73.ミセルの決断

(どうしよう、私はどうしたらいいでしょうか……?)


 ミセル・ジャスターは焦っていた。

 突如知った『アンナ姫並びにロレンツ拘束』。アンナについては正直どうでも良かったが、想いを寄せるロレンツ拘束については納得いかなかった。



(なぜ私にあのようなことを……)


 父ガーヴェルは自分にロレンツ攻略を命じた。

 つまりそれは彼が『人生の伴侶』になることも視野に入れての命令だったと思っている。だが現実はそんなミセルには何も伝えずに、秘密裏でロレンツ達を始末しようとしていた。



「ロレ様……」


 ミセルが目を閉じ、自分の胸に手を当てて思う。



(私はあの方を失いたくない。ひとりの女としてあの方の傍にずっといたい。だったらすべきことはひとつ……)



 兄エルグにこの件を尋ねようと聖騎士団長の部屋を訪れていたミセル。あいにく彼は不在で、部屋にいた兄の付き人からその恐るべき出撃が知らされた。そして彼の部屋のドアが突然勢い良く開かれた。


「エルグ様っ!!!」


 それはエルグへの報告の為にやって来た兵士。真っ青な顔の兵士がエルグがいないことに気付く。居合わせたミセルが尋ねる。


「どうしました?」


 余りにも青い顔をして落ち着きのない兵士。震えた声でミセルに尋ねる。



「エ、エルグ様はどちらへ?」


 ミセルはその兵士が、ミスガリア王国へ行ったまま音信不通となった部隊の調査隊の者だと気付いた。ミセルが答える。



「お兄様は今急用で不在です。何かございましたか?」


「いや、その……」


 兵士は今すぐにでもエルグの元へ報告に行きたかった。ミセルが大きな声で言う。



「申しなさい!!」


「あ、はい!! 実は……」


 兵士はミセルの一声に驚き、ミスガリアで見たことを全て話した。



「うそ……、あの【赤き悪魔】を越える魔物ですって……」


 思い出されるネガーベル襲撃事件。

 最強と称えられたネガーベル軍がまるで歯が立たなかった【赤き悪魔】。それを遥かに凌駕する黒い竜が存在しているとは。しかもこちらに向かって飛来しているという。兵士が敬礼して言う。



「エ、エルグ様に報告に向かいます。失礼します!!」


 兵士は慌ててミセルから聞いた軍を率いて出陣したエルグを追いかけ始める。


 ミセルは体が震えた。

 また再びあの悪夢が始まるのか。それも今度ももっと深刻な状態で。不思議とミセルにはこのネガーベル王城が襲来されると確信していた。



「悩んでいても仕方がない。急がなきゃ!!」


 ミセルはまず父親であるガーヴェルの元へと走って向った。



(いないわ。お父様どこへ?)


 しばらく父を探したが見つからず、ミセルはそのまま躊躇うことなくすぐに城の階段を駆け上がる。そして数名の兵士がまるで門番のようにして見張るへと辿り着いた。驚いた兵士が言う。



「あ、あなたはミセル様? どうしてここへ?」


 ミセルは走って乱れた真っ赤な髪をそのままに、息を切らしながら言う。



「中にいるに会わせてくれるかしら。はあはあ……」


 突然のミセルの訪問に驚く兵士達。

 ロレンツの身内を守っていた彼らは敵であるジャスター家ミセルの登場に警戒したものの、どうも様子がおかしく困惑する。兵士の中から小隊長が前に出てミセルに尋ねる。



「ミセル様、あの子に一体何の御用でしょうか?」


 ミセルが答える。



「ロレ様の大切なイコちゃん。私は守ってあげたい。それがいま私にできる務めなんです!!」


 小隊長はそこに同じ志を持つ何かを感じた。

 周りの兵士達の驚きをよそに、小隊長は部屋のドアを開けてミセルを中に招き入れた。



「あ、ミセルお姉ちゃん!!」



(え?)


 喜ぶイコとは対照的に、驚いたのは侍女のリリーとミンファ。

 ミセルと言えばいわば敵対関係の女。ロレンツとアンナを拘束に向かったジャスター家の人間がなぜここに来るのだろうか。リリーが尋ねる。



「何の御用でしょうか、ミセル様!!」


 明らかに敵意を含んだ口調。ミンファはミセルの方へ向かおうとしたイコの手を行かせないよう掴み、ぎゅっと抱き寄せる。ミセルが答える。



「信じて貰えないかもしれないけど、ここは危なくなりますわ。一緒に避難して頂きたいの」


「……」


 これまで散々自分達を嵌め、痛めつけようとしていたジャスター家。現に先程は自分達を、そして今は兄エルグが脱出したロレンツやアンナを軍を率いて追撃している。リリーが大きな声で言う。



