「刹那の崖」と「星屑の海」

第07話:ジャラルディン空港にて

 一樹がアルファケンタウリに出航して1年。産休を取ったみおは、一樹との間に生まれた娘と共に日本で幸せに暮らしていた。しかし、には明確な開きがあり、みおは、幸せだけれども何かが満たされない、そんな虚無感を抱えながら生きていた。


 みおは、一樹との間に生まれた娘に桜花おうかと名付けていた。桜花おうかが生まれた時、病院の窓から見える八重桜の見事さに感動し、その花言葉である「理知」に思いを馳せてつけた名前であったのだが、やや独善的なきらいがある事はいなめなかった。


 そして、明日、一樹が乗った宇宙船から1回目の交信データが地球に届く。一樹の直筆という表現は正しくないかもしれないが、コンピューターによる自動通信ではない、一樹の想いが込められた初めての電子データが地球に届くのだ。


 桜花おうかが生まれたことは、6か月前、宇宙船アナクティシに送ったデータが無事届いていれば一樹の知るところになっている。みおはそのニュースを聞いた一樹がどんな反応をするかが楽しみで仕方がなかった。


「私が勝手に名前をつけちゃったこと、怒ってないかな?」


 みおは、自分が妊娠していたこと、黙って子供を産んだこと、すべてを棚にあげ、そんな自分勝手な独り言をいいながら、いたずらな笑顔を浮かべ、桜花おうかと共にジャラルディン空港の到着ロビーに立っていた。


「この暑さは、相変わらずね」


 みおは、インドネシア特有の陽の光に目を細めて空を見上げると、その心は、ふるさとでもないのに郷愁の念を感じざるを得なかった。みおは、そんな温かい気持ちを心に抱いてオートカートに荷物を載せると、柚希ゆずきと待ち合わせをしている空港内のカフェへと急ぐ。


みお、こっちこっち」


 ふいにカフェから聞こえる懐かしい声。間違いない、柚希ゆずきの声だ。TPOをわきまえない大きな声にみおは、あきれた感情と喜びと郷愁に似た感情を同居させながら、桜花おうかと共に声の元に急いだ。


「ちょっと、柚希ゆずき。恥ずかしいから、そんな大声ださないでよ」


 そうあきれるみおに対し柚希ゆずきはどこふく風で、明るくケラケラと笑う。


「なにいってんの、みお。ここはインドネシアなんだから、日本語でなに言っても誰もわかりゃしないって」


 柚希ゆずきはそう言ってみおに軽くウインクしてみせる。


「で、この子が噂の桜花おうかちゃん? かわいいね!」


 柚希ゆずきの問いにみおは黙ってうなずくと、柚希ゆずきはすくっと立ち上がりみおが抱いている赤ん坊をじっとみつめる。


「そうか、この子が一樹さんとみおの子なんだ。どことなく一樹さんの面影があるわね」


「え、わかる?」


 柚希ゆずきのこの言葉にみおは嬉しそうな笑顔を見せると、柚希ゆずきの正面の椅子にゆっくりと腰を下ろす。


「そりゃ、わかるわよ。この目元なんか一樹さんにそっくりじゃない。でも、口元はちょっとみおに似てるかも」


「そうなの。よく言われるの」


 柚希ゆずきの言葉にみおは頬を緩め、満面の笑みで応えてみせる。みお柚希ゆずきは1年ぶりの再会にもかかわらず、そんな空気は微塵みじんも感じさせず、まるで昨日別れて今日再会したかのような、そんな雰囲気の中2人ふたりの会話は続いていった。


 空港の壁全面のガラス窓から太陽の光がさんさんと降り注ぐ。カフェの横を通り過ぎるトランジットを急ぐ人々とその荷物を運ぶオートカートが奏でる不規則な雑踏がみお柚希ゆずきを包む。しかしその雑音も、みお柚希ゆずきの会話を支えるベース音にしかならず、みお柚希ゆずき2人ふたりだけの会話を、3人だけの世界を満喫していた。


「しかし、わざわざインドネシアまで来ることなかったのに、一樹さんのデータなら私が送ってあげたのに」


 柚希ゆずきは手に持っているコーヒーをテーブルに置き、優しいまなざしでみおの顔を眺めてそう話すと、みおは少し照れくさそうな顔を浮かべる。


柚希ゆずきに会いたかったからに来たのよ」


「はいはい、そういう心にもないこと言わなくていいから」


 柚希ゆずきは、1秒でも早く一樹さんからのメッセージを見たいだけでしょ? という言葉を胸にしまうと、みおの言葉をそうあしらってみせた。みおみおで、柚希ゆずきに本心が見抜かれたことを察すると、話をらそうと必死になる。


「じゃあ、柚希ゆずき。私もコーヒー買ってくるから、しばらく桜花おうかを見ていてね。首はもう座っているから大丈夫だと思うけど、気をつけてね」


 みおは気軽にそう言って、まるで壊れ物を取り扱うかのような慎重さで桜花おうか柚希ゆずきに預けると、自らの言行不一致を体現してみせた。


「大丈夫、みお桜花おうかちゃんのことは任せておいて。でも、できればコーヒーはテイクアウトにしてもらいたいかな?」


 柚希ゆずきの言葉に、みおは反射的にうなずいてみせたが、その言葉が意味することを正確に理解ができず、不思議そうな顔で柚希ゆずきに聞き返す。


「あれ? 柚希ゆずき。今日は予定は何もないからゆっくりできるって言ってなかった?」


 みおのその言葉に、柚希ゆずきは右手で軽く頭をかきながら「いや、確かにそうなんだけどね。ただ、駐車場に旦那を待たせっぱなしで」とこたえるとみおの顔色が変わる。


「え、じゃあ、しゅうさん、2時間近くスカイカーの中で待っているってこと?」


 柚希ゆずきは申し訳なさそうな顔を浮かべると、みおの質問に黙ってうなずいた。


「そういうこと早く言ってよ、柚希ゆずき。それならすぐにしゅうさんが待つスカイカーにいかなくちゃだめじゃない。柚希ゆずきって、昔からそういうところあるわよね。大事なことギリギリまで言わないというか……」


 みおは、そう文句を言いながらも足早にカフェのカウンターに向かう。そして、そんなみおの姿をみた柚希ゆずきは大きくため息をつく。


みおは、早く行かなくちゃと自分で言ってるくせに、コーヒーを飲むのを我慢するという選択肢がないのよね。ほんと、昔から、自分がやると決めたことは必ずやる性格なんだから。そういうところ、ちっとも変ってない。お互いに」


 柚希ゆずきは、その腕の中に桜花おうかを抱きながらそう独り言をつぶやくと、すぐさま桜花おうかに話しかけた。


桜花おうかちゃんは、私やママみたいな性格になっちゃダメだぞ」


 そして柚希ゆずきのこの言葉を聞いた桜花おうかは、意味もわからず笑うのであった。

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