TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す

緑茶わいん

序章:屋敷内の悪意

我が儘お嬢様、前世の記憶を取り戻す

『女はズルい? あははっ! そうかもね。……だったらさ、あんたも生まれ変わって女になれば?』


 悪夢から目覚めると、そこは広いベッドの上だった。

 黒く塗られた石造りの天蓋を見上げてため息をつく。このところ体調が悪く、昨夜は一晩中熱でうなされていた。お陰で思い出したくないことまで思い出してしまった。

 熱はどうやら下がったらしい。疲労と空腹でふらふらではあるものの、暑さや寒さは感じなくなっている。汗をかいたせいか寝間着が蒸れて気持ち悪い。


 ──結局、お父さまはお見舞いに来てくれなかった。


 まあ、お仕事だから仕方ないし、代わりに花を贈ってくれたから許してあげてもいい。

 けれど、あの女は駄目だ。伝染るといけないからと言って顔も出さず、贈り物もしてくれない「お養母さま」。あいつは絶対にわたしのことを嫌っている。なのに、お父様ったら何度言ってもわかってくれない。


 高校の文芸部を乗っ取ったのもああいう女だった。

 部長をあっさり篭絡して活動方針を変更、他の部員たちも骨抜きにした挙句、六股だか七股だかがバレて退部していった。

 忌々しい。

 部長もお父様も、どうしてあんな女に騙されるのか。

 も最初は騙されかけた。そういう外面の良さがあいつらのいやらしいところなのだが──。


「……あれ?」


 俺? わたし?

 違和感を覚えて身を起こすと、頭に小さな痛みが走った。高校の文芸部でのこと。病床を見舞わない継母ままははのこと。混在していた記憶が分けられ、区切られて明確になる。


 一つは日本で男子高校生をしていた『俺』の記憶。

 一つは公爵家に生まれ、幼くして母親を亡くした『わたし』の記憶。


 どちらかが偽物というわけではない。

 不思議なことに両方が『自分の記憶』だと感じられる。初めての感覚に首を振り、多少なりとも気持ちを落ち着けてから、俺はゆっくりと自分を見下ろした。

 ふかふかのベッドに小さな女の子が座っている。

 細い手足に色白の肌。ネグリジェのような寝間着を纏った身体はまだ起伏に乏しいものの、どこか女性的なラインを描いている。寝乱れた髪は肩くらいまでの長さがあり、その色はワインのような紅だった。

 どう見ても男子高校生のそれではない。


『当然じゃない。この身体はわたしのものだもの』


 脳内に『わたし』の思考が流れる。

 俺はああ、そうかと思った。同時に『俺』の思考が「じゃあ自分はどうなったのか」と訴えてくる。答えは記憶の中にあった。男子高校生の自分が命を落とす場面。


「生まれ変わった、ってことか」


 転生した俺はこの歳──八歳まで普通に生きて、不意に前世の自分を思い出した。

 今の俺は『俺』であり『わたし』でもある。どちらかというと男の記憶が表に出ているようだが、さっきのように男の思考と女の思考を分けることもできる。

 ややこしいが、どうやらそういうことらしい。


 首を巡らせると、俺の寝室が見渡せる。

 前世における自室と比べて数倍の広さ。食器棚に寝間着や下着の入ったクローゼット、2~3人掛けのテーブルに書き物用の机まである。ダブルサイズはある天蓋付きベッドが中央に陣取っている通り、基本的には寝るための部屋だ。

 日中を過ごすための私室は別途、隣に用意されていたりする。

 壁側の硝子窓からはきらきらとした陽光が射しこんでおり、今が朝であることを教えてくれる。


 まるきり金持ちのお嬢様だが、それもそのはず。

 俺の名前はリディアーヌ・シルヴェストル。国の宰相であるシルヴェストルの長女だ。実の母は五歳の時に病死し、現在は父の後妻である養母に育てられている。

 公爵は五段階ある貴族位のうち最上位にあたる。公爵家だけでも複数あるとか、家ごとの力関係とかを大雑把に省けば、我が家は「王族の次に偉い」ということになる。


「完全にお嬢様じゃない、わたし」


 独り言は自然とお嬢様の口調で紡がれた。

 意識して「男として動こう」と思わない限りはリディアーヌとしての仕草や癖が優先されるらしい。楽で助かる一方、男としての自意識は違和感を訴える。まあ、それを表に出さないで済むだけ幸運と言うべきか。

 それにしても──。


「お腹が空いたわ」


 記憶をたどると、昨日は水と薄いスープくらいしか口にしていなかった。体力も落ちるわけである。何か持ってきてもらおうと、サイドチェストの上に置かれた呼び鈴に手を伸ばす。

