56.ゴードン歩兵団長、失神する。

「どうした、緊張しているのか? ゴードン」


 ネガーベル王城、来賓待合室で謁見のため待機しているマサルト国軍ゲルガー軍団長がゴードンに言った。

 マサルト王城とは比べようもないほど大きく豪華な城。待合室ですら鏡のように磨かれた床や高価な調度品に目を奪われる。ゴードンが小刻みに震えながら答える。



「緊張しております。我らの言葉、この一挙手一投足に国の未来が掛かっておりますので……」


 ここでネガーベルとの同盟、その援軍が約束できなければマサルトに未来はない。こうしている間にも蛮族の侵攻は行われており一刻の猶予もない。ゲルガーが言う。



「それは心配ないだろう。大国ネガーベルとは言えミスガリアと交戦中の今、我等と同盟を組むことに異論はないはず。それにしっかりと手土産も用意している」


 ゴードンは大切に袋に入れてある国宝の『輝石』に手をやる。



「ゴードン、分かっているとは思うが決して粗相のないように」


「はっ! 承知しております!!」


 ゴードンが敬礼してそれに答える。ゲルガーが尋ねる。



「それで結局、あの使いは一体どうなったんだ?」


 その言葉を聞きゴードンの顔が怒りで引きつる。



「軍団長、今はもうあのような男は不要でございます。ネガーベルと手を組み蛮族に当たる。これが我らにとって最もよい選択がこれでしょう。さすが、素晴らしいご提案でございます!!」


 ゴードンは先に国で開かれた対策会議で、ゲルガーが皆の反対意見を押しやって国王を頷かせたその手腕を思い出す。



「ゲルガー様、ゴードン様。謁見の準備が整いました。こちらへ」


 そこへネガーベルのひとりの兵士が現れて謁見の許可を伝える。ゲルガーがゴードンに言う。



「まあ、そう言うことだ。これからが我らの出番。必ずや交渉を成功させて国王やマサルトの皆を安心させよう!!」


「はっ!!」


 ゴードンはその言葉に再度敬礼して答えた。





「こちらでございます」


 ふたりは案内役の兵士の後に続いて歩く。

 真っ赤な絨毯が敷かれた王城内の廊下。壁には世界的に有名な画家の絵画、色彩豊かな壺などが幾つも飾られている。緊張して歩くふたりに兵士が言う。



「現在国王は不在になっておりまして、代わりに国王代理であるがおふたりと面会致します」


「分かりました」


 国王不在。

 意外な情報に驚くふたりであったが、誰であろうとやることは変わらない。マサルトの命運をかけて交渉に臨む。



 そしてふたりは謁見の間に足を踏み入れた。




「アンナ様。マサルト王国、ゲルガー軍団長にゴードン歩兵団長をお連れしました!!」


 案内役の兵士が謁見の間の最奥の玉座に座るアンナに向かって大きな声で言う。

 広い謁見の間には細かな装飾がされた赤い絨毯が敷かれ、その両脇には聖騎士団長エルグや大臣クラスの人物が立ちふたりを迎える。


 厳粛な場。張りつめる空気。

 ふたりは緊張しながら赤い絨毯の上をゆっくり歩き、国王代理であるネガーベル姫の前まで歩み寄り片膝をついて頭を下げた。頭を下げたままゲルガーが言う。



「私はマサルト王国、軍団長ゲルガーでございます。この者は歩兵団長のゴードン。本日はご面会頂き至福の極みでございます」


 玉座に座るアンナ、そしてその後ろで仁王立ちするロレンツは『やはり』と心で思った。

 ふたりの前にいたゲルガーとゴードンが頭を上げて、そのを見つめる。言葉を発せようとしたゲルガーより先にゴードンが驚き声を上げる。



「あっ、……、あの時の女……、え? ロ、ロレンツ……!!??」


 顔を上げたゴードンが驚きながらふたりを見つめる。顔は真っ青になり、今起きていることが理解できない。近くにいた大臣が大声で言う。



「待ちなさい!! 我が国の姫に向かって『お前』呼ばわりとは一体どういうことだ!!!」


 それを聞きゲルガーも驚きゴードンを見つめる。アンナが座ったままゴードンに言う。



「歩兵団長さん。以前、私のことをなんとお呼びになったか覚えてらっしゃいますか?」



 ゴードンの頭の中で中立都市『ルルカカ』でふたりに出会い、ロレンツを罵倒した挙句、アンナに対して『娼婦』呼ばわりしたことを思い出す。


(なぜ、なぜ!? どうして、これは一体……!?)



