第26話 交易都市トランド

「…………」


 腰かけた客席越しに軽い振動が伝わって来る。

 この一日ですっかり慣れてしまった椅子の固さを頭の隅に追いやり、私は意識を深く沈めた。

 身体強化を鍛えるためだ。


 生命のエネルギーである闘気と、魂のエネルギーである魔力。

 どちらかを肉体に適量流せば身体機能を高めることができる。

 この技術が闘気強化及び魔力強化であり、両者をまとめて身体強化と呼ぶ。



 これらはそれぞれ特徴が異なり、闘気強化は筋骨等の強靭化に適している。

 筋力を向上させたり肉体を強固にしたりといった具合に。


 魔力強化が向いているのは神経系の強化だ。

 五感や動体視力、思考速度を伸ばしやすい。


 とはいえこれは向き不向きの話。得意分野でしか効果がないわけではなく、苦手分野でもそれなりの強化は見込める。

 そして闘気強化と魔力強化は重複しない。

 同一部位に両方を掛けた場合は、効果の高い方のみ作用する。


 そのため闘気強化だけを修めた闘技使いや魔力強化だけを修めた魔技使いも多い。

 サレンなどがそうだ。

 両方に手を出し中途半端になるくらいなら、片方に集中して極限まで高めた方が良いという考えである。

 身体強化は天職の『上達促進』の対象外なので、それも一つの正解であろう。


「フゥゥ……」


 息を細く、長く吐く。

 体内を循環する闘気と魔力を練り上げた。〈刄〉で魔象をそうするように、凝縮して密度を高めたのだ。

 この凝縮率が高く、そして循環が滑らかであるほど身体強化の効果は向上する。


 学院に入る前から重点的に鍛えて来たため、私の身体強化は学生の中ではかなり上位だ。

 闘気強化も魔力強化も人一倍の技量であると自負している。

 おかげで天職による身体能力差を緩和できており、早い段階からこの教育方針を考えてくださった故郷のレイシー先生には足を向けられない。


「…………」


 そんな風にして飛竜機ひりゅうき内での時間を過ごしていく。

 そうしてどれほど経っただろうか。

 突然、近くの席の同級生達から喜びに満ちた声が上がった。


「見えて来たぞ……!」


 集中するため瞑っていた目を薄っすら開ける。

 普通は眩しいのかもしれないが、濃密な魔力によって強化された視覚は瞬時に光量を調整し、陽光の下に広がる都市を発見した。

 あの街、交易都市トランドが本日の目的地である。


「ようやく終わるのか……っ」


 にわかに歓声が聞こえ出す。

 初めは飛竜機から見える景色に感嘆していた同級生達も、今ではすっかり暇を持て余していた。

 何せこれは二便目なのだ。半日も同じような光景を見続けていれば飽きが来るのも無理はない。


『当機はこれより着陸態勢に入ります。お手荷物をしっかりとお抱えになり、激しい揺れにご注意ください』


 そんなアナウンスから数分後。

 飛竜機は交易都市トランド内の発着場に向けてゆっくりと下降を始めた。

 やがて着陸が完了し、私達は飛竜機を降りる。


「んぁーっ、やぁっと解放されたぜー!」


 ぐぐぐっと背伸びをしたベックが呟いた。


「にしてもこんな金属の塊が空を飛ぶなんて信じらんねぇな」

「浮遊鉱を含む合金だからな。見た目通りの重量ではない」

「はー、やたらと魔力が流れてるなとは思ってたが、そういうカラクリか」


 班ごとに整列しつつ、疑問を口にした彼にそう説明する。

 浮遊特性と乗客の重さを釣り合わせることで、地上約百メートルでの飛行の負担を軽減しているのだ。

 ちなみに、動力には魔具が使われている。


 飛竜機と言う名前だが、実際に飛竜ワイバーンを使っているわけではない。

 開業者である『テイムロード』ならいざ知らず、一般的テイマーに竜種の使役など不可能だ。

