モレ伯爵家での問答 2
弱さを盾にして他人を動かそうとする奴、というのも性質が悪い。
高校時代、中学の時の友人から彼女を紹介されたことがある。その子は小柄で家が貧乏らしく、お小遣いのためにアルバイトをしているのだという。
頑張っているんだなと感心しつつ、有名ファーストフード店のポテトを齧っていると「わたしも食べたーい」と数本まとめて強奪された。さらに彼女は自分の分の支払いを友人(彼女にとっては彼氏)にせびり、さらにはあれが欲しいこれが欲しいと服やコスメの話をし始める。
話によるとバイト先でもこの調子らしく「男の先輩に重い物を持ってもらった」「荷物運びを女の子にやらせるなんて信じられない」と語る。仕事への態度について苦言を呈し、友人にも付き合い方を改めたらどうかと話したものの、二人とも聞き入れてはくれなかった。
「ひどーい。わたし、貧乏だから頑張ってるのに。バイト辞めろっていうの?」
「お前がそんな奴だとは思わなかったよ。この子を泣かしたら許さないからな」
数か月後、友人から「バイト代全部と貯金まではたいて貢いだのにあっさり捨てられた」と連絡が入った。彼は別れ際、ひどい振られ方をされて手が出そうになったものの、新しい彼氏から逆にしこたま殴られたそうだ。予想通りすぎて俺は「だから言ったのに」と言うこともできなかった。
家庭環境の違いや得意不得意等、どうしようもなく人と違う部分はどうしたってある。だが、だからといって「自分は弱いから」と強者を脅したり利用したりすればそれはもう、力を振りかざす不心得者と変わりがない。
「わかりました。では、わたしに可能な範囲で融通いたしましょう」
「おお!」
「さすがはリディアーヌ様!」
途端に歓声を上げる夫妻にこくり、と頷いて、
「後日まとまった額をお持ちいたしますので、その際に借用書の記入をお願いします。合わせて立会人となる方をお呼びしたいと思いますが、父──公爵の知人を頼る形でよろしいでしょうか?」
「な……!? 待っていただきたい、借用書とは……?」
「あら。お金をお貸しするのですから当然でしょう? ご安心ください。十日で一割、などと暴利をふっかけるつもりはありません。一年につき一割の半分、といったところでいかがですか?」
沈黙。
一分近い間を置いて口を開いた伯爵は震える声で、
「困窮する我々から利子を取ろうと仰るのか……?」
「申し訳ありません、伯爵さま。わたしはこの通りまだ子供なものですから、こうした場合、どのようにするのが良いか詳しく存じ上げないのです」
子供から金をせびろうとしている時点でおかしいと思わないのか。
暗に彼らの魂胆を責めつつ、表面上は穏やかに笑みを浮かべて、
「……これ以上、わたしだけでお話を進めると失礼を重ねるだけのようですね。この件は一度、両親に相談させてください」
「や、止めてくれ! いや、止めてください!」
父、あるいはセレスティーヌに知られるのはまずいと思ったらしい。セレスティーヌなんかは「利用価値なし」と判断したら即座に切り捨てにかかりそうだし無理もない。
「申し訳ありません、リディアーヌ様。どうかこのお話はなかったことにしていただけますよう」
結局、伯爵家からの金の無心は相手側からの希望で取り下げられた。
「本当に申し訳ありませんでした、リディアーヌ様。お父様とお母様が失礼なことを……」
「サラが気にすることないわ。わたしは何も損をしていないわけだし」
金の話が終わった後、大人たちは取り繕うような世間話に終始した。うんざりした俺は適当なところで話を切り上げると「貸している本がある」と言い訳をしてサラと部屋を抜け出した。
使用人はついて来ているので、忠誠の在り方によっては夫妻にも報告が行くだろうが……別に内緒話と言うほどのことでもないので気にしない。
「でも、サラとしてはどうなのかしら? やっぱり貧乏は辛い?」
「……そう、ですね。辛くないわけではありません。私は跡継ぎではありませんから、どうしても目をかけられるのは二の次にされてしまいますし」
サラには二歳年下の弟がいる。また、夫人は去年もう一人女の子を出産したらしい。となると親の優先順位は跡継ぎとなる男子が一番、手のかかる赤ん坊が二番目となる。