 そこで、寝室のドアが向こうから開いた。

 音を立てないようにそっと入ってきたのは、シックなお仕着せを纏った若いメイドだった。焦げ茶色の髪に深い紺色の瞳をした彼女は、俺が身を起こしているのを見て目を丸くした。


「お、おはようございます、お嬢様。ご気分はいかがですか?」

『はあ? おはようございます、じゃないでしょう。主人の部屋にノックもなく入ってくるってどういうことなの?』


 ここ数日、俺はほぼベッドの上だった。寝ていると思って起こさないようにしてくれたのだろう……ということで、脳内の罵声はスルーする。

 どこか怯えた様子のメイドは一メートル以上の距離を保ったままこちらの反応を待っている。俺は努めて微笑を浮かべると彼女に答えた。


「だいぶ楽になったけれど、お腹が空いてしまったわ。ええと、あなた……名前はなんて言ったかしら?」


 記憶にはメイドの名前がなかった。顔自体は覚えているので、屋敷のメイドには違いないのだが。『はあ? メイドの名前なんていちいち覚える必要ないじゃない!』。ああ、うん。理由がよく分かった。


「あ、アンナと申します」

「そう、アンナね。ありがとう。……今度はちゃんと覚えるわ」


 食べやすい食事をお願いすると、アンナはきょとんとした表情で「かしこまりました」と頷いた。きっと「お父さまに言ってあなたをクビにしてもらうわ!」とか言われると思ったのだろう。


『いきなりクビになんてしないわ。仕事の態度が悪かったって教えてあげるだけ』


 いや、そういう問題ではない。

 なんというか我ながらひどい我が儘ぶりである。これじゃあ怯えられて当然だ。一礼して退室していくアンナを見送ってから、俺は再びため息をついた。


「なんで、よりによって女の子に生まれ変わったんだよ」


 




 前世の『俺』は女運が悪かった。

 実の姉。幼馴染。中学の時の担任。付き合った彼女。高校の文芸部の後輩etc……。身近な女、親しくなった女はほぼ全員、我が儘だったり計算高かったり、ずる賢く人を利用するような奴だった。

 自分はもちろん周りの男も随分苦しんだ。

 結局、最後までろくに見返してやれなかったことが一番の心残りだ。

 生まれ変わってみろと嘲われて「なれるものならなりたい」と思ったこともある。しかし、本気でなりたかったわけじゃない。

 簡単な話だ。

 女になれば。他人を騙して見下して嘲笑って上に行く、そんな奴らの仲間入りなんてしたくない。


『わたしだって嫌よ。社交界にはお養母さまみたいなのがたくさんいるんでしょう?』


 八歳のリディアーヌも貴族社会については詳しくない。

 参考になるのはせいぜい、文芸部にいた頃に見聞きした『創作作品上の貴族像』くらいだ。

 上品かつ華やかな印象とは裏腹に様々な陰謀が蠢く魔窟。

 女の世界は特に嫉妬や格付け争いが激しいイメージ。もちろん創作の話だが、古典作品からして意地悪な継母にいじめられる話だったりするし、俺の生きていた時代には『悪役令嬢』なんて言葉まで広まっていた。


 というか、リディアーヌ・シルヴェストルも十分、悪役令嬢それの範疇だ。

 権力を振るうのに躊躇がない我が儘娘。

 アンナに対して思ったようなことを実際に言うのは当たり前。ドレスが気に入らないだのティータイムのお菓子が足りないだの嫌いな野菜は皿に盛らないで欲しいだの、どうでもいいことで使用人に当たっている光景をいくらでも思い出せる。

 擁護できるとすれば狡猾さが全くないこと。素で我が儘なだけなのでまだマシと言ったところだが──まあ、この性格は大いに反省して改めようと思う。

 本物の悪役令嬢になって処刑だの婚約破棄だのされるのはご免である。






 戻ってきたアンナは屋敷のメイドを二人、新たに連れていた。


「お食事の前にお着替えをいたしましょう」


 ベッドの端に座ったまま三人がかりで服を脱がされ、ぬるま湯で湿らせたタオルで身体を拭われる。俺は腕を上げたり腰を浮かせたりするだけ。病み上がりだからではなく、着替えはメイドにやってもらうのがリディアーヌの普通だ。

 裸にされるのは意外と恥ずかしくなかった。女子と言っても所詮八歳なので動揺するほどのことでもない。どちらかといえばメイドが全員年頃の女子で、しかも距離が近いのが気になる。


