79.聖女に向かって
「如何なる時もあなたに仕え、あなたを愛し、最悪なる厄災が世を包み来ようとも我は祈り、国と、民の安寧の為祈り続けます。私の祈りが届くことをここに願わん……」
アンナは王城内にある『女神の部屋』、国の安寧と平和の象徴となっている大きな女神像に膝をついて祈った。音も無い静かな部屋。窓にあるステンドグラスから柔らかな明かりがこぼれる。
(女神様、私はやはり聖女には相応しくない女なのでしょうか……)
確かにあの日、アンナは聖女になった。
憧れだった聖女になり、愛するロレンツを治療し、そして彼はおとぎ話の神騎士になって皆を救ってくれた。
「はあ……」
あれから忙しい合間を縫ってやって来ては聖女になるための祈りを捧げる。それでも一向になれる気配がない。アンナは最後にまた祈りを捧げ始めた。
(そろそろ時間かな……)
そんなアンナが出てくるのを部屋の前で待っていたロレンツは、廊下の奥の方からひとりの女性が歩いて来るのに気付いた。
「よお、久しぶりだな」
その女性は大好きな真っ赤なドレスに、艶のある赤い長髪。同じく真っ赤な口紅を塗った美しい女性、ミセル・ジャスターであった。
「ロレ様……」
ミセルはロレンツの前に来ると深々と頭を下げた。驚くロレンツが言う。
「おいおい、どうしたって言うんだ?」
ミセルが顔を上げて言う。
「私がロレ様達にして来たことを思い深くお詫びしたまでです。本当に申し訳ございません。すべての話は裁判でお話致します」
「……そうか」
ロレンツ自身はあまり興味がなかったが、あれからリリーが中心になりジャスター家の陰謀を全て洗い出している。
ミンファへの呪いや小隊長への脅し、家族の監禁、彼女の拉致についてももちろん全力で調べている。勢いを戻したキャスタール家を支える秀才。リリーはジャスター家を追い込むのに全精力を注いでいた。
「騎士団長さんはどうだい?」
ロレンツが未だ精神状態が不安なエルグについて尋ねた。ミセルが答える。
「ええ、あまりよろしくないですわ。いつも何かに怯え、時々虚言を吐く。ひとりで誰かと会話をしていることもしばしばございます。自業自得と言われてしまえばそれまでですが、妹としては大変悲しゅうございます」
「……」
無言のロレンツにミセルが尋ねる。
「ロレ様は、私達に怒っていますか」
ロレンツが首を振って答える。
「……もう忘れた。イコやうちの姫さんが元気なら俺はそれでいい」
ミセルの頬に涙が一筋流れる。
「ロレ様はお優しいんですね」
「俺は真っすぐな奴が好きなだけだ」
ミセルが涙を拭いにっこり笑って言う。
「ロレ様。ロレ様はあまり女性を勘違いさせるようなお言葉を軽々しく仰ってはいけませんわよ」
(??)
よく意味が分からないロレンツにミセルが言う。
「私はこれより裁判を受けます。もしかしたらロレ様に暫くお会いできなくなるかもしれませんが、その後、またお会いして頂けますか?」
首をかしげるロレンツが言う。
「俺になんて会ってどうする?」
「ミセルはロレ様にお会いしたいのです」
「あー、ミセル!! 何してるの!!」
そこへ祈りを終えて部屋から出て来たアンナが大きな声で言った。ミセルが少し笑ってロレンツに言う。
「お話はここまでのようです。私もこれから女神様にお祈りして参ります。本物の聖女になること、まだ諦めておりませんから」
「ああ、頑張りな」
ミセルはロレンツに頭を下げるとアンナの方へと歩いて行く。
そしてそのミセルと何やら会話を交わしたアンナがむっとした顔でロレンツのところへやって来て言う。
「ねえ」
「なんだ?」
アンナが腕を組んで言う。
「ミセルと一体何を話したのよ!!」
「大したことじゃない。騎士団長さんの様子とかを聞いただけだ」
「うそ!」
「嘘は言っていない」
アンナはミセルの嬉しそうな女の顔を思い出して言う。
「またどうせ何か勘違いさせるようなこと言ったんでしょ!!」
何の話をしているのかさっぱりわからないロレンツが呆れた顔で言う。
