紅髪の公爵令嬢:リオネル誕生パーティ(前編)
「今度、城でパーティーが開かれる。私と一緒に出席しなさい」
九歳になったある日、少女は父から突然そう告げられた。
伯爵家の長女として生まれ、使用人に世話される生活を送ってきた。自分が恵まれているのだと漠然と感じる一方で、屋敷の庭から見える大きなお城に強い憧れを抱いていた。
お城には王様や王子様が住んでいて、自分たちよりもずっと華やかな暮らしをしている。
大きくなったら夜会や舞踏会に招待され、綺麗なドレスを着てお城に行く機会もある。そうしたら王子様にも会えるかもしれない、そんな風に聞いて育ってきた。
だから、お城に行けるのはもっと先のことだと思っていたのだが。
「リオネル殿下がリディアーヌ・シルヴェストル公爵令嬢とご婚約なさったらしい」
「まあ。ではお披露目があるのですか?」
「ああ。一か月後にある殿下の誕生パーティーに二人揃って出席なさるそうだ。広く周知を行うつもりなのだろう。同世代の子供がいる家全てに招待状が送られているそうだ」
リオネル殿下は三番目の王子様だ。少女は一足先に九歳になったが、学園に入学したら同学年になる。
子供が主役だからか、パーティーは「保護者一人、子供一人」と参加者が指定されているらしい。少女には上の兄姉がいない。跡継ぎになる予定の弟はまだ幼いため、参加するには少女を連れていかなければならない。
「公爵家が要望したようだな。まあ、面白い趣向ではある」
「リディアーヌ様が公式の場に出るのは初めてですもの。広く周知したいのでしょう」
少女にとって遠い存在だった王子様。その婚約者になったリディアーヌという子のお陰で少女はパーティーに出られるらしい。
どんな子なのだろうか。
紅の髪と瞳を持った美しい容姿だという彼女と早く会ってみたくなった。
「もし、リディアーヌ様とお近づきになる機会があれば逃さないように」
リディアーヌと友達になれ、ということらしい。
友達。それはとても素敵なことだと思った。空想するしかなかった世界がぱっと目の前に広がったようで、わくわくが止まらなくなった。
パーティーまでの一か月はあっという間。大急ぎでドレスを調達し、王族の前に出ても大丈夫なようにと礼儀作法の授業が厳しくなった。辛いと思う気持ちもあったが、期待と興奮の方がずっと大きかった。
そして当日。
少女は手持ちのドレスの中で一番高いという綺麗で可愛いドレスを着て、父と一緒に馬車へ乗り込んだ。今までは眺めるだけだったお城がどんどん近づいてきて、馬車を降りると想像以上の光景があった。
広く豪華なホール。
凛々しく紳士的な男性たちと、美しい女性たち。
父と共に挨拶をして回ると、何人もの女の子から「仲良くしてください」と言われた。笑顔で頷いて友達になった。
そして、
「皆、今日はよく集まってくれた」
一目見ただけで偉い人だとわかる男性がホール全体を見渡せる高い場所に立って挨拶を始めた。父に寄れば彼が王様──国王陛下だと言う。
「今日のパーティーは我が第三王子リオネルの九歳の誕生日を祝うためものだ。そしてもう一つ、リオネルの婚約者を紹介するための場でもある」
陛下に促されて進み出たのは金色の髪をした美しい少年と、そして一人の少女。
リディアーヌ・シルヴェストル公爵令嬢。
一瞬で心を奪われた。胸元に薔薇の刺繍が施された真っ赤なドレスを纏う、神秘的かつ儚げな少女。深い紅色の髪に宝石のような瞳を持ち、ノースリーブのドレスから白く滑らかな肌を覗かせている。ぴんと姿勢を正した状態も、そこからカーテシーに移る動作も今年九歳になる少女とは思えない。
「こんなにも大勢に誕生日を祝ってもらえて嬉しく思う。どうか、私の婚約者も同じように歓迎して欲しい」
「リディアーヌ・シルヴェストルと申します。光栄にもリオネル殿下と婚約させていただくこととなり、心より嬉しく思っております。わたしを選んでくださった恩に報いるためにも精一杯、励んでいく所存です」
凄い。
リオネルとリディアーヌはまさにお似合いの二人だった。昔は分不相応にも「王子様と結婚する!」などと思っていたこともあったが、自分にはとてもあの場に立つ度胸はない。
リディアーヌこそが婚約者に相応しいのだと心から思った。
陛下やリオネルたちの挨拶が終わったところで子供だけが小ホールに移された後、少女は無邪気に『お友達』へ自分の感想を話した。
──世界はこんなにも素晴らしかったのだと。
そして、すぐにそれが思い違いだと思い知らされる。
主賓であるリディアーヌはリオネルと共に大人たちにも個別に挨拶をしなくてはならない。そのため、あの少女が不在の中での出来事だった。
◆ ◆ ◆
「あら。貴女、どなただったかしら?」
「え……っ?」