『はあ? 着替えなんだから当然でしょう?』


 実際、相手からしたらただの作業なのだろう。メイドの一人などは露骨に面倒臭そうな顔をしていた。使用人に興味のなかった今までなら気づかなかったかもしれない。


 ──辛く当たってきた過去は変えられない。


 新しい下着と寝間着(当然女の子用だった)を着せられた後、俺は彼女たちにお礼を言い、名前を尋ねた。


「……ジゼルです」

「エマと申します、お嬢様」

「ありがとう。これからもよろしくね、エマ。ジゼル」


 淡々と返事をしてきた二人は狐につままれたような表情で去って行った。それからアンナが料理の載ったカートを運んできて給仕をしてくれる。パンとスープ、それからミルク。

 具が細切れにされたスープは複雑なうま味が感じられる丁寧な一品。胃に流し込むたびに熱がじわりと全身へ広がり、なんとも心地いい。夢中で三分の二ほどを飲んでから慌ててパンを手に取れば、パンはまだ温かかった。バゲット系だったので残りのスープに浸して柔らかくして食べる。小麦の味がしっかり感じられて正直たまらない。

 皿はあっという間に空になり、最後のミルクも美味しくいただいた。

 空腹はだいぶ和らいでいる。もう少し食べたいくらいだったが、急に満腹まで食べるのも良くないだろう。俺はアンナを見上げて微笑んだ。


「ごちそうさま。とても美味しかったわ」

「…………」


 返ってきたのは困惑したような表情。


「お嬢様。その、大丈夫ですか……? 本当はどこか悪いんじゃ?」


 どうやらアンナはかなり素直な性格らしい。裏で同僚と「キモい」と言いあってもいいはず。わざわざ言ってくれるあたり、きっといい子なのだろう。

 アンナは高校生くらい。ジゼルやエマとは何歳か離れているように見えた。だとすると、俺の世話も貧乏くじを引かされたのではと思ってしまう。

 申し訳ないと感じながら苦笑して、


「少し心を入れ替えようと思っただけよ」

「そう、なのですか?」


 俺は「ええ」と頷き、寝込んでいる間のことを思い返した。

 あれは本当に辛かった。


「寒くて暑くて、死ぬかと思った。わたしが何をしたのよ、って思った。そうしたら、あなたたちにたくさんひどいことをしていたことに気づいたの」

「お嬢様」

「今更よね、ごめんなさい」


 アンナは「いえ」と言ってくれた。

 表情はどこかぎこちなかったものの、笑顔になって、


「ありがとうございます」


 ああ、いい子だ。

 当然だが、世の女全てが嫌な奴ではない。善良な女もいるし、男の中にも悪人はいる。そのことをあらためて認識させられる。

 少しだけ心が軽くなった。

 ベッドへ戻り、アンナに布団をかぶせてもらう。お腹が満たされたので眠気が来ている。瞼を閉じると、メイドが退室していく気配を感じながら意識を落とした。





 アンナに言ったことは本当だ。

 リディアーヌは根っからの悪女じゃない。彼女が──いや、俺が我が儘になったのは母を亡くしたストレスと、新しい母親と上手くいかない怒りからだ。

 母が生きていた頃の俺は素直ないい子だった。今の自分が「悪い子」なのも心のどこかではわかっていた。だから、病気で一晩中苦しみながら後悔した。

 前世の記憶を取り戻したのはその結果だったのかもしれない。


『だったら、どうだっていうの?』


 夢の中で『わたし』の声が響く。


『今更素直になんてなれない。誰も許してなんかくれないわ』


 別にそれでいい。元のリディアーヌ・シルヴェストル頑張る必要はない。今の俺は『俺』と『わたし』の両方の影響を受けているのだから。

 俺の人生を今からでも軌道修正する。

 気の強い性格は素だろうし、完全には無理かもしれないが。


『だったら、それでもいいじゃない。気に入らない奴に遠慮してやる必要なんかない。せいぜい怖がらせてやればいいのよ』


 何しろ自分自身だ。言いたいことはすぐにわかった。

 悪役令嬢と呼ばれるならそれでもいい。

 前世の俺だって別に聖人じゃない。だから全員に好かれようとは思わない。ただ、真面目に頑張っている人間を攻撃したりはしない。

 


 カウンター悪役令嬢、とでも言ったところか。


『いいわね。面白そうだわ。やりましょう!』


 こうして俺は、自分自身の方向性を定めた。

 これが、生まれ変わったリディアーヌ・シルヴェストルの新しい第一歩だった。

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