「何も話していない。それより聖女の訓練はどうなんだ?」
アンナがむっとして答える。
「ダメ、全然ダメ!! あなた教えてよ、聖女のなり方!!」
俺は男なんだが、と思いつつロレンツが答える。
「まあ、焦ることはない。いつかまたなれ……」
「今日、付き合ってよ!!」
「ん?」
アンナが腰に手を当ててロレンツに言う。
「今日王都に飲みに行きましょう!! 付き合って!!」
ロレンツは王都のバーで酒に酔って絡んでくるアンナを想像する。
「今日はちょっと勘弁してくれ。予定がある」
『予定』と言う言葉を聞いてアンナが言う。
「なに、予定って?? 誰と会うの? 女なの? 女でしょ!!」
苛立ちから怒りへ。
アンナは強い口調でロレンツに言う。
「ああ、女だ。イコって言う可愛い女の子だ」
「イコ、ちゃん……」
一瞬静かになったアンナが再び口を開いて言う。
「いいわ。イコちゃんも連れて来てよ!! 一緒に飲も!!」
ロレンツが首を振って答える。
「馬鹿なこと言うんじゃねえ。イコはまだ子供だ。そんな場所へ連れてはいけねえ」
「もー、何よ、それ!!!」
むっと膨れるアンナにロレンツが言う。
「さ、部屋へ戻るぞ。リリーが待っている」
そう言って歩き出すロレンツにアンナが言う。
「ふーんだ!! もう知らない!!!」
アンナもそれに続いてゆっくり歩き出した。
翌朝、公務室を訪れたロレンツにアンナが笑顔で挨拶をする。
「あ、ロレンツ。おはよ!!」
「よお、嬢ちゃん」
アンナはすぐにドアを閉めてカチッと鍵を閉める。そして甘えた声でロレンツに言う。
「アンナね、昨日お酒我慢したんだよ。偉いでしょ?」
「あ、ああ、そうか。そうだな……」
ロレンツは昨晩彼女の誘いを断ったことを思い出す。アンナがロレンツの大きな手を握って言う。
「ねえ、なでなでして~」
「おい、嬢ちゃん……」
ロレンツの手に感じるアンナの小さな手。柔らかくて小さく、繊細で細い手。アンナは自分の手ごとロレンツの手を頭に乗せる。
「ねえ~、早くぅ~」
(やれやれ……)
ロレンツは仕方なしにアンナの頭を撫で始める。
「てへ~」
アンナは心から嬉しそうな顔をしてロレンツに言う。
「元気いっぱい貰ったよ! さあ、仕事頑張るぞ!!」
そう言って先程かけたドアの鍵を解錠する。アンナは思い出したかのように先程まで握っていたロレンツの手をもう一度握り、右手の甲に現れたハート型の黒い模様を見つめる。
「やっぱり消えていないんだね」
アンナがその模様を指でなぞりながら尋ねる。
「ああ、他の奴らには見えないようだからいいが、まったく恥ずかしいもんだぜ」
そう言ってハートの形をした模様を見つめる。アンナがその模様に頬を当てて言う。
「でもこれが何度も私を助けてくれたんだよね」
「ああ……」
ロレンツは最初酔った彼女を覆面バーから背負って出た時、突如襲ってきた見知らぬ男達を呪剣で追いやったことを思い出す。アンナが何度もその手を頬に当てながら言う。
「私が治してあげる。聖女になって、絶対……」
(嬢ちゃん……)
ロレンツが何かを言おうとした時、後ろにあったドアが勢いよく開かれた。
「おはようございます、アンナ様!!! え、ええ!?」
それは青いツインテールを元気に揺らしながら現れたリリー。しかしドアの前で手を取り、抱き合うようなふたりを見て大きな声で言う。
「な、何やってるんですか!! 朝から!!!」
慌てて離れるふたり。アンナが言う。
「ち、違うよの!! いや、違わくはないけど……、でも違って……」
「公務室で不潔です!!! 信じられません!!!」
ロレンツが困った顔で言う。
「おいおい、嬢ちゃん。そんなに言わなくとも……」
リリーがギィっとロレンツを睨んで言う。
「あなたに言っているんです!! 何を勘違いしてるんですか!!!」
その後アンナの姑の様なリリーにロレンツはこっ酷く叱られた。
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