大人しくて優しい子であるサラはろくに我が儘も言わず、この状況に耐えてきたのだろう。悲しそうな顔をしつつも、逆に「それが当たり前だから」とでも言うように吹っ切れた雰囲気がある。
貧乏という意味では共感するところのあるアンナが呼吸や足音からかすかに心の動きを見せる。
そんな時、
「姉上!」
「コーム」
どこかサラに似た顔立ちの男の子が廊下の向こうから駆けてくる。それを追いかけるのはメイドというか「婆や」と呼ぶ方がしっくり来るような使用人の女性だ。男の子の世話係は「間違い」が起こらないように歳のいった女性か、あるいは男性が務めることが多い。
弟に呼びかけられたサラは自然な笑顔を浮かべて少年を迎え入れた。軽く抱擁して至近距離から見つめ合う二人はまさに微笑ましい姉弟である。本当に、シャルロットもそうだが親がアレなのによく素直ないい子で育ってくれるものだと思う。
あるいは、ここから親の影響を強く受け始めるのか。
「可愛い子ね。話に聞いていたサラの弟かしら?」
くすりと笑って尋ねれば、少年──コームのつぶらな瞳が俺に向けられる。
「姉上。この人、もしかして『リディアーヌ様』?」
「ええ、そうよ。コーム、ご挨拶して」
どこか恥ずかしそうにしながら言うサラ。コームは素直に頷き、「コーム・モレと申します。お目に書かれて光栄です、リディアーヌ様」とたどたどしい口調で挨拶してくれる。
二歳差ということは出会った頃のリオネルと大して変わらないことになるはずだが、とても良い子である。
「初めまして、リディアーヌ・シルヴェストルよ。あなたのお姉様とはお友達なの」
「知ってます。姉上がよく話をしてくれるので」
「あら。サラはどんな話をしているのかしら?」
「コーム! リディアーヌ様!」
サラが抵抗するので詳しい話は聞けなかった。婆やに連れられてコームが去っていく(散歩の帰りか何かだったらしい)のを見送ってひと息。
「あの子にも不自由して欲しくはないわね」
「……はい。コームのためにも、行儀見習いとして雇っていただくのはいいお話だと思うんですが……」
「サラ様。差し出口ではありますが、使用人として働く場合、学園入学が大きく遠のく事もご承知おき下さい。働きながら入学金・諸経費を用意するのは並大抵の苦労ではないでしょう」
エマが淡々と、珍しく饒舌に忠告を口にする。実際、金がないから働くのに学園に通わせてもらえるかというとかなり怪しい。まして現状だと両親から反対されている状況。バイトして学費の一部を稼ぐ、みたいなノリでいたら足をすくわれそうだ。
これにサラは「そうですね……」としゅんとしてしまう。
難しい問題。しかし、俺には安易に「お金をあげる」などと言うことはできなかった。
「他家の資産問題へ口を出すのは得策とは言えません。正規の手続きを踏み、書類を用意して一定額を『貸し出す』という判断は間違っていないでしょう」
伯爵夫妻から「なかったことに」と言われたものの、本当に黙っているかと言えばそんなわけもなく。俺は夕食の席にて両親への『相談』という体を取ってモレ家での出来事について報告した。
話を聞いたセレスティーヌが口にしたのは案の定、ごくごく実務的な見解。
父もこれには同意。
「リディが自分の裁量で金を出すのであれば強く止めるのもおかしいが……最初から『たかる』つもりの輩に施しを与えるくらいなら、装飾品の一つも買ってくれた方が嬉しいな」
「私は、お友達を助けたいというお姉様のお気持ちも良くわかりますけれど……」
義妹のシャルロットも九歳になった。真面目で一生懸命な性格も手伝ってか日々成長し、話しぶりもだいぶしっかりして来ている。
もともとセレスティーヌに連れられて他家に紹介されたりしていたシャルロットは着実に友人を増やし、派閥とはいかないまでも仲良しグループのようなものを形成している。俺もたまにお茶会へ交ぜてもらうが、華やかで女子らしい令嬢が多いことを除けばいい子たちだ。
「貴族家の中にはそんな不心得者もいるのですね。……表面的な知識だけでは内情までは把握しきれないということですか」
