第10話 ぬくもり
「ぐす…」
「落ち着いたか?」
「はい……すみません」
「謝ることはない」
ようやく涙が収まった頃には泣きすぎて少し頭が痛くなっていた。イリアム様は柔らかな笑みを浮かべると、そっと私の頬を撫でて涙を拭ってくれた。
結婚初日にこんなみっともない姿を見せることになるなんて…
気持ちが落ち着いたら今度は羞恥心が押し寄せて来た。
「急に色んな話をしてすまなかった。この本はソフィアが持っているといい」
「え、でも、そんな大切なものを…」
「ソフィアが持っているべきだ」
「……わかりました。お借りします」
イリアム様は初代当主様の記した本を私に預けてくれた。貴重な本を託すほどには信頼されているかしら?そう思うとどこか誇らしくもあり、胸がむず痒くもなった。
私は丁重に本を受け取ると、そっと本の背を指でなぞった。タイトルは何も書かれていない。
数百年前に国を襲った危機をおさめた初代当主様。そんな凄い方と同じ力を持っているだなんて、未だに信じられない。でも、イリアム様のお話を聞いて、もっと自分のことを知らなければならないとも感じている。
イリアム様が預けてくれた貴重なものだもの、大切に読もう。
私は両手で抱きしめるように本を抱えた。
「さて、今夜はもう遅い。部屋に戻って休むいい。それと、その…俺たちは夫婦なのだから、困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。存分に甘えて欲しい」
「甘える…」
視線を逸らし、頬を掻きながらイリアム様が伝えてくれた言葉に考え込む。
実はさっきから恐れ多くもお願いしたいことがあった。イリアム様なら優しく受け入れてくれるかもしれないし、早速甘えてみようかしら…?
私はしばし逡巡した後、思い切って口を開いた。
「あの、ではお言葉に甘えまして、一つお願いしたいことがあるのですが」
「!なんだ?何でもいいぞ」
おずおずと申し入れると、パァッとイリアム様の表情が華やいだ。嬉しそうに頬を上気させる姿が、ちょっぴり可愛らしいと思ってしまった。
「えっと、私…夜一人で布団に入ると色んなことが頭をよぎって悶々と考え込んでしまう癖がありまして…今日も色々と考えて眠れなくなってしまいそうなのです」
「そうか、突然色んな話をしてしまったからな。環境も変わったことだし、それは心配だな」
「ですので…その、子供みたいだと思われるかもしれませんが…そ、添い寝をしていただけると嬉しいです」
「げほっ」
「イリアム様っ!?大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ…いや、大丈夫ではない、か?」
「ええっ!?」
私は慌ててソファから立ち上がると、突然咽せたイリアム様の背中をさすった。
「す、すまない。動揺してしまっただけだ」
「あ…申し訳ありません。私が余りにも子供じみたお願いをしてしまったからですね」
「んんん…あなたは俺を困らせる天才のようだな」
「す、すみません…?」
本当に大丈夫?と顔を覗き込むけれど、イリアム様は大きな手で顔を覆ってしまって表情を読むことは叶わなかった。
「ごほん、あー…添い寝だったな。い、いいだろう。知らない場所で不安もあるだろうし…俺の部屋でいいか?」
「はいっ!ありがとうございますっ」
「落ち着け…他意はない…」などとごにょごにょと何やら呟いているが、イリアム様は私の要望を受け入れてくれた。
◇◇◇
「ふふ、温かいですね」
「……そう、だな」
初代当主様の本を自室に置いて、寝支度を整えてからイリアム様のベッドへとお邪魔した。
流石公爵様、大人が五人は寝れるのでは?と思うほど大きなベッド。枕もたくさんあるので遠慮なく一つお借りした。
私たちは人一人分の間を開けて並んで横になっている。それでも同じ布団に入っているので、じんわりとお互いの体温で布団が温まって心地が良い。
「私、親と一緒に寝た記憶がないんです」
「…そうか」
私がイリアム様の方に身体を向けて話しかけると、イリアム様は天井を見つめたまま、多くは問わずに静かに聞いてくれる。
「八歳の時に急に離宮に押し込まれて、悲しくて辛くて泣いていた時、エブリンが毎日添い寝をしてくれました」
エブリンは私の二つ上で、離宮に来た当初は十歳の見習い侍女だった。歳が近いからと私の専属となり、本当の姉のように一緒に過ごして来た。エブリンが添い寝をしてくれたから、あの頃の私は眠ることができた。
「誰かと寝るのはその時以来ですが…とても安心します」
「……それはよかった」
イリアム様は少しだけ首をもたげ、私を一瞥してから小さな笑みを浮かべた。
「イリアム様」
「どうかしたか?」
「もしよろしければ、手を繋いでも?」
「ぐぅぅ………い、いいだろう」
「ありがとうございますっ!」
私の申し出に呻き声を上げて視線を外しながらも、イリアム様はスッと右手を出してくれた。私はそっとその手を握った。イリアム様の側はとても温かくて安心する。
今夜はよく眠れそうだわ。
余計なことを考える間も無く、睡魔に襲われた私は呆気なく意識を手放した。
寝入る直前、イリアム様が「……寝れる気がせん」と呟いた気がしたけれど、きっと気のせいね。
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