 真っ青になり震えるゴードンに向かってアンナが言う。



「ええっと、確か『娼婦』でしたっけ? お間違いはないでしょうか?」



 ゴードンはすぐに床に土下座しながら答える。


「も、申し訳ございませんでした!! ま、まさか姫様とはつゆ知らず……」



(どうして!? どうしてあの女が姫なんだ!? 知らなかった、知らなかった、こんなこと……、殺される、俺は殺される……)



 突然の『娼婦発言』に土下座をしての謝罪劇。

 周りにいた大臣達が騒めき始める。土下座するゴードンを震えて見つめるゲルガー。そんな彼に聞こえたその声がさらに驚愕させる。



「おい、嬢ちゃん。そのくらいにしてやりな。もう済んだことだ」



(え?)


 ゲルガーはネガーベル姫の後ろに立つ銀髪の男を見て腰が抜けるぐらい驚いた。



「あ、お、お前は、ロレ……」


 そこまで言って口に手を当て言葉を飲み込む。

 軍律違反を犯したと言うことで、軍裁判にかけられたロレンツ。その際に会っただけの男だがその姿容姿ははっきりと覚えていた。ゲルガーもゴードン同様、床に土下座をして大声で言う。



「ぶ、部下の非礼。私もここにお詫び致します!!!!」


 頭を下げながらゲルガーが思う。


(なぜ、なんでここにロレンツがいるんだ!? ネガーベルの姫と一緒に!!?? 一体何がどうなって……)


 混乱し動揺するふたりにアンナは立ち上がって言う。



「歩兵団長さん。『倍払うから俺に付き合え』って私に仰っていましたけど、それで結局いくら払って頂けるんでしょうか?」


「おい、嬢ちゃん……」


 当時のことを思い出し怒りの感情を露わにするアンナ。ロレンツの声も聞こえない。




「わ、私は、私は……」


 細やかな刺繡が施された赤の絨毯に額をつけながらゴードンが震える。緊張と恐怖で滴る汗。ゲルガーが頭を上げ、隣で土下座するゴードンに大声で言う。



「ゴードン!!! 貴様、一体姫様に何をしたって言うんだ!!! どうなっているんだ、これは!!!!」


 ネガーベル姫と何らかの関係があったゴードン。探せと命じていたロレンツが敵国の姫と一緒にいる現状。ゲルガーはそのすべてが理解できなくて怒りをゴードンにぶつける。



「申し訳ございません!! 申し訳ございません!! 申し訳……」


 ゴードンはひたすら床に頭をつけて謝り続けた。見かねたひとりの大臣が歩み寄って尋ねる。



「ゲルガー殿。これは一体どういう事でしょうか。『娼婦』とか『倍払う』とか。まさか本当に我が姫にその様な暴言を吐いたと言うことでしょうか?」


 まったく意味の分からないゲルガーが震えながら答える。



「ゴ、ゴードンの首を刎ねてお詫び致しましょう!!! こやつが原因とあればその首を持って謝罪と致すまで!!!」




(え!?)


 床に頭をつけていたゴードンが『打ち首』との言葉を聞いて青ざめる。そして顔を上げて震えた声で言う。



「嫌だ、嫌だ、打ち首なんて、そんなぁ……」


 すでに目からは大量の涙が流れており、それに鼻水と嗚咽が加わる。同じく涙目になったゲルガーが大声で言う。



「潔く首を差し出せ!! その首でマサルトが救われる!!!」


 ゲルガーは逃げ出そうとしたゴードンの首を掴み剣に手をかける。




(ない!?)


 ここは謁見の間。

 剣などの武器はもちろん事前に預けており帯刀していない。ゲルガーがアンナに向かって言う。



「打ち首を!! こやつの首で、何卒お許しを!!!!」


 そう言ってゴードンの首を掴んだまま床に頭をつけ許しを請う。さすがに見かねたロレンツがアンナに小声で言う。



「嬢ちゃん、もういいだろ。私情を国政に持ち込むんじゃねえ」


「だってぇ~」


 ちょっとだけむっとした顔になったアンナがロレンツの顔を見上げる。ロレンツが言う。



「確かにあいつは救いようのねえ奴だが、それとこれとで話は違う」


 アンナはロレンツが受けた酷い仕打ちのことはすべて知っている。それを踏まえた上で言っているのならば、自分の『娼婦呼ばわり』など取るに足らないこと。アンナが言う。



「分かったわ。あなたがそう言うなら話は聞いてあげるわ」


 アンナはロレンツにそうにっこり笑うと、頭を床に擦り付けているふたりに向かって言った。



「ゴードン歩兵団長!! そのを持って謝罪を受け入れることとする!!!!」



「ひゃ!?」


 首を押さえつけられていたゴードンはその言葉を聞いて泡を吹いて失禁、そのまま失神して倒れてしまった。



「お、おい、嬢ちゃん!!!」


 ロレンツ声を聞いてアンナが笑いながら言う。



「きゃはははっ、冗談よ。冗談。私の『護衛職』様が許してあげるって。感謝なさい!!」



 周りにいた大臣達はこれまでと違い、国政を楽しむかのように明るく振舞うアンナを見て驚いた。

 一方のゲルガーは訳が分からないままひたすら頭を床につけて謝罪し続けた。

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