病み上がりの令嬢と公爵家の人々 2
読書を始めて一時間も経らずで「入浴の準備ができた」と連絡が来た。
伝えに来てくれたメイドはアンナに視線を送って、
「手伝いは必要ですか?」
入浴の際も着替え同様、複数人で世話されるのが普通だ。肌も露わな女性に囲まれて肌に触れられる──確実に落ち着かないと思った俺はアンナに目で懇願。すると、仲良くなったばかりの少女はくすりと笑って応じてくれた。
「私だけで大丈夫です。後片づけも大変ではありませんし」
「わかりました。何かあったら言ってください」
一礼して去っていくメイド。俺の担当になったことはない、仕事ができそうなタイプだった。
「急がせてしまったかしら」
「気にしないでください。早く手が空いただけでしょう」
「?」
準備の手順を知らない俺は首を傾げた。日本と違ってガスや水道が完備されているわけじゃない。水を運んで火を起こして……と、結構な手間を想像していたのだが、違うのだろうか。
「では、リディアーヌ様。冷めないうちにまいりましょう」
「ええ、そうね」
隣の私室までアンナと移動。屋敷には大浴場があるが、部屋に小さな浴室も用意されている。これなら部屋の外に出なくて済むので養母の言いつけにも背かない。
浴室は小さめの(それでも前世で言う標準サイズはある)浴槽が置かれた狭い部屋だ。床はつるつるしたタイル張りで、かすかな傾斜により部屋の隅から排水される造り。浴槽にはなみなみと液体が満たされており、温かそうな湯気が上がっていた。
「失礼いたします」
アンナが慣れた手つきでお仕着せを脱ぎ始める。肌の露出が増えていく様に慌てて目を逸らす。下着まで脱いだ後、薄手の浴衣を羽織ってくれたので少しほっとしたものの、それでも目に毒である。
男爵家とはいえ貴族だからか栄養状態は良いらしく、想像していたよりスタイルが良い。
次いで、俺の寝間着と下着が丁寧に脱がされていく。
間を持たせるためにも口を開き、疑問を投げる。
「ねえ、アンナ? このお湯って沸かしたものを運んできたのかしら」
「いいえ。この浴槽は魔道具ですから、水を運んでくる必要はないんですよ」
「これって魔道具だったのね……!?」
この世界には魔法がある。
女性向けライトノベルやノベルゲームにありがちなライトファンタジーの世界に近いだろうか。俺たちの住むこの国は魔法の力を持つ王侯貴族によって統治されている。
貴族は魔法が使えるのが普通で、俺の母アデライドも火の魔法を得意としていた。危ないから近づかないように、と言いながら炎でできた蝶や鳥を舞わせ、俺や兄を楽しませてくれたのを覚えている。
魔道具とはそのまま、魔法の力を籠められた道具のこと。
「意外です。リディアーヌ様はご存じなかったのですね」
「だって、お風呂の準備をしているところなんて見たことがないもの」
「そう言われると、そうですね」
準備ができたら呼ばれて、ほぼ座っているだけで全てが終わるのがお嬢様のお風呂というもの。どうして湯が沸いているのか、なんて別に気にしなくても問題はない。
せっかくだからと詳しく聞いてみると、
「浴槽のこちら側に青い石が嵌まっているでしょう? この魔石に魔力を流すことで水が生まれます。十分に水を張ったら、加熱の魔道具を投入してお湯を沸かすんですよ」
「へえ、良くできているのね」
浴槽に水を張るにはそれなりに魔力が要るので、水属性があって魔力が多めのメイドが担当するのだという。
魔力量は血筋の影響が大きく、男爵家出身であるアンナの魔力はあまり多くないそうだ。
「リディアーヌ様の魔力ならきっと、このくらいの魔道具は軽く使えるでしょうね」
「そうなのかしら?」
「はい。お手洗いの際も特にお疲れにはならないでしょう?」
「ああ、そういえばあれも魔道具だったっけ」
使用人用のものがどうなっているかは知らないが、俺が使う洗面所は水洗式だ。