兄のアランは十二歳になってぐっと男らしさが増してきた。と言っても無骨な感じではなく、頼りなさが抜けて存在感が強くなったという感じだ。声も低くなってきており、これまでの声も十分に美声だったので少し残念な気持ちもある。
着々と次期宰相への道を歩んでいる彼は教訓を噛みしめるように呟き、それに父が頷く。
「同じような家族構成でも仲が良い家、悪い家がある。資産状況にしても赤字続きで打つ手もなく危機にあるのと、新事業の準備で我慢してきたのとは全く違うだろう。情報は多いに越した事はないし、書面だけでなく生きた人間の話も重要になる」
「噂話や社交界での評判、出入りする商人の様子なども参考になります。物事を多角的に判断する癖をつけるべきですね。……もっとも、情報を集めるには女の協力も必要になりますが」
養母がちらりと俺を見てから僅かに間を置き、シャルロットへと視線を移して、
「シャルロットもさりげない会話から必要な情報を聞き出す術を磨きましょう」
「はい、お母様」
「待ってくださいませ、お養母さま。なんなのですか、その、わたしには期待していないと言わんばかりの態度は」
「リディアーヌは回りくどい会話を面倒くさがって投げてしまいますし、好みではない相手とは簡単に距離を離してしまうでしょう?」
情報収集には向いていないと暗に言われ、ぐうの音も出なかった。
「ですが、全員に向き合っていては時間も労力も足りません」
「取捨選択が極端すぎると言っているのです。そもそも、敵を作りやすい貴女の性格が静かな情報収集に向いていないのでしょうけれど」
「リディアーヌのやり方はむしろ男の社交に近いからね。男性貴族からもチェスや討論の誘いが来るだろう?」
「ええ、度々いただいておりますが……お兄さままでそんなことを仰るのですね」
ついつい遠い目になってしまう。
男の社交の方がわかりやすくて好都合だし、カウンター悪役令嬢を目指す身として派手な行動はどうしても付きまとってくる。仕方のないことではあるのだが。
「元気を出してください、お姉様。お姉様の苦手な事は私が頑張りますから」
「ありがとう、シャルロット。でも、無理はしないでね?」
微笑みかけると、義妹は笑顔で頷いて、
「ですが、むしろ私は嬉しいのです。お姉様とは違う方法で私も家の役に立てるのですから」
「そう。やっぱりシャルロットはすごいと思うわ」
負けてはいられない、と、あらためて思う俺だった。
それから俺は自分なりに少しでもサラを助ける方法を考え、実行に移した。
「ねえ、アンナ? わたしの昔のドレスってどうしているのかしら?」
「少なくとも一年前の物までは全て保管しております。手直しすれば着られる物もありますし、場合によってはシャルロット様へお譲りすることも可能ですから」
「なら、要らなくなって処分するドレスもあるのでしょう? それをサラに譲ることはできないかしら」
返ってきた答えは「できなくはない」だった。我が家における着られる・着られないの基準はサイズだけでなく流行だったり、古いドレスばかり着ているとケチだと思われるといった外聞の問題もある。
体型的には着られるけど処分するドレスもあるため場合によっては喜ばれるかも……ということで、実際にサラを使用人付きで呼んで見て貰ったところ、思った以上に喜ばれた。
「こんな素敵なドレス、いただいていいんですか!?」
「ええ。捨ててしまうよりはその方がドレスも喜ぶでしょう?」
サラは何度も「ありがとうございます」と口にしながら何着かのドレスを選び、家に持ち帰っていった。それらのドレスは後に目にする機会もあったが、中には大胆なリメイクが施されたものもあった。「あれはたぶん公爵家では不可能ですね……」とはアンナの談である。
貧乏で知られているモレ家の場合、多少流行遅れのデザインでも問題はない。お下がりに関しては下手すると親世代・祖母世代のドレスを受け継ぐ場合もなくはないのでそちらもOK。むしろ俺とサラの仲の良さをアピールする効果もあったようで、羨ましがった他の令嬢から「私にも」と強請られることにもなった。
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