公爵邸での療養 3

 なんとかギーに道を引き返させ、みんなのところまで帰還した。

 どんどん走っていく俺を必死に追いかける羽目になった護衛の男性はほっと息を吐いて、


「リディアーヌ様がご無事で何よりです」

「心配をかけてごめんなさい。でも、乗馬ってとても楽しいのね」


 独特の疾走感が良い。足を使ってこぐ自転車とも、いかにも機械な自動車とも、がたごと不規則に揺れる馬車とも違う。生き物特有の息遣いと風を切って走る感覚がなんとも心地よかった。

 可能ならギーを好きなだけ走らせてみたかったが、


「今度こそゆっくりと練習いたしましょう、リディアーヌ様」

「はい」

「ギーも、真面目にやらないと餌抜きよ」


 主人であるノエルの言葉がわかったのかどうなのか、真面目になったギーをまた歩かせたり、ゆっくりと走らせたり。

 アランは当然問題なくこなし、シャルロットもまた恐る恐るといった様子ながら着実に上達していった。


「馬って本当に大人しいんですね」

「人に飼われている馬は基本的に従順です。主人が信頼してやれば馬も応えてくれます。ご婦人方が騎乗する機会はあまりないでしょうが、趣味として乗馬を嗜む方はいらっしゃいますよ」

「少し、趣味になさる方々の気持ちもわかる気がします」

「急ぎで馬を駆らないといけないことがあるかもしれないし、覚えておくに越したことはないわよね」

「リディ。そんな急ぎの用はまず作らない事を心がけてくれないか」


 慣れないうちは馬も人も疲れるということで、ひとしきり楽しんだところで乗馬体験は終了となった。ギーたちにお礼を言って厩舎へ戻ってもらう。たっぷりと餌をもらってのんびり疲れを癒やして欲しい。


「少し時間が余ったわね。お兄さま。せっかくだから剣の稽古をしない?」

「構わないけど、木剣はあるのかい?」

「こちらにご用意いたしました」


 念のためアンナに言って持ってきてもらっておいた。苦笑したアランは「わかった、いいよ」と言って一本を手に取る。

 公爵邸の建つ丘の上は広いので場所には事欠かない。王都と違い多少騒いでも苦情が来たりはしないので、家から連れてきた兵たちも訓練が捗っている様子。

 剣の訓練なんてほとんど見たことがないというシャルロットを連れて適当な場所へと移動し、剣を手にアランと向かい合う。


「攻撃は寸止め。先に二本取った方の勝ちでいいかい?」

「構わないわ。お兄さま、思いっきり来てね」

「本気を出すかどうかはリディの腕前次第かな」


 自分も剣を振りたい、という顔のノエルによる「はじめ!」の合図で同時に動き出した。

 かん、と、木剣同士がぶつかり合う軽快な音。


「意外と早いな」

「ふふっ。わたしの身体強化も馬鹿にしたものじゃないでしょう?」


 高められた身体能力が歳の差と性差を埋めてくれる。身長と体重が軽い分、小回りならむしろこちらに分がある。俺は兄の攻撃に注意しながら積極的に攻撃を繰り出していった。

 アランは性格通り慎重なスタイル。

 こちらの攻撃をよく見てかわし、かわしきれないものは木剣で弾く。そして合間にするっと攻撃を差し込んでくる。この攻撃には意外なほど力が籠もっており、しっかり防がないと木剣を弾き飛ばされてしまいそうになった。

 強さで言えばノエルの方が上のはずだが、どうにも戦いづらい。


「やっ!」


 小刻みなステップで翻弄し、強引に一本を先取したものの、


「隙あり」

「っ」


 いともあっさりと一本を取り返されて一対一に持ち込まれてしまう。

 敢えて「見」にまわっていたのだろうと気付いた俺は一か八か、身体強化を強めての超速攻を狙うことにした。試合開始と同時に真っすぐに突っ込み、剣を振り上げて──アランと目が合った。


「勝負あり! 勝者、アラン様!」


 向こうも身体強化を用いたのだろう。急に動きが良くなった兄に後の先を取られた。急制動をかけた俺は至近で立ち止まりながら「参ったわ」とだいぶ男らしくなった兄の顔を見上げる。