本体に埋め込まれた青い宝石に手を触れると水が流れる仕組みで、普段から何気なく使っている。
「子供でも使える自動式の魔道具はとっても高級なんですよ」
「今更だけど、わたしの家ってお金持ちなのね」
「ふふっ、そうですね。私の実家は貴族でも、もっとずっと質素でした」
入浴はほとんどされるがままだった。
たっぷりある湯と上等な石鹸、香油を用いて髪と身体を丁寧に洗われる。肌を撫でるのはスポンジではなくアンナの手だ。べとついていた全身が綺麗になっていくと生き返った心地がする。同時に、人を減らしてもらって良かったという思いも。
『そうよね? たくさん人がいたらどっちを見ても裸だもの』
身体が綺麗になったら浴槽に浸かる。
ふぅ、と息を吐いたアンナは楽しげに声を弾ませて、
「大人しくしてくださるので、とてもお仕事がやりやすいです」
「わたしはいつも騒々しかったものね」
「そうですね。今のリディアーヌ様はとっても可愛らしいですけど」
たっぷりと温まったところでタオルを使って全身を拭かれ、清潔な下着と寝間着を着せられる。残った湯は掃除がてら「有効活用」されるという。
「わかったわ。私は部屋で本を読んでいるから、アンナはゆっくりお掃除をお願い」
「かしこまりました、リディアーヌ様」
三十分ほどで戻ってきたアンナは身体をほかほかさせながら笑顔を浮かべていた。
「奥様のご指示で診察に参りました。回復されたようで何よりでございます、リディアーヌ様」
昼食を部屋で摂った後、医師の訪問があった。
眼鏡をかけた四十半ばの男。寝込んでいる間にも俺を診に来た男だ。確か、平民ではあるものの腕利きで知られている医者だったか。
彼は恭しく挨拶をした後、探るように俺を見てきた。前回の診察時、俺は彼に罵声を浴びせている。
『淑女に裸を見せろっていうの? この変態!』
許可が出るまで何もしたくないと思うのも無理はない。そもそも医者が裸を見るのは当然だし、男に見られたくないとなると女医を探すしかない。腕の立つ女医なんてこの世界ではレア中のレアだろう。
自分のやったことながら医師に同情しつつ微笑んで、
「きちんと治っているか、診察をお願いしますね、先生」
「……これはこれは」
医師が目を瞠った。寝間着を脱がせるのはアンナが担当。診察は丁寧に行われた。おでこを触っての体温確認。シンプルな聴診器で心音を測られ、問診も受ける。
「熱や寒気はありますか?」
「いいえ。少し身体が怠い程度です」
「ふむ。食事もきちんと?」
「はい。昨日の朝食からしっかりと食べられています」
「なるほど。……これは驚いた」
意味ありげな呟き。「先生?」と尋ねると、彼は「ああ、いえ」と言葉を濁した。
「すっかり回復されているようです。日に日に弱っていらしたので心配していたのですが」
「そうでしたか」
誤魔化された気がするが素直に頷いておく。
「では、私はこれで」
「ありがとうございました。またお目にかかるようなことがないと良いのですが」
「……ははは。そうですね。どうか健康に成長されますように」
セレスティーヌに挨拶をしてから帰るという。
保護者への報告は不思議でもなんでもないが、なんとなく引っかかる。見送りを終えてもそれは変わらなかった。しかし、考えてみても原因はわからない。
「良かったですね、リディアーヌ様。これなら明日にはお部屋から出られるんじゃないですか?」
「そうね。……まあ、お養母さまのことだから、もう一日くらい静養させられそうな気もするけれど」
ひとまず、アンナと病気が治ったことを素直に喜びあった。
以降、午後の時間はのんびりと過ぎた。俺が読書をしている間にアンナは部屋の掃除等を済ませていく。手が空いたのを見計らって読めない単語を尋ねると、彼女は快く教えてくれた。