さっき挨拶したばかりの令嬢から、思いがけない言葉。
彼女は確かリディアーヌと同じく公爵令嬢だったはず。上位の人間には特に失礼のないように、と父から念を押されていた少女は慌ててもう一度名乗った。
すると、公爵令嬢の取り巻きが一斉にくすくすと笑いだす。
「わからないの? 貴女、身の程を弁えろと言われているのよ」
「ど、どういうことですか?」
ため息。明らかな失望を浮かべた取り巻きは「あのね」と前置きしてから少女を睨みつけて、
「殿下との婚約を狙っていたのはリディアーヌ様だけじゃない。失恋された方の前で恋敵を称賛していたのよ、貴女は」
「あ……っ!? も、申し訳ありません、そんなつもりでは……!」
「どんなつもりだったかは関係ないの。気分を害した方がいて、その原因が貴女。それだけで十分でしょう?」
浮かれていた気分が一気に吹き飛んだ。
冷水をかけられたような気分で必死に謝る。他の取り巻きも冷たい表情で「ひどい子」「信じられない」と口々に言ってくる。自分はとんでもない失敗をしてしまったのだと、涙がひとりでに湧き上がってきた。
渦中にある公爵令嬢を窺うと──驚く。
中心人物の令嬢だけは笑顔だったのだ。彼女がさっと手を持ち上げると取り巻きが一斉に黙る。そして、
「間違いは誰にでもあるわ。だから、水に流してあげる。わたくしともう一度、お友達になってくれるかしら?」
「は、はいっ! お願いしますっ! 私と友達になってください……!」
縋るような想いで口にすると、にっこりと笑顔が返ってくる。
救われた気分。公爵令嬢の顔がそっと近づけられて、他の人間には聞こえないように囁かれる。
「なら、今からお前はわたくしの派閥の一員よ。いいわね?」
「は、派閥?」
「わたくしの事を一番に考えてくれる『お友達』の事よ。そう、この子達のように」
「っ」
震える。取り巻きの少女達は同じ表情でじっとこちらを見つめている。一見、物腰は穏やかだが、腹の中には魔物が住んでいる。
「わ、私は、何をすればいいんですか?」
公爵令嬢はさっと髪をかき上げると「そうね」と目を伏せて、
「リディアーヌ・シルヴェストルがこのパーティー中に思わぬ事故へ見舞われたら可哀そうだと思わない? ……そう、例えば飲み物を被ってせっかくのドレスが台無しになってしまうとか」
「そ、そんなことできるわけがありません……!」
「あら? 何を言っているのかしら? わたくしは『そうなったら可哀そうだ』と言っただけよ? ……まあ、失恋のショックもあるし、もし本当にそうなったらむしろすっきりするかもしれないけれど。もちろん、本当にやっては駄目よ。可哀そうだものね?」
ああ。
これが本当の貴族社会なのだと、少女は初めて思い知った。地位の低い人間は自分より格上の人間の『派閥』に入って庇護を願い、その代わりに服従を誓う。
服従とは、主のためならなんでもする、ということだ。
「貴女とは、いいお友達になりたいわ」
令嬢たちが去っていく。
しかし、楽になった気はまるでしなかった。鎖を巻き付けられたかのように四肢が重い。緩慢な動作で辺りを見渡せば、誰も少女のことなど気にしていない。否。目が合っても「何事もなかったように」目を逸らされ、見過ごされる。
この場から逃げ出したい衝動にかられ、目的も定めないまま歩き出す。数歩進んだところで、すれ違った令嬢に足を踏まれた。床に倒れた少女は「あら、はしたない」というくすくす笑いを聞きながら、近くにいたメイドに助け起こされた。
◆ ◆ ◆
「リオネル様だ」
「リディアーヌ様よ」
主賓が小ホールへやってきた時には、あんなにきらきらしていた世界は嘘のように汚れてしまっていた。どろりとした感情に心の奥底までを浸されながら、リディアーヌたちが多くの子息・令嬢に囲まれるのを見る。
美しいあの少女もきっと派閥の拡大を狙っているのだろう。
王子という後ろ盾を持ったリディアーヌは他の公爵令嬢よりも強い立場にある。彼女の力を削ぐのに最も手っとり早いのは衆目の前で貶めることだ。他の貴族から笑われ、取るに足らないと思われれば思われるほど重い足枷が彼女を縛る。
だから、彼女たちは『お友達』を募って派閥を作る。どうなっても構わない下っ端に明言することなく指示を出して攻撃させる。
世界は、決して綺麗なんかじゃない。
こんなことならお城になんか来るんじゃなかった。自分はただ憧れの人に近づきたかっただけなのに。どうして、そのリディアーヌを攻撃しなければいけないのか。
けれど、攻撃しなければ潰される。
視線を感じる。同時に無言の圧力も。やれ、という無言の命令だ。足ががくがくと震え、笑顔が作れているかどうかさえわからない。
「お飲み物はいかがですか?」