「もっと戦いの組み立て方を勉強しないと駄目ね」

「そうだね。でも、いい試合だった。先生の腕が良いせいかな」


 定期的に剣を握っているせいかだんだん硬さが増してきた手が俺の髪を優しく撫でる。

 兄はそれからノエルの方を見た。少女剣士もまた無言の挑戦に視線で応じ、こちらへと歩いてくる。


「クラヴィル嬢。手合わせをお願いできるかな?」

「お望みとあらば、喜んで」


 さすがは騎士団の制式剣術を学んでいる騎士見習い。ノエルはアランに一本を取らせないまま二本先取し、容赦なく勝ちをもぎ取った。

 若干ドヤ顔でこちらを振り返ってきたので「さすがね」と微笑みを返すと、若干だったドヤ顔がもっとはっきりしたものになった。


「……うん、自衛のためだとしてもまだまだ訓練が必要そうだ」

「ご謙遜を。お忙しい中、真摯に鍛えていらっしゃるのが窺えます。今後はさらに上達なさることでしょう」


 それから俺とノエルにアランを加えての剣の稽古が公爵邸から帰るまで、数日おきに行われるようになった。






「リディアーヌ様。ご一緒に街へ買い物に行きませんか?」


 ある日の夕食にて。クロエがそんな提案をしてきた。

 街、というのはもちろん丘の下の街のことである。物流拠点になっていることもあって商店も多く、辺境伯領を通して入ってきた隣国の商品も多く並んでいるという。


「それはいいですね」


 友人たちやリオネルへのお土産もまだ買えていない。できることなら自分の目で掘り出し物を探したいところである。

 構わないかアンナたちへ尋ねると、たまには外出も必要だろうと了承してくれた。もちろん、危険なので護衛を付けたうえでだ。


「でしたらクロエ様、私達もご一緒に──」

「アラン様とシャルロット様も是非ご一緒に。皆様をご案内いたしますわ」


 他の令嬢達が混ざろうと口を開いたところで先んじてのお誘い。

 恋敵を遠ざけるのはやめたのだろうか。シャルロットも驚いた顔をしつつ「お姉様とご一緒でしたら」と了承してくれる。

 ある程度人の多い方が護衛はつけやすい。その上で「あまり大人数になりすぎるのも……」と他を断る口実にもなる。さっき言いかけた者たちがどうしたものかと思案しているうちに、思わぬ人物が動いた。


「なら、俺も参加させてくれないか? アランも男一人では心細いだろう?」

「クロード。ああ、僕はもちろん大歓迎だ」


 海老で鯛を釣ったクロエ。もしかして意外と策士なのだろうか……と、思っていたら。


「感謝いたしますわ、リディアーヌ様。まさかこのような機会が巡ってこようとは」


 外出当日、昼食を摂ってしばらく時間が経った頃、ロビーに集合したところでそんな風に囁かれた。さすがに狙ってはいなかったらしい。

 にっこり微笑んだ上で「ご武運を」と答えておく。やっぱりこの令嬢はなんとなく憎めない。シャルロットを冷遇した件は忘れていないが、それはそれとして幸せになって欲しい気もする。


「それにしても、皆様意外と地味な格好ですのね」

「ええ。人の多い場所ですし、少しでも動きやすい方がいいでしょう?」


 男性陣はもともと有事に動ける服が基本なのであまり変わらないが、俺とシャルロットはできるだけフリルやレースが控えめのドレスを選んでいる。どこかに引っ掛けて破いてしまわないように、不意の事故で汚れても大きな被害がないようにだ。

