臆病でへそ曲がりなリラ

武流×駿

家族を持つことの意義というものが、よく理解できないでいる。

生物は繁殖が資本だ。この世に生まれた命ならば、子孫を残すために生を全うするべきである。これ以上に存在する意味などない。

ある学者は言った。「地球は虫の星だ」と。

どの生き物の数より、虫の数のほうが圧倒して多い。よくよく思い返せばそんなことは当たり前の話なのだが、人間は自分たちを基準としたものの捉え方をしがちだから、意外に感じる者もいるかもしれない。

地球の代表格である虫には脳がない。だから、彼等は本能の元に生きている。

種によっての生態はそれこそ多種多様だ。人間の思考の範疇を、軽々と超える生き方を平気でしでかす虫もいる。

彼等は皆“繁殖すること”を原動に生きている。他のことは何もない。ただ遺伝子を残すことだけにひたすら尽力し、命の炎を燃やしているのだ。

“生きる意味”など残したがるのは、この地球上で人間だけのものだ。

そう考えるとき駿はいつも、やたら自分のコロニーを作りたがる人間たちが、滑稽なように思えるのだった。

「意義や意味なんて、そんなに必要ないんじゃないかなぁ」

駿の従兄弟である武流は、いつもそうと言う。暖簾に腕押しな感じがして、いつもむっとする。

「恋人や家族をつくることに、そこまで難しく考えることなんてないと思うよ。ただ一緒にいたい。理由なんてそれだけで十分じゃないか」

「そういうものばかりでもないだろ。中には保身とか、なんらかのステイタスが欲しくてコロニーを作り出す奴もいるじゃないか。僕はそういうのが理解できないって言ってる」

「いつも思うけど、“コロニー”って」

武流は苦笑しながら、こちらを振り返った。

ローズマリーのいい香りがしている。武流の趣味は料理をすることらしく、仕事で疲れているはずなのに、毎晩それなりの食事を駿に振る舞ってくれる。疲れているときほど凝ったものを作りたくなるのだそうだ。そういうところもよく理解ができない。駿にとっては、料理も掃除も大層骨が折れることだから。

「だってコロニーだろ。生き物の集団だもん」

「野生ではそう例えられるかもしれないけど」

「人間だって野生から派生した生き物でしょ。そもそも、“野生”っていう言葉の定義もよく分からない。人間は自分たちをいつも特別視し過ぎてる」

「駿の言ってることもなんとなくは分かるけどねぇ…うーん」

かちりと熱を切る音がし、ほどなくして美味しそうな夕食の品々がテーブルに並べられた。今夜は鶏胸肉のバターソテーらしい。盛り付けにも気配りが行き届いていて、見るからに食欲をそそられる。

武流がカトラリーの用意をしてくれている間に、二人ぶんの飲み物をグラスに淹れた。「ありがとう」と投げかけられる。武流のほうがはるかに駿に齎してくれているのに、礼を言われるのは割が合わないな、とぼんやり思う。

「駿は、誰かといることが苦手?」

手を合わせていただきます、と言ったあと、目を開いた武流に訊かれた。すぐ明確な言葉が浮かばず、水をひと口含んで間を持った。

「……苦手というより。わざわざそうする意味が分からない」

「意味かぁ。じゃあ意味を見出しさえすれば、逆に誰かといないと気が済まなくなるのかな」

しまった、と、一瞬食事の手が止まる。

またこの流れにはまってしまったらしい。かと言って回避するだけの話術も持ち合わせていないので、観念して今日も武流に付き合うことにする。

「…そこまで極端にはならないんじゃないの、さすがに。納得はできるだろうけど」

「そう?駿は真面目だから、こうと決めたら目的を達成しないといられない人だと思って。そうしたら僕と家族になってくれるだろうにって」

ほら、やっぱりそうときた。

武流は昔から、駿に自分と家族を作ろうとたびたび誘ってくる。駿が“身に子どもを宿せる男性体”で、武流が“人に子どもを宿らせる男性体”だから。

駿は、自分のこの性体が好ましくなかった。種の根絶を恐れたかつての人間が、無理矢理に作り出した歪な遺物であるから。

「…仮に納得できたからといって、武流とそうなるとは限らないだろ」

「ひどい。そんなに僕と家族になるのは嫌?」

「逆に聞くけど、そうなったとして今の状況と何がそんなに変わるの?変わらないだろ大して」

「変わらないけど、全然違うものにはなるよ」

「……さっぱり分からない」

「だよね。いいんだ、そこは僕が頑張るべきところだから」

程よく熱が通っている肉がほろほろで、ナイフを入れると瞬く間にひと口大に崩れた。フォークで刺して口に運ぶと、「美味しい?」と訊かれる。

素直にうん、と頷けば、鳶色をした目が温かく緩んだ。この従兄弟はどうして、そんなふうにしていられるのか。

こんなことに気力や体力を割く理由が分からない。納得がいかない。これのどこに、そこまでする価値がある。

武流は駿の母親の弟の息子で、駿より三つ歳上だ。それでどうも、武流の初恋が駿の母親であったらしい。

駿の両親はどちらも男性体で、母親は身に子を宿すことができる男性“クレイドルメイル”である。子種を有する男性“シードメイル”である駿の父親と出会い、恋をし、駿の母親は二十五歳のときに駿を産んだ。

