します」


「それは……」


 そう言い始めたセンター長の言葉を遮って、みおは話始めた。


「センター長、これは必然なのです。宇宙船アナクティシに量子テレポーテーションできる人間は、宇宙船アナクティシに生体サンプルを残していなくてはなりません」


「私は、1年前、一樹に手作りの御守りを渡しています。そして、それは、女性の髪には神が宿るという日本古来の風習にならい、私の髪の毛を入れておいた御守りです。つまり、宇宙船アナクティシに存在する生体サンプルは、一樹本人と私のものしかないのです。つまり、この計画を実施できるのは私だけなのです」


 みおがそう強く言い切ると、センター長もさすがに鼻白む。


みおくん、それはできない。君は日本の宝というべきエンジニアだ。国として、JUXA日本宇宙研究開発機構として、君を失うリスクは許容できない」


「であれば、出発前に私の脳内データを残しておきましょう。今、脳内情報を電子媒体に転写できるのは95%までですが、2年後にはそれが100%になります。必要に応じてそのデータを、コンピューターなり、AIなりに記憶させ運用すれば問題ありません」


「しかし、こんな成功する確率が0に近い奇跡に、成功と失敗の崖にかかった橋が1ミクロンの太さもない糸のようなものに、挑戦させるわけにはいかない」


「それは違います、センター長。私だから、その1ミクロンのはしを渡ることができるのです。一樹を心から愛している私だからその谷を超えることができるのです。そして、この計画を唯一実行できる私が欲しているのは、一歩を踏み出す勇気と皆様の協力だけです。私はそれ以外の言葉は聞きたくありません!」


 みおがそう言い切ると、会議室は割れんばかりの拍手で包まれた。

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