 するとクロエは華やかなドレスで胸を張って、


「ご安心ください。公爵邸お膝元の住人はきちんと心得ている者ばかりですから」


 これには護衛の面々も頷いてくれる。


「皆様が街へ顔を出されるのを皆心待ちにしております。無礼を働く者などいないでしょう」


 我が家から来た護衛は半信半疑といった顔だが、領民の忠誠心はこれまでにもよく見てきた。頷いて「よろしくお願いね」と答える。

 いざという時にはノエルもいる。彼女にはいつぞやと同様『予備の剣』を持ってもらった。


「……さすがにこの集団に挑んでくる者もいないとは思いますが」


 俺、アラン、シャルロット、クロード、クロエで五人。

 各自の専属でさらに五人。そこにノエルや護衛の兵が加わるともう二十人近い。これでもかと目立つし、生半可な襲撃などどうにでもなる。

 ちなみに俺が連れてきたメイドはアンナである。


「王都でお買い物する際もこうなるのでしょうか……?」

「さすがにもっと身軽なんじゃないかしら?」


 王都では「買い物のために外出」なんてしたことのない俺たちは顔を見合わせて首を傾げる。


「あら? 王都住まいの方々は華やかな暮らしをしていらっしゃるのでは……?」

「否定しないけれど、季節に一度の採寸でだいたい済んでしまうもの」

「小物であれば見せに来ていただくこともありますし……」

「リディもシャルロットも買い物に関しては効率重視だからね」


 ちなみに、シャルロットは母に連れられた社交帰りなどに店に立ち寄ったこともあるらしい。ずるい、とは言わない。王子の婚約者が加わると注目度もぐっと上がってしまいそうだし、下手に加わればそれこそ「女の買い物は長い」を実感する羽目になりかねない。


「それでは参りましょうか」

「はい。クロエさま、クロード、引率をよろしくお願いします」


 今日は馬車を使わず、ある程度ならされた道を辿って丘を降りていく。


「大まかに言いますと、高級なお店は屋敷に近い位置に集中しております」

「王都における王城と貴族街の関係か」

「ああ、それがわかりやすいね」


 前もって軽く話を通してあるということで、丘から貴族の一団が現れても領民が大慌てすることはなかった。

 代わりに「領主様のお子様方を一目見よう」と人だかりができている。きちんと道の真ん中は開けてくれているので邪魔にはならないが、さすがに少々恥ずかしい。

 クロエとクロードは割と慣れているのか、自分を呼ぶ声に反応して笑いかけたりしている。


「……これは嫌でも『自分が貴族だ』って実感するわね」


 案外、情操教育にも繋がるのではないか。


「あれがアラン様か」

「どっちがリディアーヌ様だ?」

「あの綺麗なほうだろう」

「あっちの金髪の方か?」

「馬鹿。そっちは可愛らしいほうだ」


 さすが、平民は賑やかである。都度会話を交わす必要もないので笑顔を向けて声援に答えておく。たったそれだけでさらに歓声が上がるのだから嬉しいと同時に恐ろしくもある。


「……これだけ注目されていては警戒しきれませんね」

「肩に力を入れすぎて倒れないでね、ノエル」


 さて、待ちに待った買い物だが、まずは、


「まずは、やはり服ですわね」


 力強くクロエが宣言。クロードに「いいのかしら?」と尋ねると、彼は薄く笑って首肯した。


「自分から同行するって言ったんだ。付き合う覚悟はできているよ」

「紳士として婦女子の服の見立てもできなければならないしね」


 アランも覚悟はできている様子。ならばせっかくなのでショッピングという奴を楽しませてもらうことにしよう。実際の商店にどんな品が並んでいたか、地方の貴族がどんな服を好んでいるかといった情報はナタリーへの土産話にもなるだろう。

 メモを取ってもらう用にエマにも来てもらうべきだったか。まあ、後で思い出して整理すれば問題はない。


「楽しそうね。シャルロット、お母さまからも結構お小遣いをもらっているのだからここは遠慮なく買い物しましょう?」

「は、はい、お姉様」


 護衛の兵は荷物持ちも兼ねている。量が多くなるようなら屋敷と街を往復してもらうとか、荷運び用の馬車を回してもらうという手もあるので本気であまり遠慮はいらない。


「ただし、目利きの良し悪しは帰ってからお養母さまに判定されるだろうから、目先の欲に釣られすぎないようにね」

「お、お姉様、厳しいです」

「そんなことないわ。事実だもの」


 まあ、シャルロットにはやんわりとした注意と優しい解説、俺に対してはそれぞれの相場価格と支払額との差を示した上で見分けのポイントこんこんとレクチャー、とかになりそうな気がするが。


「セレスティーヌ様はやり手と聞き及んでおりますが、リディアーヌ様とも仲がよろしいのですね」


 案内するように前を歩くクロエが感嘆する。

 しまった。実の母と身分を隔てられた彼女は母の愛に飢えているはず。下手な話題選びだったが、謝っても余計に傷つけてしまいかねない。

 俺は声色が沈まないように心がけながら答えた。


「何事も勉強だと思い己を鼓舞する日々なのです。クロエさま、良い品の見分け方などご存じであればぜひお教えください」

「お任せくださいませ、リディアーヌ様。公爵領の品の豊富さをたっぷりとご覧に入れましょう」


 一件目となる高級服飾店はもうすぐそこに迫っていた。

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