駿の容姿は、若かった頃の母親に瓜ふたつだった。固く細い黒髪に、わりと色白な肌で、華奢でどことなく頼りない。

武流は自分が思春期を迎えたあたりから、固執する対象を駿の母親から年下の従兄弟へと変えた。そういえばそれは、ちょうど駿に初潮が来た時期と重なる。

本格的に駿が、子を宿せる体にまで育ったからか。あるいは、駿が母親の生き写しのようであるからか。

───気色悪い、

胸の奥がもやついて、それを押し流すように水を飲む。そしてふんだんに嫌味を込めて言った。

「…もったいないな。もっと有意義なことに時間を使えよ」

「もっと有意義なことって?」

「さぁ…。もっと、自分の好きなことをするとか。もっと、武流の目的に添えるような相手を探してみるとか。従兄弟だからって俺に構ってなんかいないで、武流の思うままに過ごしてほしい」

「それなら問題ない。今のままで、これが僕の一番したいことだもの」

「…だからさ、」

「できるだけ駿といっしょに過ごしていたい」

時間は有限だからね、と武流は言った。駿の知る武流の顔はいつも笑顔なので、この従兄弟の負の感情を、生まれてこの方一度も目の当たりにしたことがない。

───いや、でも。

そんなことはないか。

武流からの結婚の申し出を断るとき、武流の形のいい柳眉がいつもわずかに歪むのだ。

そして、少しだけ哀しそうな様子で笑う。それはよほど注視しなければ見逃すほどの徴だったが、常にそばでその笑顔を見ている駿にとっては一目瞭然だった。

───やっぱりよく分からないな、

結婚などしたところで、家族になったところで何がそう違うというのだろう。いっしょにいたければ、好きなだけそばにいればいいだけの話じゃないか。契約とか形式などがそこまで重要か?

そんなことに意味を見出したがるのは人間くらいのものだ。本能でなくとも子孫を残したがり、それは大概が自分自身の存在の証のためであったりする。種の存続も何もない。

そう必死になって残したところで何になる。どうせ死ぬのに。残したあとその大義名分を偉そうに語る奴もいるが、結局は欲望やエゴによる結果論に過ぎない気がする。

誰かを狂うほど愛したとして、それが後に繋がっていくにしてもいずれ縁が途切れるか忘れ去られるかだけなのに、人間というのは本当に、理に沿わないことをする生き物だ。

「……別に結婚なんてしなくても、そばにいたければいくらでもいればいいだろ」

うまくフォークに刺さってくれない肉片に苛々しながら言うと、もう哀しそうではないけれども、困ったように武流は笑った。

「うん…それはそうなんだけど。駿はなんていうか、とても大人だよね。本当にそのとおりなんだけれど、それだけだと僕はどうしても、不安になってしまうんだ」

「だから、“結婚”?」

「そうだね。何か誓約が欲しい。僕たちの間を繋ぎ止める何か。──まぁこれはあくまでも、僕自身の希望ってだけなんだけど」

「……ふぅん」

「そりゃぁ、今のままでも十分幸せだけどさ」

武流の手がフォークから離れ、栗色の髪に伸びて軽く後頭部をかく。

誓約、希望…か。人間が血を繋いでいくのは、今やほとんどがそういった理由なんだろうな。

その末に生まれた。駿も武流も。

人間は生きるも生むも欲望ばかりだ。本能とはまた違う、姑息な狡さにまみれている。気持ちが悪い。

「…駿が僕を裏切るようなことをする人じゃないっていうのも、ちゃんと分かってる。だからこれは我儘だよね僕の。僕が頑張ればいいだけのことだから、駿は何も気にせずにそのままでいて」

「…さっきから頑張るって言ってるけど、何を?」

「駿が僕といっしょにいたいって思ってくれるようになるまで」

武流がずいぶん殊勝な面持ちでそんなことを言うので、思わず鼻で嗤ってしまった。

「それは、僕が母さんにそっくりだから?」

鳶色が駿のほうを真っ直ぐに見る。

歪むかな、と少し懸念したけれども、予想に反してそれは緩んだ。

「……遙さんには、とても感謝はしているけど。それだけ」

「ふぅん…」

「もうご馳走様?そろそろデザート持ってくるね」

今日は駿が食べたがっていたアイスを買ってきてあるから、と言い、武流は席を立つ。

数年前よりだいぶ広くなった見慣れたその背中を見て、やっぱりよく分からないな、と思った。

───ふたりの間に誓約などがなければ、いつかこの時間は終わってしまうのか。

武流は自分の我儘だと言うけれど。我を張っているのは他でもない自分のような気がして、なんだか腑に落ちなかった。

腑に落ちないのは好きじゃない。ただ今すぐ武流に応じるのも癪だし、まだしばらくは理屈をこねくり回そうと意向返しのように思った。

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