第15話:「刹那の崖」と「星屑の海」

 一樹が宇宙に旅立ってから5年、2083年8月1日午前4時。みおは一人、オレレビーチで日の出を待っていた。一樹が宇宙に旅立ったあの日、みおが見る事のできなかった朝日をどうしても見たくなったからだ。


 4年前、一樹の命を救うためけられた1ミクロンのはしは、様々さまざまな企業と研究機関の協力によりその太さと強度を増していき、ついには光速宇宙船ソフィアを完成させるまでに至った。しかし、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなかった。


 みおは、この日を迎えるまでの苦労を走馬灯のように思い出す。質量0を達成するための負の質量をもつ液体を通す配管配置検討とその耐久強度検証、船体素材のマイクロラティスの改良、亜光速エンジンの小型化による2人分の居住スペースの確保、4年前の会議では想定さえできなかった様々さまざまな問題がみおたちを苦しめた。


 この4年間という日々は、みおの見通しの甘さを痛感させられる日々であった。たとえ一本だとしても、それを作り上げるためには、耐久強度を評価しなければならないし、精度検証もしなければならない。それに加え、それを作り出す生産技術も考える必要がある。そして、それらすべての課題が解決して初めて、それは、宇宙船の部品として完成するのだ。


 そう、みおみたいな理論先行の科学者が考えだしたものを具現化するということは、多くのエンジニアの信じられないくらいの努力と工夫を必要とする。そして、そのが折り重なって初めて、それは具現化するのだ。みおは、そんな当たり前のことでさえ理解していなかったのだ。


「やっぱり、私って、わがままな女なのかな」


 みおは、光速宇宙船ソフィアを具現化するため全力を尽くしてくれた人々の顔を一人ずつ思い浮かべながら、日の出前の真っ暗な海を見つめていた。海には、数隻の船が浮かび、星のような明かりを灯し、空には、幾千もの星が輝き、夜空に一大パノラマを描き出している。


 みおは、そんなパノラマに向かって精一杯右手を伸ばすと、何度も何度も星をつかむそぶりをしてみせた。この4年間、みおは一樹を救うことのできる2時間のチャンスをつかむため、たった2時間の刹那をつかむため、様々さまざまな技術の崖を飛び越えてきた。そしてすべてが結実した今日、みおは「刹那の崖」から「星屑の海」へ飛び立つ。そう、一樹の命をその手でつかむために。


みお、実際の星は、何百光年も先にあるんだから、その短い手じゃ届かないんじゃない?」


 急に背後から聞きなれた女性の声、柚希ゆずきの声だ。


柚希ゆずき桜花おうか、どうしてここに」


「昨日ね、桜花おうかちゃんがママにプレゼントを渡したいからどうしたらいい?って相談されたの。だから、みおは、今日絶対にここに来るから、ここでプレゼントを渡そうねって約束していたの。ね、桜花おうかちゃん」


「うん、そうなの、ママ。桜花おうか、ママのこと応援してるから」


 桜花おうかは、そういって、手に持っていたハート型にカットされたクリスタルメモリーと紙で作った御守りをみおに手渡した。


「ママ、この御守りは桜花おうかが1人で作ったんだよ。ママがちゃんとパパと会えるように、心をこめてつくったの。あと、このハートはね、私からの手紙。これは、宇宙船の中で見てね。それ以外の所では見ちゃダメだよ。わかった、約束だよ、ママ」


「わかった、約束ね。桜花おうか


 そして、みおは、4歳になった桜花おうかが頑張って書いたであろう「おまもり」と書いたひらがなを見つけると、その瞳は一瞬で涙にあふれ、思わず桜花おうかを強く抱きしめた。


「ありがとうね、桜花おうか。ママもね。ここでパパに御守りを渡したの。ママの大事な大事なパパに御守りを渡したんだよ」


「いい、桜花おうか。これからママは宇宙っていうところに行って、パパを迎えに行ってくるの。だから、ちょっとの間だけ、いい子にしていて待っていてくれる?」


 涙で言葉にならない声で、みおは必死に桜花おうかにそう伝えると、桜花おうかは、不思議そうな顔を浮かべ、笑顔でみおに問いかける。


「ちょっとってどれくらいなの、ママ?」


「そうね。桜花おうかは、桜の花が好きって言ってたよね。だから、桜花おうかは、桜の花が何回咲いたかをちゃんと数えておいてほしいの。ママはね、桜の花が10回咲いた時、帰ってくるから、必ず帰ってくるから、それまで桜花おうか柚希ゆずきおばさんのところでいい子にして待っているんだよ」


 みおがそういうと、桜花おうかが返事するより早く柚希ゆずきが不満の声をあげる。


「ちょっと、みお、おばさん呼びはひどくない? 同い年なのに」


 柚希ゆずきはそう抗議したものの、それ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。なぜなら柚希ゆずきは気がついていたのだ。みおの瞳に、これから決死の救出劇に向かう決意の光と子供の成長を見ることのできない失意の闇が潜んでいることを、そして、いまだその気持ちを整理できないみおの弱い心を。


「そうだね、桜花おうかちゃん。柚希ゆずきお姉ちゃんのところで、いい子にしてお留守番していようか、ママは絶対に帰ってくるから、ね」

 

 しかし桜花おうかは、柚希ゆずきのそんな言葉にうなずくことはなく、その小さな手でみおの右手の人差し指をぎゅっと握ると、みおの瞳をじっと見つめ、寂しそうにみおに問いかける。


「ねぇ、ママ。もっと早く帰ってこれないの?」


「そうね。もしかしたら、4年で……」


 みおはそう言いかけて言葉を止めた。なぜなら、子供はいい話しか覚えていないものだし、生きて帰ってこれる可能性の方が圧倒的に少ない旅路になるのだから……。


「大丈夫よ、桜花おうかちゃん。ママはちゃんと帰ってくる。必ず帰ってくるから、私と一緒に、いい子でお留守番していようね」


「そうそう。ママは、桜花おうかがちゃんと柚希ゆずきお姉ちゃんの所でお留守番していてくれると嬉しいな」


 柚希ゆずきみおはそう言って、同時に桜花おうかの頭をなでる。するとみおの背中に太陽の光が当たり始める。それはまるで、みおつかむべき未来を照らす光であるかのように。

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