 飛竜ワイバーン便で作った資金を元手に航空輸送用の魔具が開発され、それが現代の飛竜機となったそうである。


「はーい、皆さん、班ごとに整列して付いて来てくださいね」


 班員が揃った報告をした後、雑談をしているとティーザ先生の指示が聞こえて来た。

 この飛竜機も数十分後にはまた空の旅に出るため、いつまでも発着場に居る訳には行かない。

 ティーザ先生に従って、私達は発着場を後にした。


 それから騎士学院一行はトランドの街を歩いて行く。

 さすがは交易都市だけあってその賑わいは学院都市コウリアのそれを上回っていた。

 河のように広い大通りを馬車がひっきりなしに行き交い、商いをする声が無数に重なり喧騒となって聞こえて来る。


「うへぇ、吐き気がするほど人が多いな」

「トランドは……バルセル領、及び……近隣諸領間の交易のかなめ、です……。複数、の大商会が拠点として、いて……経済面で、も人口面でも、領都セロナを、凌ぎます……」

「ほう、そうなのか。ミーシャは博識だな」

「何でお前が知らねぇんだよ……。お前の領地だろ?」

「オレのではない、オレの父さんの領地だ」


 そう、交易都市トランドはゼルバー父の治めるバルセル領にある。

 領都最寄りの発着場があり宿屋も充実しているため、遠征訓練一日目はここで宿を取ることとなっていた。

 最終目的地である領都セロナにも明日着く予定だ。


「そうだな、ゼルバーのじゃなくゼルバーの父ちゃんのだよな。悪かった、訂正する、何で領主の息子なのに領地のことを知らないんだよっ!?」

「うるさいな。僕は騎士学院で頂点に立てと言われてるんだ。そんなどうでもいいこと一度も教えられたことは無い」

「貴族家の長男だろ!?」


 そんな会話を聞きながら歩くことしばし、宿屋に辿り着いた。

 交易都市だけあって見たこともないほど巨大な宿だ。

 一足先にトランドを訪れていた武術師範が既に予約を取っているため、手続きは最小限ですぐに部屋に案内された。


「うおぉーっ、広ぇっ!」

「一般の客もいる、大声は控えてたまえ」

「おっと悪ぃ」


 私を含む男子十名が連れてこられたのは、学院の教室ほどはあろうかという大部屋だ。

 部屋の隅に荷物置きのスペースがあるが、それを除いてもなお十人が余裕で横になれるくらいに広い。


「チぃッ、どうしてこの僕がこいつらと雑魚寝なんて……」

「まあまあネイス様、そう仰らず。たしかに一人の方が落ち着けますけど、たまには皆で寝るのも楽しいですよ」

「それよりお前らはこれからどうすんだ?」


 ベックが窓の外を見ながら問う。

 夕方には食堂に行かなくてはならないが、日はまだ高い。

 少なく見積もってもあと二、三時間は自由に過ごせるだろう。


「ちなみに俺は観光だ。特に場所は決めてねーからテキトーにその辺ぶらつこうと思ってる。一緒に来たい奴は言ってくれ」

「良いでござるな。拙者も同行しましょう」

「ボクは夕方まで一眠りするよ~。飛竜機の中はどうにも居心地が悪くて寝られなかったからね~」

「遊戯盤を持参したのですが、誰か一局指しませんか?」


 そんなこんなでそれぞれ行動を開始した。ちなみに私は冒険者ギルドで場を借りて鍛練だ。

 私まず宿屋の店員にギルドまでの道を教えてもらい、それから宿屋を出た。

 かなり複雑な構造の街だがベック達は迷わないだろうかと心配しつつ進んで行き、道程の半分ほどを過ぎた時だった。


『ねえ、あなた何者? 若いのにすっごく強いわね』


 耳を経由せず、脳に直接響くような声が聞こえて来た。


『アタシが居るのはこっちよこっち、あなたの左の脇道よ』


 言われてそちらに振り向く。

 建物と建物の隙間に通った暗い路地に、青い光の球が浮いていた。

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