「一体どうやったらミセル様を信用できると仰るのですか!?」


「ミセル様、お引き取り下さい」


 ミンファもリリーに同調して言う。ミセルが焦りながら言う。



「本当なのよ!! ここはもうすぐ危険に、イコちゃんを安全な場所に……」



「お引き取り下さい!! 小隊長さん、お願いします!!!」



 リリーに命じられ、小隊長が困った顔をしてミセルに近付く。ミセルが言う。



「本当なんです。本当ですわ、ここは危険で……、!?」


 必死に叫ぶミセル。

 そんな彼女にイコが近付き、その手に自分の手を乗せて言った。



「ミセルお姉ちゃん、イコは信じるよ。ありがとう、来てくれて」



「イ、イコちゃん……」


 強すぎる思い。

 ミセルから溢れ出たイコを救いたいという強い思いが、目の前にいる当人にしっかりと届いた。嘘ではない。心から思っている。イコはすぐに理解した。



「ミセルお姉ちゃんと一緒に避難しましょう!!」


 イコが皆に向かって言った。

 リリーもミンファも、そして小隊長も黙ってその言葉に頷いた。






「じゃあ、行くよ~、ロレロレぇ~」


 ピンク髪を風に靡かせながらキャロルが手にしたレイピアを掲げて言う。ロレンツが答える。


「かかって来な。手加減はしねえぜ」


 そう言いながらアンナを守るようにその前に立つ。

 ふたりの間を流れる静寂。

 少しずつ歩み寄るキャロル。一度は敗れたキャロルの余裕の表情が、これからどうなるのだろうと見ている者達をじっと黙らせる。ただロレンツだけはで黙り込んでいた。



(あれ、これは……、まさか……)


 レイピアを構えながら歩み寄って来るキャロル。ロレンツも漆黒の呪剣を構えているのだが微動たりもしない。


 そしてふたりは剣の交わる距離まで近づいた。



(え?)


 近くで見ていたアンナがまず驚いた。

 キャロルは一切剣を交えることなくくるっと回転し、ロレンツ達に背を向け上官であるエルグにその鋭いレイピアを向けた。驚いたエルグが言う。



「な、何をやっているんだ、キャロル!! 敵を討て、敵をっ!!!」


 キャロルがレイピアをくるくると回しながら答える。



「えー、だってキャロルはロレロレと戦いたくないも~ん。いやいや、なの~。キャロルがロレロレと剣を交えるのは~」


 そう言いながらキャロルはロレンツの太い腕を人差し指でつつーと撫でながら言う。



「ロレロレと剣を交えるのは~、ベッドの上だけだよ~、きゃはっ!!」



「や、やめんかー!! この発情女がっ!!!」


 それまで震えていたアンナがロレンツに色目を使うキャロルに激怒して言う。


「きゃー、アンナ様ぁ、怖いですぅ~!!」


「こ、この女がぁ!!!」



 それでも怒鳴り続けるアンナから逃げるようにキャロルがロレンツの後ろに隠れる。ロレンツがキャロルに尋ねる。



「いいのか? 嬢ちゃん」


 キャロルがにっこり笑って答える。


「いいんですぅ~。エルグ様のやっていることは、ちょおっと、良くないことですから~」


「そうか、助かる」


 ロレンツが少し笑って答える。キャロルが言う。



「じゃあ~、またキャロルに稽古つけてくださいね」


「ああ、約束する」


 ロレンツは再びエルグに剣を向ける。その茶番劇を黙って見ていたエルグが顔を真っ赤にして大声で怒鳴る。



「キャロル!!! 貴様、造反は死罪だぞ!!! 分かっているのか!! 嫌ならそいつの首を討て!!!」


 大声で叫ぶエルグ。

 しかしその先でキャロルはを出してその指示を拒否する。



「うぬぬぬっ、討つぞ!! すべて捕らえて処刑する!!!」



 その声に応じてキャロルの部隊がロレンツの方へと突然走り出す。

 突撃命令の前に勝手に動いた部隊にエルグが驚く。だが、彼らがキャロルと合流するとすぐにその意味を理解した。その全員が剣を収めロレンツに敬礼している。ロレンツが尋ねる。



「いいのか、おめえさんら?」


 部隊を代表してひとりの兵士が答える。



「我らはすべてロレロレ様に共感するものでございます。そしてその多くが【赤き悪魔】から家族を救って貰った者達。キャロル様と共にあなたを援護致します!!」


「ロレンツぅ……」


 それを聞いていたアンナが少しだけ見えた一縷の望みに喜びの表情を浮かべる。ロレンツが頷き、皆に言う。



「有難てえ。じゃあおめえさんらは後ろの部隊、それからピンクの嬢ちゃんは姫さんを頼む。俺は、前の奴等をぶっ叩く!!!!」


「了解です!!」

「は~い、分かったよ~ん!!!」


 ロレンツはアンナをキャロルに託すと、ひとり呪剣を構えエルグ本陣へと突撃する。それを見たエルグが叫ぶ。



「行け、行け!! 総員、突撃っ!!!!」


 エルグ自身は後方に下がりつつ、全軍に突撃命令を出す。身軽になったロレンツが、この戦い始まって以来初めて全力でぶつかる。

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