使用人の運ぶトレイから果汁の入ったグラスを受け取る。
気持ち悪い。夢見ていた世界が一歩ごとにどす黒い色に塗り潰されていく。逃げ場はない。後戻りもできない。派閥に入らなければこの先やっていけない。だったら簡単だ。このまま歩き、偶然を装って飲み物をかければいい。そうすれば少なくともあの派閥からは潰されない。
ちゃんと『お友達』になれたら守ってもらえるはずだ。
「あはは」
少女は壊れたように笑って──手に持っていたグラスを落とした。
ガラスの割れる高い音。しん、と辺りが一瞬静まり返る。片付けのためにメイドが駆け寄ってくる中、少女は「あれ……?」と首を傾げた。
飲み物をリディアーヌにかけるはずだったのに、どうしたんだろう。
どうしてできないんだろう。
せっかくの生き残るチャンスまで不意にした自分。何もかも嫌になって泣きながら蹲る。その時、舌打ちが聞こえた。はっと顔を上げると、こちらに視線を向けているリディアーヌと、そのリディアーヌに指の先を向ける一人の令嬢が見えた。
令嬢の指先から水の塊が生まれて勢いよく飛んでいく。
魔法だ。
魔法を使った令嬢は十二~三歳。十二歳くらいからは親の判断で大ホールに残っても良い決まりなので、小ホールにいる中では年上の部類だ。だからそんな悪戯を思いついて実行できた。しかし、八歳のリディアーヌには対抗できない。
「あぶな……っ!」
間に合わない。思わず目を瞑り、恐る恐る結果を確認すれば──リディアーヌ・シルヴェストルは一滴の水も被っていなかった。
足元には小さな水たまり。少女の靴にはギリギリのところで触れていない。
こつん。
歩き出したリディアーヌは水たまりには目もくれず、しゃがみこんだままの少女に歩み寄ってきた。
「大丈夫?」
目元をそっと拭われる。優しく、温かい声。はっとして「お手が汚れます」と言えば、微笑と共に首を振られた。
「あなたの顔も涙も汚れてなんていないわ。それに、パーティーを楽しめていない子を放っておいたらわたしまで楽しくなくなるもの。ね?」
「……はい」
呆然としながらもこくん、と頷く。なんだろう。なにか違う。どうしてリディアーヌは自分なんかを助けてくれるのだろう。
「おい、リディアーヌ。婚約者を置いて勝手に行くんじゃない」
「申し訳ありません、リオネル様。ですが、むしろ率先して婦女子を助けるのが紳士的な殿方の在り方ではないでしょうか?」
「ふん。俺が手を差しのべたらお前が嫉妬するだろう?」
「想定外の使い方をしないでくださいませ。さ、立てるかしら?」
差しのべられた手を取って立ち上がると、リディアーヌは「大丈夫そうね」と満足そうに頷いた。
そして、少女の瞳をそっと覗き込んでくると、こう言ったのだ。
「ねえ、名前を教えてくれる? わたし、最近まで友達がいなかったから、同世代の子と仲良くなりたいの」
「え、あの……あっ!」
また水の魔法。今度はさっきよりも大きい。人だかりの合間を縫って放たれたので誰も対応できていない。
今度こそ当たる。そう思った次の瞬間。リディアーヌがちらりと視線を向けると、水は見る間に勢いを失って空中へ制止した。さっと手が振られると、今度はぱっと拡散して霧のようになる。これなら床も濡れないし触れても大した問題はない。
ぽかん、とした。
「あの、今のは、どうして?」
「ああ、あれ?」
リディアーヌは少し恥ずかしそうに笑って、答えた。
「魔法の訓練を怠るなというのが私の師──オーレリアさまの教えなの。だから、つい、ね」
「オーレリア・グラニエ!?」
「リディアーヌ様が《漆黒の魔女》に師事しているという噂は本当だったのね……!」
「ええ」
さっ、と、紅の髪がかき上げられる。
「魔法の腕比べなら喜んで受けて立つから声をかけてちょうだい。ただし、挑戦したいからって周りの人やわたしの友達に迷惑をかけないでね。そんな奴は泣かしてやるから」
「……ああ」
止まったはずの涙がまたこみ上げてきた。
今度のはうれし涙だ。きっと、自分はこの時のことを一生忘れない。
リディアーヌはあの公爵令嬢とは全然違った。強くて格好良くて、誇り高かった。
たとえこの後、一生彼女から気にかけられなくても、リディアーヌ・シルヴェストルのことは嫌いになれないだろう。あの時の彼女のようになりたいと、きっとそう思い続けるだろう。
けれど。
「もう。あなた、泣き虫なのかしら?」
ほんの少しだけ自分より年下のすごい女の子はもう一度少女の瞳を拭うと、あらためて尋ねてきたのだった。
「それで、あなたの名前は? お友達になってくれるのかしら?」
当然、答えなんて一つしかなかった。
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