夕食は平常メニューとほぼ変わらないものを完食。
「明日の朝、体調に問題ないようであれば、食事は食堂で摂ってよいとのことです」
「わかったわ、ありがとう」
養母からの伝言内容は意外と素直だった。
寝る時間になるまでアンナの淹れてくれた紅茶片手に読書をして過ごした。公爵家は照明の魔道具が充実しているので夜でも活動しやすい。
まだまだ読めない単語が多いのが今後の課題か。早く知識を蓄えたいのだが、そのためにはまず言葉を覚えなければならない。日本語訳の載った辞書が欲しいと切に思う。
「何度も聞いてごめんなさい、アンナ」
「私は楽しいですよ。もっと頼ってください、リディアーヌ様」
そうして「そろそろ寝ようか」という時間になった時、寝室の隣──私室のドアが控えめにノックされた。確認に行ったアンナはすぐに戻ってきたものの、その表情はなんとも言えないものに変わっていた。
彼女の後ろから寝室へ顔を出したのは果たして十歳程の少年で、
「お兄さま!」
「やあ、リディ。元気そうで良かった」
暗褐色の髪は夜の闇に紛れやすい。深い青色をした理知的な瞳にはまっすぐに俺の姿が映っている。母親似の俺に対して父親似の彼──アラン・シルヴェストルは優しい笑顔を浮かべて俺の傍に寄ってきた。ぎゅっ、と手を握られると、胸の奥から家族の親愛が溢れてくる。
自然と笑顔になりながら、俺は彼に尋ねた。
「お兄さま。もしかしてお忍びですか?」
「ああ。人払いをしてからこっそり出てきたんだ。会えるのが明日の朝になりそうだったからね」
「まあ、お兄さまったら」
茶目っ気を出してウインクする彼。長男の彼は将来、父の後を継ぐことを期待されている。妹の見舞いになんてとても来させてもらえなかっただろう。
それでも会いに来てくれたのが嬉しく、くすくす笑って応じると、ふっと息を吐く気配。
「本当に良かったよ。リディが持ち直してくれて」
「ご心配なく。わたし、そんなに簡単に死なないわ」
一時は死を覚悟したなどと口にはせず、つん、と胸を張って見せる。
「そうだね。リディは強い子だから」
「ええ。わたしはもっと強くなるの。お養母さまにだって負けないんだから」
はっきりと答えれば、それだけで変化は伝わったらしい。
アランは「そうか」と目を細めると、俺の前髪を軽く撫でるように払った。
「頼もしいな。でも、無理だけはしないでくれ。いいかい?」
「もちろん。お兄さまこそ、身体を壊さないようにね?」
「ああ。立派になって、リディを守れるようになりたいからね」
日本ではあまりお目にかかれないような柔らかな笑顔。この国の男は随分と「紳士的」らしい。しかし幸い(?)家族の情と前世の記憶のお陰でときめくことはない。
アランは大切な家族だ。
二歳差しかない彼もまた、幼い頃に母を亡くしたことになる。悲しかっただろうに、俺のように暴走することもなく跡継ぎ教育を受けている。不用意に泣いたり怒ったりできない彼の方がむしろ辛かっただろうと簡単に想像することができた。
『そっか。……男も意外と大変なのね』
俺がアランに報いられることは何か。
死なないこと。彼が周囲に自慢できるような妹になること。そして、少しでも彼の負担を軽くしてやること。
兄は俺の強い味方になってくれるだろう。なら、俺も兄の味方にならなければ。
「お兄さま。また明日、朝食で会いましょう」
「ああ。楽しみにしているから、必ず良くなるんだよ」
「ええ」
短い逢瀬を終え、アランは部屋に戻って行った。
一部始終を目撃することになったアンナに「このことは内密に」と頼むと、真剣な顔で「かしこまりました」と頷いてくれた。素直な子なので、上司に問い詰められでもしたら白状してしまいそうだが──まあ、おそらく大丈夫だろう。
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